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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

アスカの幸せを願うオタクはシンエヴァに何をみるか

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(c)カラー

 

漫画でもアニメでも一生懸命なキャラクターが好きだ。必死に、ひたむきに、がむしゃらなキャラクターが好きだ。そういった熱意というか真っ直ぐさというか、人間らしい芯の部分が見えるキャラクターの輝きというものは、愛すべきものだと思う。

 

僕の中でその最たるものが、惣流・アスカ・ラングレーだ。

何百というアニメ作品に触れ、何千というキャラクターに出会った今になって考えても、アスカという女の子は間違いなく特別な存在になっている。

 

残念ながら公開の延期が再度発表された『シン・エヴァンゲリオン𝄇』。本来ならば最初の延期を経て本日2021年1月23日に公開していたはずだった。公開に向けて尽力されていた方々のことを思うと心が痛む。

 

されど作品の動向には楽しみもあれば怖さもあって、あれだけのスケールで展開され一癖も二癖もある製作陣によって生み出されるキャラクターがとにかく好き勝手にやっているので、どういう終着点であろうとも論争は起きるわけで、誰もが納得するというエンディングはないだろうと思っている。そんな大円団で終わる未来なんて僕には見えないし、正直なところ、もはやアスカが幸せであればそれでいいとすら思っていたりする。

 

とはいえ「アスカの幸せとは何か」を問われた際に、理想の終わり方や具体的なビジョンをあいにく自分の中で持ち合わせていない。

こういったエントリーを記している中で恐縮ではあるが、志半ばで求める未来を閉ざされることなく彼女が本意で選んだ道なのであればそれでいい。そんなふわふわとした想いでしかない。

 

バトルものであればラスボスを倒すことだったり、恋愛ものであれば好きな人と結ばれることだったり、ある程度には明確な目標があるのが従来の道筋なのだろうけど、エヴァという作品群には当然そんな型に嵌ったものは見えていなくて、そこにあるのはかなり抽象的なものだったりする。

 


『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改【公式】

 

旧劇場版『Air/まごころを、君に』では顔面を槍で貫かれ内臓を食い散らかされて、アスカは絶命する。彼女は命を落とすその瞬間まで弐号機とのシンクロをやめられず、もはや痛みを感じているかすら分からないほどに破壊され尽くすまで戦い抜く。あれがバッドエンドだとは思わないけれど、目の前で繰り広げられるあまりにも痛々しい展開に、当時は目を覆いたくなる想いだった。

 

戦うことこそが自らの存在価値だと捉えるアスカからすればあの戦いは足掻きでももがきでもなく、自身の生の意義を全うすることが行動として現れていただけに過ぎないのかもしれない。そういう視点から言えば、見るに堪えないあの悲惨な戦いから僕達は決して目を背けてはいけないと思っているし、あれはアスカの生き方を象徴するシーンだったと言えるだろう。

 

複雑な生い立ちによってエヴァパイロットとして自分の存在感を示しそうとしてきたアスカは、いつだって懸命だった。必死になって使命を全うし、母親からの愛情を求めてきた。その背景を考えると一度命を落とすことになったとは言え、植物人間と化したままより幾分にも良かったと思わずにはいられない。

 

彼女の母親のその後は知っての通りであり、それによる幼いアスカの精神的ダメージは想像を絶するものだろう。母親を失った事実。母親が娘だと思い込んだ人形と心中した事実。目を背けたくなるような現実を胸に、それでもアスカはパイロットとしての英才教育を受け、飛び級で大学を卒業し、成人に混じって職務を全うしていく。その過程が精神的にどれほどの厳しさだったのか…確かなことは、母親を失った後でもアスカは必死だったということ。これもまた、アスカの生きる意味であり意志の強さを裏付ける姿であり、彼女の魅力そのものだ。

 

そんな生い立ちによって生まれた影も、時として光になって映り込む。シンジへの好意も、ミサトへの反感も、加持への憧れも、アスカがトラウマを抱えてもなお懸命に生きる中で抱いた確かな感性から来るものだ。

それは女の子らしく頬を赤らめるような可愛らしさや、さすがは帰国子女だと言わしめる聡明さや、いわゆるツンデレな言動といった見え方となり、僕達の心をこれでもかとくすぐってくる。彼女の抱える問題と時折見せる女の子らしさのギャップは、多くの人を虜にしたに違いない。

 

しかし、彼女の生き様と死に様は表裏一体。生きるために戦うのではなく、戦うために生きる。戦う自分に存在価値を見出し周囲に認められる。戦うことををやめた時それは、彼女の死を意味する。だから精神汚染を受けてレイに助けられた時も死んだ方がマシだと声を荒らげた。そういった観点からも旧劇場版での戦いは、惣流・アスカ・ラングレーここにあり…そう言わしめる最期だったと言えよう。

 

新劇場版では式波・アスカ・ラングレーとして登場した彼女。式波と惣流では性格も多少異なるが、その複雑な生い立ちの設定もなくなっているという点は、彼女の人格形成に与える影響を考慮すると何よりも大きな違いだ。

 

故に式波アスカは加持への憧れや綾波への固執もなく、彼女の持つ影はいくらか薄まったように感じる。良いように捉えるならば、式波は惣流が選ぶことのできなかった運命を辿る可能性を秘めているといえるだろう。

 

だが、残念なことに新劇場版『破』でも彼女の運命は実に悲劇的だ。3号機に搭乗した結果、使徒の侵食を許したことでアスカはエヴァ諸共、初号機によって排除される。生存が確認されたのは『Q』の予告となるわけだが、左目には眼帯、その姿は14歳のまま。背負うものが大きすぎるこの境遇には、涙を禁じ得ない。

 

快活で勝気で自己中心的で、時に年相応に女の子らしく見せてみるアスカは確かに可愛い。帰国子女ということもあって同年代に比べると大人っぽく、高い自尊心で周りに有無を言わせない明瞭な振る舞いは異性として憧れだって抱く。

しかし、それらのアスカの愛らしさがより一層輝くのは彼女が生きることに必死で、譲れないもののために懸命に戦う姿勢があり、その根底にはひとりの女の子としての脆さが内包されているからだ。

 

つまるところ、アスカというキャラクターは酷く歪で儚くて未熟なのだ。脆くて危なげないそのコアの部分を覆うかのように気丈に振る舞っているに過ぎない。そして我々はその根っこの部分を知っているからこそ、己のために戦い生きていくことを選び続けるアスカが輝いて見える。

顔面を槍で貫かれようと内臓を食い散らかされようと身を置くエントリープラグを真っ二つにされようと、彼女は必死に生にしがみつくし、そんな姿に多くの人々が胸を打つ。彼女の魅力はそんな部分にこそ宿っていると思っている。

 

アスカは認められたいが故に戦いにその身を投じるわけだが、彼女の承認欲求はもはやそれ自体が呪いだと言えるだろう。アスカという女の子はいつだって懸命に自分の道を選んで戦い、そして悲惨な運命を辿ってしまう。

 

だが、そんな彼女が最後に世界に選ばれ、愛を求める対象に選ばれるのであればきっとそれはこの上なく幸福であるに違いない。選ばれたいという呪いを、選ばれるという運命でピリオドを打ってほしいと、僕は強く願う。アスカの選ぶ先を度々目撃している身としては、彼女が掴んだ未来がこれまでよりも痛みを伴わず、周囲のより多くの人々に認められ愛される、そんな道のりを歩んでほしいと願わずにはいられない。

 

旧劇場版でのラストでLCLの海から真っ先に帰還したのは他ならぬアスカだった。世界の誰とも違う選択をし、個人としてシンジと並ぶのはアスカだった。

「親からの自立」という作品に内包されたひとつのテーマを鑑みると、ゲンドウから自立したシンジとキョウコから自立したアスカという構図は、始祖であるアダムとリリスから独立を果たす人類とも捉えられるわけであって、親の存在が明確に示されていない(またはその存在を求めることすら出来ない)レイやマリでは担えない役割にアスカはすっぽりと収まっている。

 

赤い海に染まった地球。それが劇場版のポスターではかつての青さを取り戻していることが伺える。

海は生命の源だ。人類の根源だ。エヴァンゲリオンは繰り返しの物語だと庵野さんは言うけれど、海が青かった頃に事態が収束するのであれば、僕の求めるアスカの幸せに近づけるのではないだろうか。そんな世界できっと彼女は愛を求めて一生懸命に生きていけるから。

私的2020年映画ランキング:ベスト30

コロナ元年がぼちぼち終わろうとしてますけれどもね、つまりはベスト作品を選び散らかしていく時期がやってきたということであれこれ選んでおりましたところ、気づいたら30作品ほど並んでおりまして。

 

2020年は186本鑑賞、うち今年公開作品は76本鑑賞。昨年と鑑賞本数はたいして変わらず今年は公開延期作品も多かったくせに豊作だったんですよ。ベスト10に絞れなかったことどうか許してほしい。

 

しかしまぁ、未曾有のコロナ禍によって映画館の一時的な営業停止やミニシアターの閉鎖、作品の公開延期など様々なことがあった2020年の映画業界。普段にも増して新作の公開に一喜一憂したように思います。

 

それでも下半期以降に公開を予定していた大作は軒並み来年以降への公開延期となりました。

劇場での公開と並行してAmazonプライムNetflixなどでの配信を行う作品もあったものの、ウイルス感染者数の伸びると楽しみな作品が公開を後ろ倒すのではないかと肝を冷やす…そんな1年でした。

 

とはいえ予算をかけている大作ほどそれ以上の興行収入を求められることは当然なわけで、公開延期という制作・配給側の苦渋の決断を非難できるわけもなく。こればかりは来年以降の楽しみだと言い聞かせましょう。

 

一方で2020年は例年からすると珍しく、今年度のアカデミー賞ノミネート作品のほとんどが授賞式のタイミングで日本で公開していたという珍しい年でもありました。

 

ノミネート作品は個人的に刺さる作品も多く、2月時点で既に豊作な年になりそうだと感じていたこともあったんですよね。

 

他にも小規模上映から始まった作品がロングランとなったり、ジブリMCUなどの過去作品がリバイバル上映されたり、興行収入の記録が塗り替えられたりと面白い年でもあったように思います。円盤持ってくるくせにリバイバル上映に足を運んだりしましたもんね。(かわいい)

 

そんな2020年のベスト作品は何か。ぜひ最後までお付き合い下さい。

 

 

▼2019年のベスト10はこちら(いや昨年は10作品で収めとるがな)

kuh-10.hatenablog.com

 

  

 30位『娘は戦場で生まれた』

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激しい内戦により人々が空爆やミサイル弾に怯えるシリア。ジャーナリストの女性はそこで出会った医師と結婚し命を授かるが、幸せとは裏腹に街は攻撃を受け続けるのだった。

 

アカデミー賞を有力視する声もある本作。惨状をカメラに収めることで“生”を発信するドキュメンタリーには、静かに訴えかける力強さが感じられます。

この確かな現実をそこで生きる人が撮影しているからこそのリアルであり、苦しくも目を背けることは出来ない、そんな1本です。

 

 

 29位『ソウルフルワールド』

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ジャズミュージシャンを夢見る音楽教師が迷い込んだのは、生まれる前のソウルがどんな自分になるのかを決める世界。元の自分に戻るために奮闘していく中で、何気ない日常への価値観が変わっていく。

 

生きる意味を見失う現代人を優しく後押しし、肯定してくれるような包容力のある作品です。

作品が伝えたいメッセージが等身大で、だからこそ多くの人に刺さるのではないでしょうか。

 

登場するキャラクターの造形も独特で軽快な動きが楽しい。アニメーションとしても一級品です。

 

 

 28位『マ・レイニーのブラックボトム』

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1927年、「ブルースの母」と称された歌手とバンドメンバーによるレコーディング現場。人種差別が色濃く根付くシカゴでそれぞれの想いが音楽に乗ってほとばしる。

 

ワンシチュエーションでの進行で会話劇が中心となる作風。だからこそ役者の熱を強く感じたし、芸術性の高い1作であることは間違いない。

 

本作は今年8月に癌で亡くなったチャドウィック・ボーズマンの遺作です。人種の壁を打ち破ることを作品を通して訴えてきた彼の確かな信念が見て取れる、本当に圧巻の演技でした。

 

 

 27位 『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

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養護施設で暮らすダウン症の青年と孤独な漁師とが出会い生まれる優しい友情と成長をユーモラスに描く。

 

題材からも重めな作風なのかと思いきや決してそんなことはなく、緩やかで軽やかな雰囲気が終始漂います。

 

映し出される自然の情景や水音が非常に美しく、育まれる友情と相まって温かな気持ちにさせられる作品でした。

 

 

 26位『エクストリーム・ジョブ』

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実績を残すことができず解散の危機を迎える警察の麻薬班が、張り込み捜査のために犯罪組織のアジト前のチキン屋を買収する。組織にチキンを宅配するために営業を始めたものの予想外の大繁盛となり、徐々にチキン屋の仕事に追われることになっていく。

 

軽快なアクションコメディーで、ウィットに富んだシーンも多く気楽に見られる韓国映画です。
とにかく登場人物らのキャラが立っていて、それが結末に向かうに連れて上手く作用し着地していく清々しさもあります。

 

 

 25位『ようこそ映画音響の世界へ』

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スター・ウォーズ』『ジュラシック・パーク』『トップガン』…あれらの名作映画の音響は果たしてどのようにして生まれたのか。著名な映画監督や音響技術関係者らによる音作りの体験談へと迫るドキュメンタリー。

 

ハリウッドの歴史と共に振り返る音作りの世界と関係者の妥協なき職人技に胸が熱くなります。

これまで観ていた映画への発見があったことはもちろん、今後の映画の見方も変わってくること間違いなし!

