それでもやるのが主人公

それでもやるのが主人公

主に映画の備忘録。ファーストインプレッションを大切に。

『ホテル・ムンバイ』感想/テロに巻き込まれた絶望的状況の中、あなたは。(ネタバレあり)

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実話を元にして作られた映画の好きなところのひとつとして、映像体験をよりリアルに受け入れられる点がある。

 

実在する人物の物語だと予め認識しておくことで、登場人物が壁にぶつかれば「それを乗り越えてほしい」とより強く願うし、幸せを手にすることができれば「本当に良かった…!」とより深く感じる。偉業を成し遂げた人のエピソードであれば「こんな凄い人がいるのか」と尊さを覚え、同時にその事柄を知るきっかけにも、教養を得ることにも繋がる。

それらを体験していた人が実在しているということから、いざ自分がその状況に陥っていたらと無意識のうちにシュミレーションして、登場人物に自然と感情移入ができる。

 

予告動画が解禁された当初から気になっていた『ホテル・ムンバイ』をようやく鑑賞することができた。予定の兼ね合いなどもあって日本での公開から3週間ほどが経っているが、かなり好評とのことは知っていたのだが、なるほどこれは…。

 

扱われる台座も重いので、ゆっくりと整理していきたい。

 

 

 あらすじ

 

 

インドの巨大都市ムンバイに、臨月の妻と幼い娘と暮らすアルジュンは、街の象徴でもある五つ星ホテルの従業員であることに誇りを感じていた。

 

この日も、いつも通りのホテルの光景だったが、武装したテロリスト集団がホテルを占拠し、“楽園”は一瞬にして崩壊する。500名以上の宿泊客と従業員を、無慈悲な銃弾が襲う中、テロ殲滅部隊が到着するまでに数日かかるという絶望的な報せが届く。

アルジュンら従業員は、「ここが私の家です。」とホテルに残り、宿泊客を救う道を選ぶ。

 

一方、赤ん坊を部屋に取り残されたアメリカ人建築家デヴィッドは、ある命がけの決断をするのだがーー。

 (公式HPより抜粋)

 

 

 監督・キャスト

 メガホンをとるのはアンソニー・マラス監督。

これまで短編映画で高い評価を受けており、今作は長編映画初監督にしてトロント国際映画祭の出品作に選ばれる。

 

主演はデヴ・パテル。『スラムドッグ$ミリオネア』や『チャッピー』、『LION/ライオン 25年目のただいま』など、数々の名作ですっかりお馴染みの顔だ。今作では五つ星ホテルの従業員を演じる。

2018年『君の名前で僕を呼んで』での好演を見せたアーミー・ハマーを始め、『ハリー・ポッター』シリーズのジェイソン・アイザックス、インド映画ではお馴染みのアヌパム・カーらも出