 

 

 24位『グッド・ボーイズ』

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小学6年生の仲良し3人組が同級生からパーティーに誘われ、そこで行われるキスゲームで意中の子との初キスをゲットするべく奮闘するコメディ。

 

とにかく脚本が上手い!下ネタ満載ながら少年達が少しずつ成長する様を痛快に描いていて、自分が子供の頃に友達と遊んでいた記憶も思い起こされ心をじんわりさせられる感覚も。

 

大人になっていく中で抱える悩みや葛藤がすごくリアルで、それでも親友との友情はきっと一生ものなのだろうと思うと、3人組の関係が実に美しく映りました。

 

 

 23位『スウィング・キッズ』

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朝鮮戦争真っ只中、巨済島捕虜収容所に新たに赴任した所長がイメージアップを図り捕虜によるダンスチーム結成計画をあげる。身分も国籍も違う5人が『スウィング・キッズ』として目覚めていく。

 

ダンスシーンだけでも観る価値があるレベルで高クオリティー。そこに戦争の要素をきちんと根付かせて、イデオロギーが何を生んだのかと考えさせられます。

 

 

 22位『音楽』

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3人の不良高校生が思いつきでバンドを組んだことで喧嘩まみれの日常に変化が生まれていく。

 

4万枚以上の作画をひとりで描き、制作に7年以上の年月を費やされたことでも話題になった本作。小規模上映から始まり、口コミが広がったことで拡大していってロングランとなりました。

 

脱力感のある日常とシュールなギャグ、そこに全身全霊をかけた演奏描写のギャップに痺れる怪作でした。

 

作画枚数の多さが伺える中に製作陣のこだわりが垣間見えて脱帽。繊細な風景画にも見惚れ、目と耳で楽しめる映画でしたね。

 

 

 21位『きっと、またあえる』

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病院に担ぎ込まれた受験生の息子を想う一心で父親がかつての旧友との思い出話を語っていくことで、人生における大切なものに気づいていくハートフルストーリー。

 

来ました今年のインド映画枠。メッセージはシンプルでありながらまっすぐに突きつけてくるし、登場人物が純粋無垢で魅力に溢れた人ばかりで心温まる物語でした。

鑑賞後はきっと誰かに会いたくなる、笑って泣ける作品です。

 

 

 20位『カセットテープ・ダイアリーズ』

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パキスタン人の移民である少年は厳格な父親の方針に雁字搦めになる日々を送っていたが、友人にすすめられた音楽との出会いをきっかけに生き方が変わっていく。

 

地域に根付く人種差別や貧困問題を切り取りながらも苦悩にもがく若者に手を差し伸べる音楽の力を強く感じられる作品でした。

 

すごく前向きになれるし、自粛期間中の鑑賞だったこともありライブ欲を掻き立てられる作品でしたね。

 

 

 19位『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

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家族を鬼に殺され唯一生き残るも鬼となった妹を人間に戻す方法を求める竈門炭治郎は次なる任務のため無限列車に乗り込む。一行は炎柱である煉獄杏寿郎と合流し、鬼を追っていく。

 

2020年の顔とも言える鬼滅の刃。劇場版の公開後には本作の話題を聞かない日はないのではと思うほど、職場でもプライベートでも話題に上がりますもんね。

 

火付け役となったアニメのクオリティは増すばかりで、息をつかせぬアクションは圧巻。キャラクターのバックグラウンドも原作から更に感情を助長させる演出が見事でした。

これほどのクオリティで映像作品として展開されるなんてファンにはたまらないのだろうと思います。

 

 

 18位『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』

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成績優秀な少女がアメフト男子からのラブレターの代筆依頼を受けることで始まる恋愛模様を描く。

 

プロットとしては王道を外さないんですけど、哲学や宗教、LGBTといった要素を織り交ぜ作品に深みが生まれていました。

演出面も巧妙で登場人物それぞれの感情を優しくも切なく描き切っていたのが変に刺さりました。

 

 

 17位『レ・ミゼラブル

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犯罪防止班に赴任してきた新人警官が同僚とのパトロール中に少年が引き起こした出来事をきっかけに騒動に巻き込まれていく。あの有名な『レ・ミゼラブル』の舞台で、深刻化していく事態を痛烈に描く1本となっている。

 

本作はカンヌ国際映画祭において、あの『パラサイト 半地下の家族』とパルム・ドールを競い審査員賞を受賞しました。

 

様々な人種が住まうコミュニティにおいてそれぞれの主張が混在した結果、他人事ではない世界の現状を映し出す緊迫感が凄まじい。

小説の文言の引用や登場人物の視点の撮り方にも映画としての上手さを感じます。

  

 

 16位『シカゴ7裁判』

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ベトナム戦争の徴兵制度に反対する市民らによる大規模なデモ活動が行われるも、警察と市民が衝突し多くの負傷者が出てしまう。それを煽ったとされる罪でデモ首謀者である7人の男が起訴されたことで、後世に語り継がれる裁判が開かれていく。

 

難しい題材なのではと構えていたものの歴史的背景をふまえながらデモ首謀者の思想をそれとなく提示しているので、とてもスマートに仕上がっていました。

 

当時のアメリカ国民の想いを象徴するシーンの見せ方や、所々での登場人物の言動とラストの展開が繋がった時の爽快感などからも作品としての上手さがひしひしと感じられます。

 

 

 15位『ナイブズ・アウト』

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世界的に有名なミステリー作家が自身の誕生日パーティーの翌朝に遺体となって発見される。容疑者は館内にいた者全員。一見自殺に思われる事件だが、匿名の依頼を受けてやってきた探偵が捜査を始めると事態は思わぬ方向へと進んでいく。

 

クラシカルなミステリーを軸にしながらも移民問題や経済格差といったテーマも内包しており、推理要素と相まって余計なことを考えさせる間を与えない作りが凄かった作品。

 

そしてそれは衣装や美術、音楽へのこだわりが強く関係しているように思いました。相当なこだわりを持って作られたからであろうことが強烈に感じられるんですよね。

古風であり現代的でもあり、それでいてミステリー作品らしく程よく哀愁もあり、満足できる1作でした。

 

 

 14位『劇場版 SHIROBAKO

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高校のアニメーション同好会で将来アニメを作ろうと約束した少女5人。彼女らはそれぞれのやり方でアニメ制作に携わるようになり、多忙な日々を送っていく。本作はそんなテレビシリーズのその後を描く。

 

劇場版制作を任された宮森とスタッフ達の奮闘を、またスクリーンで観られる喜びを噛み締めながらの鑑賞でした。

 

業界の現実であろう苦難に対する描写が多く、とことんリアルを追及した内容になっていました。テレビシリーズよりも一歩踏み込んでいるようにも感じます。

 

キャラクター達の成長も目の当たりに出来たのは良かった。頑張る人達ってかっこいいし可愛いです。

 

 

 13位『はちどり』

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家族や友人との関係に悩み孤独に生きる中学2年生の少女が、思春期特有の想いを抱えながらも憧れの存在との出会いを経て生きる日々を描く。

 

学歴社会で男性が優遇されがちな韓国の文化や上手くいかない対人関係に少女が静かに感じる鬱憤。それらを淡々と描く時間が続くからこそ、感覚が研ぎ澄まされて物語の動向に敏感になれます。

 

小さな羽で蜜を求めて飛び続ける蜂とも鳥ともいえる動物を指すタイトルは、大人と子供の狭間である少女の存在にピッタリです。

 

 

 12位『BURN THE WITCH』

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ロンドンで異形の存在とされるドラゴンを相手に、魔女と魔法使いがそれらを保護・管理する世界。人とドラゴンが共存する<リバース・ロンドン>を舞台に、2人の魔女が躍動する。

 

恐らく今年最も熱量を持って追いかけた作品ではないかと思います。原作は毎週楽しみに読んでいましたし、映画の公開もとにかく心待ちにしていました。

 

あれだけの面白い作品を「動かして喋らせる」のであればつまらないわけがないんですけど、インタビュー記事やパンフレットを読めば読むほど、作り手による細部のこだわりや原作に対する忠実さが感じ取れたのがとにかく嬉しかったです。

原作の久保先生がネームを作っていた時からスタッフに内容を共有しオーディションや収録もほぼ立ち会って詳細をチェックしていたとのことで、納得のクオリティ。

 

ロンドンの背景や街並みの美しさが作品への没入感を引き立てていましたし、音楽の彩りがストーリーの緩急を生んでいて良かった…とてつもなく映像化の意義があったと感じる映画でした。

 

 

 11位『1917 命をかけた伝令』

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第一次世界大戦。1600名の兵士の命を救うため、伝令を届けるべく2人の兵士が大戦の最前線へと走る。

 

ワンカット風の撮影が話題になった本作。もちろん驚きの演出の数々なんですけど、観客に何かを思わせる自然や風景の象徴的なカットが印象強く、奥行きのある作品に仕上がっていました。

 

何が起こるにも突発的なのが戦争の無慈悲さを強く物語っていますし、戦争を知らない時代に生きているからこそ訪れる虚無感もあって、考えさせられる映画でした。

 

 

 10位『リチャード・ジュエル』

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アトランタでの爆発テロ事件にて多くの命を救った警備員が犯行の容疑にかけられる。世間の目に晒される中、彼の無実を信じる母と弁護士と共に異を唱えていく。


物語はわりと淡々と描かれるのですが、だからこそ人物の心情描写がじわじわと沁みるんです。メディアのリテラシーや、人の側面を知らない中で抱く偏見に対して警鐘を鳴らすメッセージ性も垣間見える、そんなイーストウッド監督らしさが光りました。

 

彼の監督兼主演として製作され、自らの生き方の贖罪とも捉えられる『運び屋』の昨年の公開を経ての本作だと思うと、考えさせられるところもありますね。

 

 

 9位『タイラー・レイク -命の奪還-』

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数々の激戦を乗り越え現在は裏社会の任務を請け負う男が、連れ去られた麻薬王の息子の奪還任務に挑む。ダッカの市街地を舞台に、警察やギャングから逃れながら少年の命を守り抜けるのか。

 

ヒット作に多く関わってきたアクションコーディネーターらがスタッフとして集っていることもあり、肉弾戦やカーチェイスがとにかくスタイリッシュで圧巻。

アクションシーンでは基本的に主人公の後方からカメラを回しているので、まるでシューティングゲームの画面のように映り込み、緊張感も楽しめます。


更にそれらをワンカット風に、時に戦闘する角度に合わせグリグリと動かすカメラワークが生み出す臨場感には舌を巻くばかりです。続編の製作も決定しているので、そちらも楽しみ。

 

 

 8位『黒い司法 0%からの奇跡』

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黒人差別が色濃く残る1980年代アメリカのアラバマ州。正義感の強い新人弁護士が、殺人罪に問われる黒人の冤罪を信じて立ち上がる。

 

人種差別を描いた映画は数多くありますが、これほどの差別や冤罪がつい30年ほど前に平然と起こっていた事実を改めて突きつけられるととてつもなく恐怖を覚えます。また、実話を元にしているということが登場人物の心情をより深く考えさせると共に、強く感情移入させられるんですよね。

 

強い正義と信念が人の人生を大きく変えられると奮い立たせてくれる一方で、自分が同じ立場なら立ち上がる勇気があるのだろかと心がチクリとしてしまうような1本にもなりました。だからこそ、信念に正直な主人公に惹かれます。

 

 

 7位『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』

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人間の森林破壊により居場所を奪われてしまった妖精達。そこに手を差し伸べる妖精と、突如現れた人間の執行人による互いの正義がぶつかり合っていく。

 

今年鑑賞数が最も多い映画なんですが、1本の映画としてとにかく洗練されているんですよ。完璧だと言ってもいい。

 

まず色彩の美しさがとにかく際立ちます。ギャグシーンも多めなんですけどストーリーをぶつ切りにしない上手い配分で実に小気味良く物語が進行していきます。

 

そして何より圧巻のバトル描写。スピード感はもちろん、シチュエーションがどんどんと変わりキャラクターが使う能力も様々なので飽きることが一切ない。終始世界観に引き込まれる作りでした。

 

 

 6位『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

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個性豊かな四姉妹のそれぞれの物語を紡いでいく名著『若草物語』を映画化。姉妹らは各々の幸せに向かって壁にぶつかりながらも助け合い突き進んでいく。

 

女性の自立をひとつのテーマとしながらも強い女性像を理想として掲げるのではなく、苦悩の末に選んだ道に幸せを見出すことを肯定してくれる、そんな優しさに満ちた1作です。

現代にも通じる題材ですし、幾度となく映像化されている作品を今映像化した意義もしっかりと感じました。

 

また、美術がとても綺麗で衣装も目を見張る美しさで、女性の麗しさや儚さがより映えていたと思います。キャスト陣も旬な若手が多く見ていて楽しかったです。

 

 

 5位『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

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かつては武器として扱われていた元軍人の少女が終戦後に手紙の代筆業を行う中で大切な人からの「愛してる」の意味を追求していくアニメシリーズの完結編。

 

劇場版の公開、本当におめでとうございます。制作を進めることすら困難な中で作品を作り上げた方々の想いが随所から感じられる完結編でした。

 

人それぞれに「愛してる」がある、そんな当たり前のようでこの上ない尊さに改めて気付かされました。

生を全うし、周囲を幸せにする。そのためにまずは自分が幸せであること。  言うのは簡単でもこれってすごく難しいことだと思いますが、奮い立つ勇気をもらえる作品です。

愛を知りたいヴァイオレットに多くの愛を教えてもらいました。

 

 

 4位『TENET』

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特殊部隊に参加していた名もなき男がミッションの最中で昏睡状態に陥る。目覚めた男は第三次世界大戦を防ぐとミッションを与えられ、TENETというキーワードと共に“時間の逆行”にその身を投じていく。 

 

一度の鑑賞で全てを理解することは出来ず置いてかれてしまった部分も多々あったのですが、それでもすごいものを目撃したというのが率直な感想でしたね。結局複数回映画館で観ましたが、円盤化されたら改めて鑑賞することでしょう。

 

謎が明かされていく度にノーラン監督に時間を掌握されている感覚に陥りつつ、それがすごく気持ちいい。理解が追いつかなくなってきた焦燥を感じると普通なら不快感にも繋がり兼ねないのに、むしろそれを上回るほどの興奮。

 

物語はどんどん進んでいくのに、観ている側は目の前で起きている事象を理解しようと記憶を遡っていく…まさに脳内でも時間の逆行。

作品の緻密な作りに圧倒されました。

 

 

 3位『パラサイト 半地下の家族』

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全員失業中で半地下住宅で暮らす貧しい家族が、IT社長一家が住まう豪邸と徐々に関わりを持っていき、次第に誰もが予想しない事態へと発展していく。

 

今年度アカデミー賞受賞おめでとうございます。アジア映画初の快挙に、大いに盛り上がりましたね。

 

格差社会を階段や高低地で表す画の映え方や、終盤に向けての伏線の散りばめ方が実に絶妙です。面白かったのだけど、それ以上に凄かったという感想が真っ先に出てきました。

ユーモアあるシーンがじわじわきたりと発見があって、それでいて言語化が難しい作風で新しさ目白押しの社会風刺作でした。

 

 

 2位『フォードvsフェラーリ

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栄光のレース「ル・マン」で絶対王者フェラーリ社に挑むフォード社の男達の戦いを描く。限られた資金と時間の中でいくつもの壁が立ちはだかる中、男達は勝利を手にすることが出来るのか。

この作品、とにかく熱いのなんの。臨場感溢れるカメラワークやエンジン音によってレースシーンはまさに自分がその場にいるかのような熱気があり、戦況に一喜一憂してしまう。その熱さは人間関係の描き方からも感じられますが、それでいて友情や家族愛の描き方には美しさもあります。

 

今年初鑑賞作品だったのですが、鑑賞後に今年のベスト級である確信がありました。

 

 

 1位『ジョジョ・ラビット』

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第二次世界大戦下のドイツで生きる気弱な少年が空想の友人ヒトラーの助けを借りながら自らの弱さを克服し成長していく様をコミカルに、そして時にシリアスに描いていく。

 

上半期を終えた時点で年間ベストになりそうだという予感はあったものの、やはり迷わずこの順位に据えました。

序盤のカメラワークやアングル、キャラクターのセリフが中盤以降に強い意味を成してくる小気味良さがとにかく痛快。そしてそれを少年の成長物語としてのアプローチを示していくのですが、キャストの個性がすごく光るんですよ。

 

印象に残るキャストはたくさんいたのですが、やはり主役の彼の存在感は素晴らしかったです。主役のオーディションは数ヶ月に及び難航したそうなのですが、彼が来た途端に即決だったそうで。今後が楽しみな役者さんです。

 

 

そんなわけで私的2020年ベスト映画は『ジョジョ・ラビット』でした!全人類見てくれよな!

 

来年は公開延期作品が順次ロードショーとなりますし、多方面から気になる続報も出てきており今から楽しみです。

 

来年も素敵な作品に出会えることを願って。

私的2020年楽曲10選

年間の楽曲10選をまとめる風習、数年前からありますし各オタクの熱い意思表示を見ているのは大好きなんですけど、自分でやったことってないんですよね。

 

それは「狂ったように同じアーティストの同じ曲ばかりを聴いている」タイプのオタクに生まれ落ちてしまったために、年間で数えてみても心を揺さぶられるほどの楽曲に出会えるだけ多方面の音楽に手を伸ばし耳を傾けることをしていないからでして。

こんなんだから普段聴かないアーティストのことを知らなすぎて、King Gnuの『白日』、つい最近まで『白目(しろめ)』だと思ってましたからね。(オタク特有の空目)(ガチの白目)

 

でも音楽になるとやっぱり皆案外色んなアーティストをかじっているんだなと思うわけで、少しはアンテナを高くしてみようとしていた2020年でした。

 

結果的にはコアな音楽に触れるでもなく、特段マニアックな嗜好に目覚めるわけでもなく、例年より少しばかり興味のある楽曲への嗅覚に正直になってみただけだったので、見る人が見たらつまらない選定だろうとは思いつつせっかくだから形として残しておこうじゃないのという、そういうアレ。別にブログを更新するネタにちょうど良いからとかじゃないですホントにまじで。

 

 

僕の見る世界、君の見る世界 - 楠木ともり 
僕の見る世界、君の見る世界

僕の見る世界、君の見る世界

  • 楠木 ともり
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

作詞:楠木ともり

作曲・編曲:楠木ともり重永亮介

< 車窓から覗く 君が、眩しい> 

 

透明感がありながら力強さを感じられる声もそうなのだけれど世界観の広げ方が素敵。

 

タイトルの「僕の見る世界」と「君の見る世界」は「車窓の中の君」と「車窓の外の僕」を指していますが、その矢印は一方通行。さらには異なる時間を生きているようなもどかしさを歌詞がそれとなく匂わせます。

 

切なさは拭えないけれど楽曲全体を爽やかにそして彩るように歌い上げる感性は今後も楽しみです。

 

 

最終宣告 - まふまふ
最終宣告

最終宣告

  • まふまふ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲・編曲:まふまふ

< 最終宣告だ 君は言い残した 生きると言え >

 

1度きりの人生を謳歌し、生き抜いていけと力強く歌い上げます。楽曲提供もする彼は多才だなと感心するばかりですが、なんと言っても高音の心地良さはこの曲でも存分に発揮されています。

 

ボカロとかかじってた人にはザックザク刺さるのではないでしょうか。どこか懐かしさすら感じる曲調にも感じられて、歌詞の強さとのギャップがまた愉快。

 

 

AS ONE - UVERworld
AS ONE

AS ONE

  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲:TAKUYA∞

編曲:UVERworld、平出悟

< 陰と陽も そう極と実 善悪も産まれは同じ >

 

電子音や洋楽の流行りのテイストなどを盛り込むことも増えてきた彼らですが、根本にはロックがしっかりあって、この曲もそれを外さない力強さがある。ダークでシリアスなワードも点在しますが、それらを吹き飛ばすかのようなアンサンブルは爽快。

 

フルで聴くと、タイアップとなった映画『仮面病棟』の予告で初めて聴いた時とは違う印象で、「UVERworldはフルを聴くまでイメージを固定するな。」という先祖代々の言い伝えの通りでした。癖強バンドの2020年唯一のリリース楽曲は聴けば聴くほど癖になり、底なし沼にほら底があったとさ。

 

 

青すぎる空 - the peggies
青すぎる空

青すぎる空

  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲:北澤ゆうほ

編曲:the peggiesシライシ紗トリ

< この青すぎる空が 僕には似合わないなんて思っていた >

 

若さ!青さ!甘酸っぱさ!そんな青春らしさが溢れている楽曲。1度聴いただけでストレートで熱を帯びたメッセージに身も心も、いや耳も心も持っていかれました。

 

誰もが抱く苦悩や葛藤から逃げるのではなく、立ち向かっていく勇気をくれる楽曲の真っ直ぐさがとにかく眩しくて。あなたが主人公なのだと言い聞かせるのではなく、あなたも主人公になれるのだとエールを送ってくれる、そんな青春を思い出させてくれる1曲です。

 

オタクなら冴えカノのOPを選ばんかい!wという声が聞こえないこともない。

 

 

アンチテーゼ - 夏川椎菜
アンチテーゼ

アンチテーゼ

  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲・編曲:すりぃ

< その感情制限解けるまで無駄に無駄に吠えるんだろ >

 

夏川さん、音作りに動画制作にクリエイティブにおいて器用だと思っていますけど、その勢いは衰えず舌を巻くばかりですよ。昨年多くのオタクの耳を我がものにした『ステテクレバー』がありながら、それは序章でしたと言わんばかりの楽曲展開。

 

この楽曲も人間臭さがダダ漏れですけど、きっと多くの人が共感する荒っぽさが逆に心地良さを生んでいて。加えて彼女自身、提供された楽曲への理解と自身に融合させていくような感性が抜群ですし、それをメロディーで刺される感覚に思わず震えます。

 

 

好きだよ、好き。 - DIALOGUE+
好きだよ、好き。

好きだよ、好き。

  • DIALOGUE+
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲:田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)

編曲:佐藤順一(fhána)

< 君が僕を嫌いになる時は 僕が夢を捨ててしまう時だ >

 

大変失礼なのですがグループのことはほぼ知識としてない中で関わる制作陣に釣られてホイホイと聴いてみたら、それはもう躊躇なくこちら側を取り込もうとしてくる。

 

グループメンバーを知らずともバックグラウンドを想像し勝手に浸らせてくれるほどには、しっとりとした中に確かなメッセージを感じられるんですよね。

 

これ、自分がDIALOGUE+のオタクだったらライブ中「ねぇ 好きだよ、好き」のところで崩れ落ちそうだけど、みんな大丈夫?

 

 

突破口 - SUPER BEAVER
突破口

突破口

  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲:柳沢亮太

編曲:SUPER BEAVER

< 正々堂々「今」と今向き合って 堪能するよ現実 酸いも甘いも全部 >

 

疾走感とキャッチーな歌詞の『ハイキュー!! TO THE TOP』が絶妙にマッチしていて引き込まれました。澄んだ歌声なのにスポ根らしい真っ直ぐな熱さがあり、アニメーションと相まってワクワク感をこれでもかと煽ってくる。

 

アニメでも舞台は春高に移っており、全国の猛者と戦う「今」と向き合う本気が示されているのもポイントが高いんですよね。歌詞の所々に烏野高校のメンバーの貪欲な姿勢が顔を覗かせている。

 

 

23時の春雷少女 - 鬼頭明里
23時の春雷少女

23時の春雷少女

  • provided courtesy of iTunes

作詞・作曲:田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)

編曲:やしきん・成田ハネダ(パスピエ)

< 証明は終わり、これが恋だった。 >

 

「田淵曲へのハードルを課すオタク」は一定数いると思うけれど、この楽曲はひとつの物語としての出来が凄まじい。

 

23時という時間設定、歌い上げていくほどに日付変更が近づく焦燥、そんなシンデレラストーリーでありながらも刹那的な感情を春雷という言葉で表現する田淵ワールドいい加減にしろ。

メロディーラインも言うまでもなくて、ラスサビのベースの走り方はもはやクスリです。

 

 

Blowing - NiL
Blowing

Blowing

  • NiL
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

作詞:ミズノゲンキ

作曲・編曲:睦月周平

< Burn into one how I just should be >

 

劇場版『BURN THE WITCH』のエンディングテーマで、作品に寄り添い世界観を見事に表現しています。

 

久保帯人先生の要望であった、オシャレさを核とした上で、作中に登場するニニーがアイドルだという設定もあり彼女が歌っているように感じられるアーティストが選ばれました。

 

活発なタイプであるニニーも歌唱時には魔女とは別の顔を見せてくれるのだろうと勝手に想像させてくれる懐の大きさ。ありがてぇ〜〜〜!!!

 

 

僕らは今 - 水瀬いのり
僕らは今

僕らは今

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作詞:岩里祐穂

作曲・編曲:藤永龍太郎(Elements Garden)

< 誰一人ひとりじゃない 誰一人欠けても決して生まれない >

 

今年よく楽曲を聴いたアーティストのひとりが彼女なんですけど、曲によって全然違った表情を見せてくれて、追いかけていて楽しさがありますよね。

声優としての演技も好きですけど、このみずみずしさが歌声となるとこれほど響くんだなと。

 

あと、このいかにもライブのラストに歌いますよ!みたいな感じが逆に良い。追ってMVも公開されていましたけど、このご時世ということもあり大きな意味を持つ楽曲になったのではないでしょうか。

 

 

以上、2020年の楽曲10選でした。

アニメを観る数が減っている上にカバー出来ていないジャンルもあるけれど、どれも好きな楽曲。

 

それでは!!

最後に!!!!

今年最も聴いていた楽曲についての発表です!!!!!!!!

 

再生回数が最も多かった楽曲は…!!!!!!!!!!!!!!

 

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最も再生した曲!!!!!!!!!!!!!!

stay on!!!!!!!!!!!!!!

 

うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!

 

 

2019年の曲!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

僕らは今

僕らは今

  • King Records
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『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想/「愛」を示すみちしるべに涙する

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当初は制作可否すら不透明だった中でこうして公開に至ったことに感謝の念を強く感じると同時に、作品に携わった全ての方々に敬意を表します。

 

 

本作を鑑賞して強く感じたことは、この上なく示された「愛を知り伝えることの尊さ」でした。

アニメシリーズでは、かつて戦争の武器として扱われたヴァイオレットが終戦後に手紙の代筆業を通して大切な人からの「愛してる」の意味を知っていく姿を描いてきました。劇場版でもその根本は変わらず、ひたすらに「愛」の在り方をその登場人物の数だけ紡いでいきます。

 

未曾有のコロナ禍でライブやイベントも自粛ムードとなっている状況で、ウイルスの感染症対策予防を徹底して公開記念舞台挨拶の場を設けて下さったこと、とても嬉しく思います。観客に感謝を述べたいという制作側の「愛」を感じずにはいられないんですよね。1日2回あるうちの2回目だったので上映前の登壇となることが多い中、上映後のイベントであることも恐悦至極。そんなわけでおよそ半年ぶりにこのようなイベントに足を運ぶことができました。

 

以下、気になったシーンをいくつかかいつまんで感想を記していきます。せっかくなので、舞台挨拶でお聞きしたお話を交えながら。

 

 

天国から愛するあなたへ

公開初日から既に映画を観た人の感想がツイッターで見受けられてかなりの評判の良さに少々面食らっていたんですけど、「開始5分で既に泣いた」といった旨のツイートが流れてきて「いやそれはさすがに盛りすぎだろ…」と思っていたんですよ。

 

 

 

すまん5分もかからんかった。

 

 

冒頭、描かれる家はどこか見覚えのある間取りに感じましたがすぐにアニメシリーズ10話のマグノリア家であることが分かります。もうこの次点で涙腺に訴えかけてきてるんですけど、亡くなったお婆さんがあの小さかったアンで、彼女が娘への愛情を明確に示していたことや当時の母との思い出に涙を禁じ得ません。

 

ここから、ユリスが天国へ逝った後に家族に読んでもらう手紙をヴァイオレットに書いてもらうという構図に繋がっていくわけですけど、この冒頭シーンの意味はそれだけじゃない。アニメシリーズの制作に携わりあの事件の犠牲者となった人々も劇場版を共に作り上げているのだという京都アニメーションの意志が投影されていんですよね。

 

事実、エンドクレジットに亡くなった方々の名前もありました。アニメシリーズから受け継がれてスタッフ全員で辿り着いた劇場版であるという静かな祈りに目頭が熱くなりました。

 

 

自由になりなさい

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で印象的なカットのひとつとして「鳥」が挙げられます。

 

広い世界をどこまでも飛んでいく鳥は、自由や解放のメタファーと言えます。テレビシリーズや外伝でも、空を羽ばたく鳥のカットが度々登場しました。

 

一方で、ヴァイオレットは戦時中ギルベルトの命令を欲し、言われるがままに戦場を駆け抜けた軍人でした。終戦後、ホッジンズからは「火傷をしている」と言われましたが、ヴァイオレットは過去の行いに縛られて雁字搦めになっています。

 

戦場で人を殺めた事実は確かに消えません。ヴァイオレットは火傷の意味に気付き、血に染まった自身の手で人の想いをすくい上げる代筆業を行うことに苦悩していました。

 

しかし、ヴァイオレットによる手紙の代筆で救われた人がたくさんいることもまた事実なのです。ヴァイオレット自身が過去と向き合い十字架を背負った上で自分を許し、贖罪の旅を続けていくしかないのです。そしてそれが叶った時に彼女は本当の意味で自由となるのでしょう。

 

舞台挨拶で石立監督が言っていた言葉が印象的で、「ヴァイオレットは透明じゃなくて白」だという話を音響監督の鶴岡さんとしたのだそう。

 

透明だと背景色ありきの存在となりがちですけど、白は何者にもなれる、まだ染まっていない色です。そう、白はちゃんと“色”なんですよ。だから白を重ねればその色は一層鮮やかになるし、そういうこともあって監督は演出に過剰な工夫を凝らさないようにしたのだとか。そのまっすぐさが我々の心に突き刺さるんでしょうね。

 

劇中ではギルベルトのいる島に向かう船で、ヴァイオレットが書いたギルベルト宛に書いた手紙が風に流され飛んでいってしまいます。あのシーン、手紙が飛んでいく方向は船が向かうのとは逆方向なんですね。しかし、その横で羽を広げる鳥は、船と同じ方角へと飛んでいるんです。つまり、向かっている先であるギルベルトのいる島こそがヴァイオレットの自由が待つ場所なのだと暗示しているわけです。

 

 

義手と罪の意識

ヴァイオレットは戦いの最中に両腕をなくしてしまいますが、彼女自身はその事実に対する悲壮感を見せません。本当に危惧していたことは両腕が使えないことでギルベルトからの命令に支障をきたす可能性だけでした。

 

義手を使いこなすことにもそれほど時間がかからなかったヴァイオレットは、やがて自動手記人形として不自由なく生活をしていきます。

 

本シリーズは彼女が代筆の依頼主の前で手袋を外して、義手であることを説明するシーンが多々入ります。それだけで彼女の過去を依頼主に知らせる機能もありますが、同時に依頼主と送り先の関係に対して“ヴァイオレット・エヴァーガーデンという義手の自動手記人形としてどう任務を遂行するか”をストーリーの基盤とすることができるのです。

 

そして、義手である彼女に対して罪の意識を持っているのが、他ならぬギルベルトです。彼は兄のディートフリートからヴァイオレットを託され、普通の女の子として育ってほしいと願いながらも幾度となく戦場に連れていったことに罪悪感を抱きます。ヴァイオレットと離ればなれになる直前、血を浴び両腕を落とした彼女を目にしたギルベルトはその罪悪感に押し潰されて国に戻らない選択をとったのです。

 

その中でギルベルトが島内で葡萄を運搬するための機械を作っていたことも印象的で、彼は戦争を彷彿とさせる鉄の塊で島の住民の生活を豊かにするべく働いているのでした。名前を捨て新たな人生を始めようと決意した後も、心のどこかに身体の一部に鉄を身につけた少女を想っていたのでしょう。

 

 

時代の移ろいと変わらない本質

外伝で電波塔の着工が行われていましたが、それが完成したことで今作ではアニメシリーズの時に比べて文明の発展が見受けられました。夜になると街に明かりが灯り、高い建物にはエレベーターがついています。中でも電話の存在は特にフィーチャーされ、声を相手に届けられることからC.H郵便局の中でも手紙の衰退が始まる予感が走っていました。

 

その時に電話に対して一段と嫌悪感を示していたアイリスが、後にユリスのために電話を頼る一連の流れは本当に良かったです。彼女は世界一の自動手記人形になるとテレビシリーズでも豪語していましたが、カトレアとヴァイオレットに次いでいつまでもナンバー3だと嘆くシーンもありました。世間の評判もふたりばかりに目がいき、予約の絶えない状態…エリカが辞めた今、焦らないはずはないんです。強気な面もあるのでそこに苛立つ姿も分かりやすいですね。

 

そんなアイリスがユリスの危篤状態の時に一切の迷いを見せずに電話を頼って、ユリスの声をリュカに届けようとします。それは紛れもなく、想いを伝えることの大切さを本質として仕事に臨んでいるからでしょう。とても胸が熱くなるシーンでしたし戸松さんの優しさのある演技も素敵でした…。

 

ちなみに、ユリスのお話で思い出しましたが、ヴァイオレットがユリスと指切りをするシーンで舞台挨拶で石川さんがこんなことを仰っていました。キャラクターの成長を感じたシーンを聞かれ、ユリスの病室でヴァイオレットが涙を拭ったシーンだと答えられていました。

 

そのシーン、確かに印象深かったんですよね。ただ、特に顔を写すといった描き方もしておらず何気ない行動に見えるんです。石川さんは「10話ではアンの家で泣くのを我慢していたヴァイオレットが、ユリスの前では堪えきれず泣いてしまった。人間、歳を重ねると涙脆くなると言うけれど、ヴァイオレットも歳をとって様々な感情を覚えたんだろう。」と。ふとしたシーンにキャラクターの成長を内包させる素晴らしさにハッとした瞬間でした。

 

 

ギルベルトの背負う十字架

石立監督が舞台挨拶で「ギルベルトが嫌われることを危惧していた」という旨をお話されていました。

 

終戦して、記憶をなくしたわけでもないのに、彼は故郷へ帰る道を選びませんでした。ヴァイオレットが自動手記人形として活躍していることを知りながら、帰りを待つ家族がいることを理解していながら、ギルベルトは島での生活を選んだのです。ヴァイオレットが訪ねてきても、彼は会うことを拒絶します。

 

ヴァイオレットの願いを知る我々からすれば、当然もどかしくなります。ギルベルトへの疑念が強くなるばかりです。石立監督はギルベルトの描き方に特に注意を払ったのだそう。

 

しかし監督は「これまでのギルベルトは、ヴァイオレットから見た姿・思い出である」と続けられていました。

 

ディートフリートとギルベルトの回想では、父に反発する兄を見てギルベルトは中立の立場を取ります。父を慕い、兄を慕う彼は、幼少の頃から争いを避けている様子が見受けられました。

 

家系的に軍人にならざるを得なかっただけで、彼はきっと争いを忌み嫌う男だったのでしょう。だからこそ、戦場しか知らなかったヴァイオレットには優しく包み込んでくれる彼の存在が何よりも大切に思えたのです。

 

それと、舞台挨拶で聞くことができて良かったお話をもうひとつ。

 

クライマックスでギルベルトが船で発つヴァイオレットを追いかけるシーン。個人的にここへの繋がりが少し気になったんですよね。

 

というのも、上述の通り様々な感情を抱きながらも故郷へ帰らない選択肢をとったのがギルベルトだったわけで、ヴァイオレットを追いかけるに至るには少し説得力が欠けていたと感じていました。

 

もちろん、ヴァイオレットの手紙にはギルベルトへのたくさんの感謝が込められていました。しかし、ヴァイオレットもまたひとまずは会わないということを自分を言い聞かせて島を後にしようとしており、ギルベルトへの再会の懇願は手紙からは読み取れないんですよ。

 

では何がギルベルトを駆り立てたかというと、セリフ上では手紙の中で読み上げられていない最後の1行があり、彼はそれを読んで丘を走り出したのだそうです。

 

「そのセリフはあえて今は言いません」と石立監督は話していましたが、「どこかで答え合わせしたいですね 」とも仰っていたので、その1行をいつか読み上げてもらいたいですね。

 

野暮ったいのは重々承知ですが、一応自分なりの予想を残しておくと、「I sincerely love you. 」(心から愛してる。)でしょうか。

冒頭でsincerelyの文字がありましたし、ギルベルトがかつてヴァイオレットへ伝えた言葉でもあります。1行と考えると単語としてはそう多くはないはずなんですよね。手紙の中に彼女が知る意味での「愛」に関する言葉がなかったことからも、文脈としては自然です。まぁ野暮ですが。

 

しかしまぁ、我々が思っていた以上にギルベルトの身体は熱く燃え上がっていました。ヴァイオレットが訪ねてきた際に見つめていた火は、彼が戦場で背負った十字架の暗喩でしょうし、外で雨に打たれるヴァイオレットとの対比も見事でした。

 

そこからあのクライマックスに辿り着き、含みを持たせた演出で再会を果たすふたりはとても眩しく映りました。

 

嵐が去り、島の草木を雨露が濡らしてそこに陽が差すカット。ギルベルトの燃え上がった身体を駆けつけたヴァイオレットが鎮火させたことを明確に表していて実に美しかったです。

 

 

さて、印象的だったシーンについていくつかピックアップして記してきましたが、既に述べた通り本作は「愛を知り伝えることの尊さ」をこれでもかと美しく描き切っていました。キャラクターが手紙を通して愛を伝えるように、痛ましい事件を経て全てのスタッフの愛の結晶が『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』なのだと強く思った次第です。

 

物語では、自動手記人形を辞めたヴァイオレットが島の灯台で郵便業務を引き継いだとされていました。灯台は、海上の船のみちしるべとなるものです。ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、愛する人に導かれ、自動手記人形を辞めてからも愛する人を導いていくのでしょう。

 

そして、あの事件から初めての劇場作品となった今作はきっと、京都アニメーションのみちしるべとなるに違いありません。

『BURN THE WITCH』4話感想/おとぎ話なんてクソだからこその作品タイトル

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(C)久保帯人集英社・「BURN THE WITCH」製作委員会

 

まずは当初広報されていた4話の連載終了とのことで、久保先生お疲れ様でした。

 

そして、4話までがSeason1となり、続く物語はSeason2以降で展開されると発表されましたね。広く深い世界観を4話で完結させるのは少々無理があるように感じてはいたものの、劇場版へ繋げていく前章のようにも捉えていたので、今回の発表は本当に嬉しく思います。

 

さて、4話の感想について記していこうかと思いますが、ここにきて展開のギアが加速していて、ページをめくる度に終始胸が踊りました。

 

逃げた先でブルーノに見つかったのえるとニニー。3話の最後のコマでも鳴き声が響いていたこともありこの場にエリーが現れることは予想できたものの、エリーはブルーノの攻撃の手から逃れるため「透色竜鱗(ステルス・スケイル)」を用いて一同を驚愕させます。ブルーノの言葉から、これは自身の羽や鱗が透明になる性質なのではなく、そうさせる術を発動しているようです。

 

さらに月光に照らされて羽化し6本指を持つことから、エリーは「童話竜(メルヒェンズ)」であると判明します。元々のフォルムは骨ばっていたこともあり姿の変わったエリーの神々しさに一気に拍車がかかりましたが、ロンドンの背景が妙に合い、実に美しいですね。

 

形や大きさが変わり冠の形を模したようなツノを持つエリー。舞台がイギリスであることからも王室に由来するものの登場はある程度予想できましたがエリーという名前はエリザベス女王からきているのかもしれませんね。

 

童話になぞられて名付けられた7頭の竜を指す「童話竜(メルヒェンズ)」。その中でもエリーは、月光で羽化して夜の間だけ成竜になる「シンデレラ」のようですが、さすがは童話から名前がとられただけあって、戦う様子からも分かるように辞書に載った情報は不確かなものもあるようです。

 

羽化する過程やその姿など特殊な生態からもどちらかというと保護すべき対象であるようなイメージを持ちましたが、ブルーノはそれを「ダークドラゴンの始祖」、「邪竜指定」、「永久討伐対象」、「存在不詳の人類の敵」と呼ぶんですね。

 

リバース・ロンドンの誕生以前から存在すると言われる「童話竜」がそのように呼ばれているということはつまり、はるか昔のイギリスで大災害またはそれに近しい出来事が「童話竜」によって起こされたことを指すのではないでしょうか。

 

“リバース・ロンドンの誕生”という言い回しから、元々あった世界を見つけたわけではなくてゼロから生み出した空間がリバース・ロンドンなのだとすると、ドラゴンや魔法などの異形や未知なるものがトリガーとなって創造されたのがリバース・ロンドンであるともとれないこともないです。

 

完全に憶測の域を出ないのですが、そういったリバース・ロンドンの誕生や人間に危害を加える類のドラゴンの凶悪性といったことを、裏側の人間はある程度叩き込まれるのかなと。シンデレラがブルーノへ反撃することもなくニニー達の方へ向かってきたことに対し、メイシーは「あたしに会いにきてるのかも知れない」と言いますよね。ドラゴンが寝食を共にした相手の元を訪れるというのも、3話でのメイシーの苦悩そしてエリーとの出会いのエピソードを聞くと納得できないこともないと思うのです。それでもメイシーの言葉を聞き入れず否定するニニーの鬼気迫る様子には、「ダークドラゴンの始祖」と呼ばれる異形に一切の予断を許さない強い概念が見て取れます。

 

結果としてシンデレラはメイシーに対しても「星灰(スターアッシュ)」を撒き散らしたように見えるのでニニーとのえるの判断は誤りではなかったですが、実際のところこの星灰も攻撃として繰り出されているのか分かりません。

 

もちろんモロに当たれば大変なことになるでしょうけど、エリーがシンデレラの姿へと変化したことが黒化であるとも言いきれないので、メイシーへの敵意を生むきっかけになり得ないんですよ。それが童話竜の本来の姿であると言われればそれまでなのですが、メイシーと目があったシンデレラの一瞬の間がどうにも気になります。まぁそれでも童話竜とはそういう本来の悪をひた隠しにしているものなのだとしたら、僕はもう魔法にかかってしまっているんですね。このあたりは今後登場するであろう童話竜から読み取っていきたいです。

 

いやしかし、この「シンデレラ」という種類が1話でのニニーのエピローグと繋がってくるとは思わず膝を打ちましたね。

「おとぎ話なんかクソでしょ」という言葉はニニーのキャラクター性を明確にすると共に、『BURN THE WITCH』の作品の方向性すらも示していたんです。

 

魔法をかけられてお姫様になった女の子は途中でその魔法が解けてしまうも、物語を見ている人間の多くは憧れを抱きます。ニニーはそれをバカだと一蹴した上で、「バカしか魔法にかかんないならあたしは魔法をかける側がいい」と締めます。

 

この時ニニーの来ているシャツにタイトルが載っているのは、これが物語の主題に関わるということを指しています。

 

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『BURN THE WITCH』第1話「WITCHES BLOW A NEW PIPE」より

 

『BURN THE WITCH』というタイトルは直訳すると「魔女を燃やせ」となるわけですが、バカに魔法をかけるのは魔女であり、そして魔女を殺す方法は火あぶりです。誰かにかけられた魔法で強くなるのではなく、自身の力で強くなれというメッセージになっているわけですが、ここでこの世界線が『BLEACH』とクロスオーバーしている意義が光ってきます。

 

BLEACH』では朽木ルキアによって死神の力を受けた黒崎一護が、その力を朽木白哉に砕かれても一護自身の死神としての力を開花させていきます。両親から授かった力をひとつの出会いをきっかけに育み、大切な人々を護りながら戦って生きていく彼の生き方を強く踏襲しているんですよね。本当に1コマ1コマに込められた想いが眩しい作品です。

 

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『BURN THE WITCH』第4話「If a lion could speak, we couldn't understand」より

 

さて、少し話は遡りますが、「魔陣隊(インクス)」という名前の通り、ブルーノはスプレーを使うんですね。隊章がスプレーで描かれていることからも、これが彼らの戦闘方法だと分かります。ここでブルーノはマスクを着用するわけですが、骸骨を模したかのようなそれは、破面を彷彿とさせます。虚化して能力を高めていた『BLEACH』を思い起こさずにはいられませんでしたが、マスクによる能力上昇の様子は見られなかったので、単純にスプレーによる霧から守るためのもののようです。

 

そしてここからの戦闘において、公式にも「封印された魔陣を解放しながら強力な技を繰り出すことが特徴」と記載がありましたが、ブルーノは「解放番号」を唱えることで2つの魔陣を解放しました。

 

1つは解放番号0575「大喰らいの影(ハンガーシャドウ)」、そしてもう1つは解放番号2028「強欲の帷(グリーディカーテン)」。

 

「大喰らいの影」を解錠する際に使ったスプレー缶にはそのインクが赤色だと書かれています。わざわざ色に関する記載があるということは、魔陣の種類や力の度合によって色が違うのかもしれません。

 

現れた影の姿を見ると、ドラゴンというより猿に近い印象を受けます。その名からも攻撃に特化した存在であることが伺えますが、それをもってしてもダメージを与えるに至らないシンデレラの強さもきちんと示されています。

 

それを裏打ちするかのように「強欲の帷(グリーディカーテン)」をものともしないシンデレラ。魔陣の名前や質感、エフェクトからして対象を覆いその場に縛るようにも思えますが、ブルーノのセリフから段階的な追加効果がありそうです。見た目のおどろおどろしさや強欲というネーミングからも、抜け出そうと外気に触れたものを分裂させたり異次元に飛ばしたりといった、妙な殺傷性を感じさせる怖さがあるんですよね。

 

それと気になったのは番号の割り振りです。『BURN THE WITCH』(=尸魂界・西梢局)の世界で使われるマジックは、『BLEACH』(=尸魂界・東梢局)の鬼道のように、番号が割り振られています。

 

基本的に鬼道は番号が大きくなるほど高度なものですが、魔陣隊による魔陣の解放番号も数字と程度の差はあるのでしょうか。魔陣の封印順の番号である可能性もありますが、いずれにせよ2000以上の魔陣封印数であるのであれば、その幅はとてつもないものです。

 

解放した存在を半永久的に使役しているのか、もしくは何らかの契約を結び一時的に協力体制を敷いているのかも分かりませんし、そもそもドラゴンに準ずる存在でもないことすら考えられるので、バトルに発展すればかなりの情報戦が期待できるのかなと思います。

 

4話という物語の動き始める話数から、童話竜という存在そのもののインパクト、そしてそれらを討伐すべく展開されるキャラクター達の怒涛のぶつかり合いにとにかく手に汗握りますが、間髪入れずにバルゴの持つ笛が突如として剣になる展開。これが一体なんなのか、また剣を見たシンデレラはなぜ動きを止めたのか。バルゴの害竜指定が解除された理由から察するに、彼が童話竜を呼び起こすきっかけになっていることが何かしら関わっていそうです。

 

そして大方の予想通り、やはり主任はとてつもなく強かったです。『BLEACH』での例えが多いのもどうかと思いますが、浦原喜助にしても京楽春水にしても、おちゃらけたキャラクターは強いイメージばかりです。

 

これまでののえるとニニーの行動を主任がどこまで把握しコントロールしていたかは定かではありませんが、今後更なる活躍が見られそうです。英雄の息子と言われていたあたり物語に大きく関わる人物の血筋なのでしょうけど、主任の暗躍する姿を2人が認識した時、どのような反応を示すかも含めて楽しみで仕方ありません。

 

最後にのえるがバルゴと再会するシーン。シンデレラとの戦闘時にバルゴの身を案じて増援要請を拒絶していたことからも、のえるの中でのバルゴの存在は徐々に大きなものとなっていることが伺えます。連載発表当初の久保先生の「ラブコメを描く」発言がこのことを指しているのかは分かりませんが、Season2以降はバルゴもより展開に絡んでいくであろうことを考えると、双方の関係にも注目です。

 

さて、そんな4話でしたが、読み返す度に新たな発見や思いつく考察もあったりしてキリがなくなりそうなので一旦このへんで。

前にも書いた通り、ここ数年マンガ作品は単行本で読むことばかりで連載から追いかけるというのは学生時代以来だったので、この1ヶ月は月曜日が楽しみになる貴重な期間でした。まずは来月に控える劇場版を待ちつつ、またSeason2の連載も楽しみにしていきたいと思います。

 

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『BURN THE WITCH』3話感想/魔女としての在り方をどう示していくのか

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(C)久保帯人集英社・「BURN THE WITCH」製作委員会

 

短期連載も折り返して3話です。キャスト情報も続々と更新されているので、やはり4話から劇場版に繋がっていくのかなと。

3話も展開としては予想していた部分もありましたが、かなりストーリーが動いたなという印象ですね。

 

「ドラゴン憑き」となりリバース・ロンドン市内へとダークドラゴンの侵入を許した原因になったことを受け、討伐対象となっていたバルゴ。彼の同行が条件となっていた任務の最中に表の存在であるはずのメイシーと遭遇し、さらにはドラゴンまで手懐けている様に困惑するニニーとのえる。

 

そこに畳みかけるようにして現れる「トップ・オブ・ホーンズ」の1人にして魔陣隊の長官ブルーノ・バングナイフ。

 

ブルーノは特段隠す様子もなく、バルゴにマントを渡すように指示したことを明かし、ザ・リアリスツの建物を破壊した犯人に仕立て上げようとします。

 

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ブルーノはメイシーをリバース・ロンドンへと連れてきたのは自分なのだと言い放ちますが、ドラゴンを見つけ育ててきたのはメイシー本人であり、彼女は「竜を見る者(ウォッチャー)」であると告げるのです。

 

「竜を見る者(ウォッチャー)」は魔力の極めて高い人間を指すとのことで、通常感知することのできないはずのドラゴンの存在を認識できる表の人のようです。『BLEACH』でも例えばドン・観音寺のように霊感が強く整や虚を見ることのできる能力を持つ人はいました。一護のクラスメイトの中にも死神となった一護の戦いに巻き込まれる中で霊感の向上が見られた人物もいましたし、もしかしたら生まれ持った魔力が高い人間の他にも外的要因によりその能力が開花するケースもあるのかなと考えたりします。

 

ブルーノの口ぶりからすると、ニニーやのえるも魔力を秘めていたためにドラゴンが見えるようになったことでリバース・ロンドンの存在を知り、魔女になったのでしょうか。偶発的なことでないのだとすると、もしかしたらメイシーをリバース・ロンドンへ連れてきたブルーノのように「竜を見る者(ウォッチャー)」をスカウトする組織があるのかもしれません。

実際、メイシーのように表でドラゴンを育てれば人間の「ドラゴン憑き」化や、ドラゴンの「黒化」に繋がる可能性は高いでしょうから、そのような事態を未然に防ぐと同時に魔女の育成を促す組織は存在していても何ら不思議ではないですよね。

 

メイシーのニニーへの好意故ののえるへの嫉妬心は漫画的にはかなりポップですし、コンビとしてもトリオとしても良い相乗効果がありそうなので、メイシーは今後魔女になるのかななんて思ったりもします。

 

というのも、ファンからしてみればアイドルが自分を魅了する魔法をかけているような感覚もあるんじゃないかと思うんですね。誰かの心を奪うことってそう簡単なことではないですし、好きという想いが募れば募るほど色濃い感情になるというか。その心のうつろいって魔法のように魅惑的じゃないですか。

 

一方で、メイシーは偽りの自分を演じるアイドル活動とそれを辞めてしまった時に何も残らないのではと恐怖心を抱えています。そんな内心を隠すメイシーは、自らに魔法をかけてアイドルの姿を世間に見せているわけです。

つまり、本心をさらけ出さずにアイドルとしての魔法を使うことで、結果としてどんどんと負の感情を蓄積させているんですね。これによってドラゴンのエリーはメイシーの感情を吸い取っていくという悪循環にも繋がっていたのでしょう。それがエリーの成長にどれほどの影響を与えていたかは分かりませんが、今回のブルーノからのスカウトに繋がっていくことになります。

 

もし本当にメイシーが魔女になる展開となれば、それはきっと彼女が好意を寄せるニニーによって救済された後でしょう。仮面を被って擬似的な姿で過ごす魔法から解放され、今度は雁字搦めになっていた過去の自分と同じような人を生み出さないためにも、魔女としてその一端を担っていくのかもしれません。

 

とまぁこのあたりはあくまでもただの予想ではありますが、実際のところ人の目に晒される存在が苦悩する事柄としてはすごくリアルな気がします。アイドルとして名声もあり華やかな世界の住民だなんて、一般的には憧れの存在なわけですよ。そんな人でも、その地位を手に入れるために失ったものもあれば、また光が強くなればその影も濃くなるように、見えない苦悩が無数にあるという現実を突きつけられました。大切なのは、困難に陥った時にどうするのか、誰を頼るのかということ。ニニーとのえるがどのようにしてメイシーに手を差し伸べるのかが非常に楽しみです。

 

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さて、取り急ぎはメイシーを逃がそうと、ニニーとのえるはザ・リアリスツの社屋を離れます。するとブルーノがリッケンバッカーというドラゴンを呼び出すわけですが、この手のドラゴンの登場は初めてですよね。

 

ドラゴンの多くはリバース・ロンドンの住民の生活を支えている世界で、対ドラゴンとしての役割を果たすドラゴンがいるのでしょうか。その矛先は必ずしもドラゴンに限る話ではないかもしれませんが、いずれにしてもメイシーが従えるエリーと、討伐対象となっていて生物学上はドラゴン扱いのバルゴを追うためだとすれば、リッケンバッカーの戦闘能力は高いことが予想されます。

 

4話ではいよいよ戦闘が繰り広げられるのか、その後の展開はどのような媒体で行われるのか…。

 

最後に気になったことを記しておきたいのですが、それはメイシーがアイドルとしての苦悩やドラゴンを拾って育ててきたエピソードを語る時のニニーとのえるの表情なんですね。

 

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『BURN THE WITCH』第3話「She Makes Me Special」より

 

メイシーへの同情と取れなくもないのですが、先程述べた通り2人にもリバース・ロンドンの存在を知らず表で生きてきた時期があったと思うんです。どのようにしてドラゴンが見え始め、リバース・ロンドンへと渡ることとなったのかは非常に気になるところですが、2人もそれぞれ似たような境遇や過去があったのかななんて思ったりもします。魔力が高いが故に抱えていた葛藤があったでしょうし、それを周囲の人々に伝えられないもしくは伝えても信じてもらえないという辛さは少なからずあったはずです。だからこそ、ニニーとのえるによるメイシーの救済は絶対に見届けたいんです。

『BURN THE WITCH』2話感想/表と裏の世界の渦に相も変わらず目が離せない

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(C)久保帯人集英社・「BURN THE WITCH」製作委員会

 

部活や塾の帰りにジャンプを読んで帰るという生活は10年以上前に終えてしまったこともあってここ数年ジャンプの作品を読む際は単行本を買っていたのですが、『BURN THE WITCH』の連載開始と共に月曜日が楽しみになりました。

 

週明けは仕事が立て込みがちではあるものの、それをふまえても月曜日を謳歌している感じがあって良いですね。(実際は死んだ目でデスクに向かっている。)

 

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さて、ニニーが表世界で所属するCD2(セシル・ダイ・トゥワイス)に関するニュースから幕を開けた2話。

 

読めば読むほど、あと2話で終わるのかという疑念が強まります。

封が切られた映画のPVで読切版や1話のシーンがあったので、公開のタイミングを考えると上手い具合に劇場版と繋げていくのかなとも思ったりしますが。

 

冒頭、CD2のメンバーのひとりであるメイシー・バルジャーが1週間前に突然の脱退を発表し、さらにはニニーがメイシーをこき下ろしたとされる動画が流出したと報道されます。

 

それをテレビ越しに見守るの影。姿は描かれませんが、テレビを壊した者をエリーと呼んでいることからもメイシーであると思われます。

 

エリーと呼ばれているそれは後にドラゴンであることが明らかになりますが、メイシーはここでエリーに触れていることから既に「ドラゴン接触禁止法」に違反していることなります。

1話で説明がありましたが、ドラゴンに接触することで体内に「ドラゴトキシン」と呼ばれる物質が蓄積され、一定の数値を超えることで「ドラゴン憑き」となるわけです。

 

また、ドラゴンは接触した人間の負の感情を徐々に吸収して「ダークドラゴン」となることも説明がありましたが、報道を見て何らかの感情を覚えたメイシーに反応したエリーがテレビを壊していると取れます。これまでのストーリーから推測できる不穏な導入と事件への伏線が清々しいほどにスタイリッシュです。

 

一方ののえる。生活の一部を切り取ったコマからは、そこがのえるの部屋ではないかと見て取れます。ここでドラゴンに関する説明が再びされていましたが、読切版や1話での内容とは異なるドラゴンの種類がありましたね。2話ではライフラインの一端を担っているドラゴンの紹介が多い印象を受けました。

 

電波中継や交通機関といった部分までその影響が及んでいるとは、思いのほか近代的なんですね。また、植物栽培をする「プランティポッティ」の表情の豊かさやその役割には、どこかの魔法使い達の世界観を彷彿とさせずにはいられません。実際のところのえるやニニーは魔女であるわけで、想像以上に魔法の世界が投影されているのがリバース・ロンドンなのだと感じました。

 

そんな感覚に追い打ちをかけるかのように、表の新聞に魔法認証(マジックスキャン)なるものを行うことでバルゴにリバース・ロンドンの新聞記事を読ませるのえる。

詠唱とマジックにばかり気を取られていましたが、魔法の力は様々なようですね。ここでの魔法は、のえるの力によるものなのか、それとも新聞にかけられた魔法が魔女によって呼応したものなのかは分かりませんが、まだまだ息を飲むような魔法が登場しそうな予感があります。

 

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『BURN THE WITCH』第2話「Ghillie Suit」より

 

ところで、ここでののえるの家はドラゴンがいることからリバース・ロンドンであると判断できるわけですが、彼女らの主な生活圏は表ではなくリバース・ロンドンなのでしょうか。

 

のえるもニニーも表からリバース・ロンドンへ行く際に「出勤する」と口にしていたので、表での生活が基準にあり、その上で任務があればリバース・ロンドンに向かっているのだとばかり思っていました。

 

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週刊少年ジャンプ』2018年33号より

 

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『BURN THE WITCH』第1話「WITCHES BLOW A NEW PIPE」より

 

表ではのえるは学生、ニニーはアイドルとしてそれぞれ本業があるわけなので、表との生活と仕事を円滑に行うために魔女にはリバース・ロンドンで住まいが手配されるのか。

 

それとも、「裏の建物を壊せば表の建物も同じように壊れる」らしいので、表と裏の家の場所は全く同じで、どちらの世界にいるかによって置かれている物や機能性に違いがあるのでしょうか。

 

そのあたりは本筋と大きく関わるか分かりませんが、いずれにせよリバース・ロンドンでドラゴンが暴れて建物が壊されれば表でも同様に建物が損壊することを考えると、「トップ・オブ・ホーンズ」が市内にダークドラゴンの侵入を許した事態を重く受け止めるのも納得はできますよね。そのせいでバルゴの処遇をどうするかという議題があがり、ブルーノが動き出したわけですから。

 

しかしまぁ、家でドラゴンと戯れるのえるは表情がいつもより豊かに見えます。ラフな格好もギャップで良いですし、ニニーとの関係性が垣間見れるのもグッとくるものがあります。

ニニーからの電話で表示されるアイコンは、日常でのえるにカメラを向けられた彼女の素の表情に他なりません。人からの視線を常に浴びるアイドルであるニニーがあのように照れているのは、のえるへの好感の証といえるでしょう。

 

また、主任からの休日出勤を言い渡され断りを入れるも、報酬とポイントの羽振りの良さを聞いて互いに任務に向かうことを察するのも、信頼の高さと意思の疎通が良好であることを示しているわけですね。

 

任務に駆り出されたのえるとニニーは、エリーと呼ばれるドラゴンを従えたメイシーと遭遇します。エリーの力で建物を破壊するメイシーのその口ぶりから彼女を裏で操る存在が見え隠れしますが、この場にブルーノが姿を現すのも何か関係性があるかもしれません。

 

元はと言えばのえるとニニーの管轄外である爆発を目にしたことで現場であるザ・リアリスツの社屋に来たわけですが、その場に急行するであろう2人の性格を知る者が手引きをしていたのだとすれば、そこにブルーノを居合わせるように仕組むことも出来たはずです。それがバルゴの処遇について決定を下す、もしくはその動向について報告を受ける立場にいる者であれば…と考えなくもありません。『BLEACH』の藍染惣右介のこともありますからね。

 

兎にも角にも相変わらずの引きの上手さで痺れました。目いっぱいに風呂敷を広げることのできない残り話数だと考えると、落とし所やその先の展開は気になるばかりです。

 

それが起こるということは危険のサインとも言えますが、やはりバトルシーンを見たいというのが正直なところ。3話も楽しみです。

『BURN THE WITCH』読切版&1話の感想/気づけばこの世界の虜になる魔法にかかっていた

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(C)久保帯人集英社・「BURN THE WITCH」製作委員会

 

久保帯人先生の最新作『BURN THE WITCH』の連載がついにスタートしたということで、当初予想していた長期連載ではなくあくまでも短期連載のようではありますが、かつて読みかじったあの世界観を再び堪能できることに大きな喜びを感じています。

 

2018年に読切版として掲載された本作は、シリーズ連載と映画化が同時に発表されました。

 

あれからおよそ2年。本日発売の週刊少年ジャンプ38号より連載スタートしたことを受け、2018年発表の読切版を読み返した後にさっそく1話のページを開いたので、読切版と1話の雑感を記しておこうかと思います。

 

ネタバレありなので、未読の方はぜひ先に本誌をお読みいただければと思います。

 

 

 

 

まずは読切版について。

2年前に幾度となく読みましたが、やはり何度読み返しても面白い。

 

久保先生の『BLEACH』以来の作品なわけですけど、キャラデザの秀逸さやコマ割りのセンス、セリフまわしやギャグのキレの良さなどとにかく「あー久保先生だなあ」と懐かしさと嬉しさの感情の波が押し寄せてきました。『BLEACH』大好きなんです。間違いなく最も読み返した漫画。

 

で、『BLEACH』とは無関係だと思われていた本作ですが、ページをめくっていくとどこか似た設定であると所々で感じなかったでしょうか。

 

はじめは思い過ごしかと思うのですが、次第にオマージュが多すぎるように感じ、最後にその世界線が同じであることが示唆されます。

 

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週刊少年ジャンプ』2018年33号より

 

「尸魂界・西梢局」の文字にハッとしましたよね。尸魂界は『BLEACH』に登場する死後の世界。のえるが電話ボックスで下りた世界は、リバース・ロンドン。ただの地下世界ではなくあの尸魂界だったわけです。(現時点ではリバース・ロンドンが亡くなった者が行き着く場所だと明言されているわけではありません)

 

そして、西梢局についてですが『BLEACH』でルキアが現世で発見された際に、「東梢局」という名が登場しました。

 

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BLEACH』第6巻 51話「DEATH 3デス3」より

 

これはつまり、尸魂界は日本だけに留まらず世界中に存在し、東洋と西洋で管轄が分かれているということです。

 

このことをふまえると、『BURN THE WITCH』に登場する世界観も『BLEACH』とリンクすることが逆説的に明らかになってきます。

 

のえるやニニーは魔女としてドラゴンを退治するわけですが、一見構図として霊を魂葬する死神のように思えます。ただ、ドラゴンが人間の負の感情を吸収し人に害を為すダークドラゴンに変貌するという点から、「ドラゴン=整(プラス)」、「ダークドラゴン=虚」が正しそうですね。

 

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BLEACH』第1巻 1話「Death & strawberry」より

 

バルゴがドラゴンと相見えたことで「ドラゴン憑き」となったのも、虚に出会ったことで死神の力を与えられた一護を彷彿とさせます。オスシちゃんが再登場しているのも、一護とコンの関係を思い起こしますよね。

 

そして極めつけのラストページ。『BURN THE WITCH』の中に『BLEACH』の文字が。

 

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週刊少年ジャンプ』2018年33号より

 

2作に感じていた繋がりがより明らかになり思わず膝を打ちました。いやこの突きつけ方…こんなの震えますって。

 

Wについている傷は、門が壊れた際に入ってしまったヒビによるものです。ここで何が起きたのかについても今後描かれそうですが、もしかしたら大きな伏線になるのかもしれません。

 

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週刊少年ジャンプ』2018年33号より

 

「この世界は終わらないー」というエピローグも、のえるとニニーの物語はもちろん、これから描く世界は始まったばかりでまだ終わらせないということを示していたのでしょう。

 

2人はどのような活躍を見せてくれるのか期待に胸が膨らむわけですが、のえるとニニーのキャラクターとしての造形がとにかく良くて魅力に溢れている。スタンプを押すだけで、2人はこんな性格だぞ!と教えてくれているかのような1コマもたまりません。

 

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週刊少年ジャンプ』2018年33号より

 

何度だって読めてしまう、圧巻の読切版。久保先生はこれを家族に読ませるためだけに作っていたなんて…世に送り出してくれてありがとうございます。

 

 

そして待ちに待った記念すべき1話。まず、読切版での世界観の説明も盛り込みつつ、短期連載ということでかなりテンポを意識しているようには感じました。

 

読切版でも触れられていたドラゴン・ロンドン・魔女などの設定部分を改めて落とし込みながら、その後のストーリーとして展開。そして読切版には出てこなかった設定や存在を明らかにしながら、今後何かが起こりそうだという予感をじわじわと感じさせてくる。余計なものを削ぎ落として研ぎ澄まされたかのような1話はさすがとしか言いようがありません。

 

しかし1ページに集約される情報量はどうしたって多くなりますよね。1話でも新情報が次々と明らかになりました。

 

まずはじめにマジックについて。

冒頭でのえるが詠唱をするわけですけど、これは『BLEACH』の死神でいうところの鬼道だと思っていいでしょう。さっそく久保ワールド炸裂です。

 

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『BURN THE WITCH』第1話「WITCHES BLOW A NEW PIPE」より

 

ここでのえるが使っているのはマジック#31「ブルー・スパーク」ですけど、この数字を鬼道に置き換えると、破道の三十一が「赤火砲」なんですよね。名前からしても色が青と赤、属性という点で見ても雷と火だとするとこの2つの技は別物のようです。ブルーから連想する鬼道といえばこちらもお馴染み「蒼火墜」ですが、「赤火砲」は『BLEACH』の原作・アニメにおいて最も登場頻度の高い鬼道なので、この31というのは使用されることの多い番号として割り振られているのかもしれません。

 

任務を遂行したのえるとニニーはリバース・ロンドンにおける報酬や実績ポイントを反映させています。数字で評価制度が可視化できるようなので、これらを元に昇格や他の隊への異動などがあるのでしょう。ニニーが戦術隊への入隊意欲に燃えているところを見ると、実績ポイントは大きな指標になるようですね。

 

2人はバルゴがドラゴン憑きというイレギュラーな形でリバース・ロンドンの保護下に置かれていることから、彼を管理する役目も担っていくことになります。ドラゴン犬のオスシちゃんの制御ができなくなったことで市民への接触危機へと繋がるわけですけど、バルゴはそのキャラクターで嫌われる存在ではないにせよ、魔女/魔法使いではない者からすれば厄介者として見られているようです。

 

ロンドンなのにオスシちゃんというネーミングとその表情、そこにバルゴの憎めない言動が重なってかなりシュール。ギャグシーンではあるのですが急にスイッチ入ってドラゴンの登場まで急展開になったりするので気が抜けないし、ギャグとバトルの温度差が展開のシリアスさを一気に引き上げるんです。このあたりのバランスも本当に絶妙で、とにかく見入る。世界に入る。

 

そのような中できちんと、しかしさらりと、「ドラゴン保険」「ドラゴトキシン」「黒化(ライツアウト)」などといった世界観の設定に触れていくのだから、その構成力には舌を巻くばかりです。

 

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『BURN THE WITCH』第1話「WITCHES BLOW A NEW PIPE」より

 

戦いの最中で場面は変わり、WB最高意志決定機関「トップ・オブ・ホーンズ」が登場します。読切版では触れられなかった存在がまた明らかになりましたね。

 

名前から察するに『BLEACH』の「中央四十六室」にあたる機関かとは思いましたが、集まる面々がどうやら各隊のトップクラスのようにも感じるので、どちらかというと「護廷十三隊」に近いのでしょうか。

 

議題としてはドラゴン憑きであるバルゴの処遇について。0話から1話までおよそ1ヶ月が経過しているようですが、その間に幾度となくオスシちゃんとバルゴによる一連の騒動が繰り返されたのでしょう。

 

この後「トップ・オブ・ホーンズ」が何かしらの決議を下してのえるとニニーが関わっていくのでしょうけど、最高意志決定機関メンバーの名前が彼ら自身または所属する隊の特性をあしらっていると思われる表記になっていたので、戦闘が行われる事態となればその全貌も見えてきそうです。

 

久保先生の伏線の散りばめ方が上手いのは周知の事実なので1コマずつ隅から隅まで舐めるように読みたい一方で、ページをめくる手がまるで止まらないというもどかしさ。

じっくり読んでいたかと思えば少しページを戻ってみたり、かと思えばどんどんとページをめくる手が早くなる…そんな久保先生の手のひらの上で踊らされている感覚を覚えながらも、非常に濃密な読切版&1話になっています。

 

また、アニメやグッズの情報なども公開されたので、この熱量のまま『BURN THE WITCH』の世界に浸ろうと思います。

 

ところで読切版でも1話でもバルゴがのえるのパンツを見ているあたり、芸が細かい…。

早くパンツ続きが見たいです。

 

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アメコミ作品が好きな人に一石を投じる『ザ・ボーイズ』をオススメしたい

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(C)Amazon Studios.

 

アメコミ映画はもはや市民権を得たコンテンツのひとつ。DCEUやMCUが多くのファンを獲得している理由は目を見張るような映像美だったり洗練された脚本だったりと様々かと思うのですが、その根底にあるものはヒーロー達の持つ魅力だと思うんですよ。

 

もちろん戦闘能力の高さやスーツのかっこよさといった表面上の魅力も確かにあると思うのですが、皆が思い浮かべる魅力的なヒーローってそれだけじゃないですよね。

 

生まれ持った能力がある故に葛藤を抱える者、落ちこぼれとしての扱いを受けながらも能力を得て這い上がっていく者、人一倍の正義感を持っているからこそ特別な能力を他人のために使う者…。

ヒーローたる所以は「心」とか「魂」とか、そういう内なる何かが魅力に直結していると思っていて。

 

ヒーローの数だけ魅力は存在し、そしてそれらが作品の土台として確かに息づいているからこそ、それらをクロスオーバーさせた『アベンジャーズ』シリーズはあれだけの成功に至ったのではないでしょうか。

 

逆に能力者がその力をただただ犯罪に使ったり私利私欲のためだけに活用しているのでは、我々もそこに魅力は見い出せないでしょう。

 

あのサノスに大きな魅力があるのは、ヴィランとして描かれた彼にも己の信条を貫くだけの覚悟を持っていたからであって、強さを誇示して闇雲に人をなぎ倒すだけの存在であったならばあれほど人々を惹き付けることもなかったでしょう。

ヒーローとヴィラン、それぞれの“正義のぶつかり合い”があるからこそアメコミ映画は輝くのです。

 

しかしながらこれほどアメコミ映画が流行している中で、「ヒーローは、本当に正義の味方だろうか。」などと薄ら笑いで問いかけてくる作品があるんですよ。Amazonオリジナルドラマの『ザ・ボーイズ』っていうんですけど。

 

2019年にAmazonプライムビデオでシーズン1が配信開始されるとアメコミファンをはじめ多くの人の支持を集め、配信から2週間でAmazonプライムビデオの最高視聴数を更新するなど、とにかく話題となったんですよね。何だかんだ見るのが先延ばしになっていたのですが、来月からシーズン2が配信されるということでこれを機に見てみたところ、これがまぁ面白い。世にヒーロー作品の文化が根付いた今だからこそ、面白さが増長される感覚すらある。

 

物語の舞台は、様々な特殊能力を持つ限られた人々がヒーローとして活躍する現代社会。ヒーロー達は「ヴォート社」という巨大企業に属しており、犯罪事件の解決に一役買うこともあれば、映画やCMなどの芸能活動にも駆り出される。世間的にもスーパースターであり、特に選ばれし7人のヒーローは「セブン」としてその名を轟かせています。

 

主人公のヒューイは平凡な青年で、例に漏れず子供の頃からセブンの大ファン。しかし彼は、セブンのひとりであり高速で走ることのできるヒーロー「Aトレイン」が恋人と衝突したことで、目の前で恋人を亡くしてしまいます。肉片が目の前で飛び散り、繋いでいた恋人の手がもげている惨状を目の当たりにし怒りに震えるヒューイ。事件を示談で済ませようとヴォート社のやり方に絶望するヒューイでしたが、ブッチャーと名乗る怪しい男にヒーローへの報復を持ちかけられます。

 

ヒューイがセブンに近づいていくにつれ、莫大な富と名声を得ているヒーロー達の本当の顔が次々と暴かれていきます。世間への姿は仮の姿、その実情は性行為の強要やドラッグの使用、事件の隠蔽などを行うヒーロー達の腐りきった世界でした。ヒューイはブッチャーと共に仲間を集め、スーパーヒーロー達に一矢報いていくのです。

  

 

上述の通り『ザ・ボーイズ』はヒーローを倒すべく能力を持たない一般人が立ち向かうアンチヒーロー作品です。何が皮肉かってヒーロー達のビジュアルや能力がキャプテン・アメリカ、スーパーマンワンダーウーマン、アクアマン、クイックシルバー、フラッシュなどMARVELやDCのヒーローに似せて作られているんですよ。

 

そして、本作が単なる娯楽作品に留まらないのは、ヒーローという輝かしい存在の裏での行為が現代社会を痛烈に風刺している作風であることが大きな要因だと言えます。

 

それは権力を振りかざした組織による政治問題への介入だったり、スターが薬物依存となっている実情だったり、著名人が女性を卑下する腐った事情だったり…。

そんな諸問題をヒーローないしは彼らを支配下におく組織の人間が裏で行っているという事実。ヒーローという眩しい存在による行為だからこそその闇も深く目に焼き付くんですよ。

 

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』や『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』などでも「ヒーローの行いによる被害」について言及されることがありました。しかし、『ザ・ボーイズ』は「正義による結果」が問題なのではなく、そもそものヒーローの人間性が腐敗しているんですね。

 

一方で、世間から注目の的であるヒーローだからこそ抱く不安や葛藤も描かれ、苦悩するヒーローの心情もフォーカスされます。セブンという選ばれし者に名を連ねるために手段を選ばないヒーローの姿には人間の弱さや脆さも垣間見え、シナリオに深みを与えているんです。

『ザ・ボーイズ』に登場するクズなヒーローを見ると他作品のヒーローの正義感をより感じるのも皮肉すぎて笑っちゃいますよね。

 

『スモーキング・ハイ』や『ネイバーズ』、『ソーセージ・パーティ』などでお馴染みのコンビ、セス・ローゲンエヴァン・ゴールドが製作総指揮を務めているあたり、納得のブラック具合。エロもあればグロもある。ヒーローが出てくるけれどR18。それが『ザ・ボーイズ』。

 

シーズン2の配信を控えさらにはシーズン3のキャスト情報も徐々に解禁されているので、これからまだまだ熱くなっていきそうです。

『どうぞ愛をお叫びください』感想/ゲーム実況動画好きにはたまらない熱さと爽やかさを兼ね備えた1冊

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www.shosetsu-maru.com

響け!ユーフォニアム』シリーズ著者が贈る、爽快度120%の最旬青春小説!そう銘打たれた武田綾乃先生の最新刊は、爽やかでありながらも確かな熱を帯びた1冊だった。

  

『どうぞ愛をお叫びください』。YouTuberとして活動を始める男子高校生4人組の生き生きとした日々を紡ぐ青春物語だ。

 

近年の将来なりたい職業ランキングで上位に来るYouTuber。人気YouTuberともなればバラエティ番組やテレビCMでその姿を目にすることも多くなってきた。毎日の動画投稿を心がけるYouTuberも多いため、彼らのアップする動画が日常に欠かせない存在となっている人もたくさんいることだろう。

 

そんなYouTuberとしての活動を共にしていこうと、動画編集が趣味の松尾直樹(ばしょー)は同じクラスの織田博也(ノブナガ)から誘われ、同じクラスの坂上明彦(田村まろ)、1つ年上の夏目拓光(そうせき)と共にYouTubeチャンネルを開設。ゲーム実況グループ「どうぞ愛をお叫びください」(略して「愛ダサ」)としてゲーム実況動画をアップしていく。

 

本作は今やすっかり市民権を得たYouTuberというクリエイターにゲーム実況という軸を据えている。次から次へと場面転換のあるゲームのプレイ風景をどのようにして活字で展開していくのだろうと思っていたのだけれど、なるほど『愛ダサ』はまさに「読むゲーム実況動画」の側面も持ち合わせていた。

 

登場するゲームはマリオカートスマッシュブラザーズなどいずれも実在するソフトとなっている。もちろんゲーム機もNINTENDO64Wiiプレイステーションといったハードが出てくるため、馴染みのある人からすると見知ったゲームを登場人物らがプレイする様にワクワクすることだろう。

 

ゲーム自体をあまり知らない人のためにも、ゲームのタイトルが登場するとそれがどのようなゲームなのか説明書きが入るため、とてもイメージがしやすい。そして録画が始まるやいなや、愛ダサメンバーが実に軽快にテンポ良く実況をスタートする。始めこそ4人のセリフが被ったりテンションが分からなくなってしまったりと苦戦をするのだが、彼らは鋭い感性で少しずつ軌道修正をして魅力的なゲーム実況に仕上げていく。収録シーンを読み進めていたはずが、気付けばゲーム実況動画が脳内再生されているのだ。

 

対戦ゲームで思わず口が悪くなってしまったり、白熱するとゲームの操作音が激しさを増していくなどのゲームあるあるネタも満載で、まるで自分が学生時代に友達と家に集まってゲームに熱中していた頃を思い出して感慨深さを抱きながらもページを進められる。

 

そもそもYouTuberになるにあたり様々な動画のジャンルが存在する中でなぜゲーム実況を選んだのかというのはぜひ『愛ダサ』を読んでばしょーの分析力を感じてほしいのだけれど、本作はそれだけでなくて、とにかく武田先生のゲーム実況に対しての愛が強く感じられる。

 

本を開く前に以下のインタビューを拝読したのだが、武田先生は大のゲーム実況動画好きなのだそう。特にお気に入りなのが4人組の「ナポリの男たち」とのことで、僕自身「ナポリの男たち」のメンバーである「すぎる」がユニット結成前の個人実況動画をよく見ていたこともあって、とてつもなく親近感が湧いた。

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ゲーム実況動画にもいくつかジャンルがあって、それは実況者の反応をより楽しむことのできる完全初見実況だったり、難易度の高いゲームの攻略方法を落とし込んだ解説実況だったりするわけだけど、特に前者の動画はとにかく実況者の人となりに惹かれるされるケースが多い。4人組ともなればワイワイと楽しげにゲームをプレイするスタイルがオーソドックスだろうが、なんと言ってもメンバーの掛け合いが最大の魅力だろう。ゲームを進めながら行われる実況や解説、メンバー間の会話は実に小気味よく、その空気がフランクだからこそ自分も同じ部屋でゲームに参加しているような感覚に陥る。「ナポリの男たち」はまさにそれを象徴するようなユニットだし、「愛ダサ」の構成を考えるにあたって踏襲された部分もあるのではないだろうか。

 

「愛ダサ」の活動名をそれぞれの名字から連想する歴史上の人物からもじっているのは人気ゲーム実況コンビの「幕末志士」から来ているのだろうか、他にも4人組のゲーム実況者「ボルゾイ企画」や「最終兵器俺達」などからヒントを得ている部分もあるのだろうか、などと勝手に考えるのもゲーム実況好きとしてとても楽しい。

 

僕もゲーム実況動画投稿の経験があるので、「愛ダサ」メンバーが動画投稿を始めたばかりの言い知れぬ高揚感には共感するところが多かった。始めの頃はコメントが1つ付くだけで嬉しかったし、2,3桁の再生数を推移していたものが1000回再生、5000回再生、10000回再生…と徐々に再生数を伸ばした時にはちょっとした達成感すら感じたものだ。始めたての実況者なんて3桁再生すら届かず動画が埋もれてしまうことなどざらにある。だからこそYouTuberを始めたてのばしょー達の期待と焦燥に揺れる気持ちも痛いほど分かってしまう。

 

動画投稿者の多くは人気YouTuberの動画を見て「自分もこんな面白い動画を撮って、たくさんの人に見てもらいたい!」と意気込んで活動を始めるものだ。それが実際始めてみたら全く再生回数が伸びなかったりする。最初はそんなものだろうと割り切って投稿回数を重ねても大抵の場合は期待通りの結果にならず、大手実況者の凄さを痛感すると共に自分は何が悪いのだろうとマイナスなところばかりに目がいく。

 

作中でも語られているが、始めから動画が伸びるのは芸能人などネームバリューのある人のものか、よほど企画力や話術に優れたものだ。大事なことは継続して動画をあげて投稿者としての認知度を高め、ファンを獲得すること。動画投稿は動画自体の質ももちろん大事だが、戦略や運の要素も含まれる。飽和状態である以上、面白い内容でも見られなきゃ伸びない。どんなに面白い実況動画だって、人々に再生されなければそれが面白いかどうかの判断も下されないのだ。

 

『愛ダサ』はそんな実況者目線の戦略的な要素も十二分に楽しめる。まずは動画を見られるようにする、当たり前のようで最も難しいことだがこれがとになく重要だ。そのためには動画投稿時間を固定化して人が多く集まる時間帯に動画をアップしたり、投稿頻度を増やして少しでもたくさんの人の目に触れさせたり、サムネイルのデザインも工夫して見た人が気になるものにしたり、他の動画の関連動画に表示されるようにタイトルをいじったりと、考慮するべき点はいくつもある。「愛ダサ」メンバーは焦燥感に駆られながらも、それらの戦略を仲間内ですり合わせを重ねて活動を続けていく。

 

だが、ある程度の知名度を得ると今度はアンチの存在がチラつくようになる。これはもう多くの人の目に触れることとなれば必然とも言えるが、心ないコメントの数々は高校生には少々毒が強いことだろう。残念ながらメンバーも心ないコメントに傷心することとなる。この一連の流れには、若くして才能を評価されて2作目にしてアニメ化や映画化までされた作品を世に送り出した武田先生がひとりの作家として思うところがあるのだろうか。そんなことを考えずにはいられない。

 

「愛ダサ」メンバーがYoutuberとしての活動を通して感じることは、かけがえのない人間関係の尊さや自分が本当に打ち込みたいことへの信念など、きっと動画投稿者に限らないことなのだろうと思う。そんなまっすぐな物語は主人公を高校生という青春真っ只中の年代にしているからこそ瑞々しさが増してとても眩しい。

 

『どうぞ愛をお叫びください』はゲーム実況好きにはたまらない1冊であることは間違いないが、ゲームやYouTubeに馴染みのない人にも多く刺さる熱さを持った作品になっている。皆さんぜひ手にとって、どうぞ愛をお叫びください。

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サイン本も購入できたので大切にしたいと思います。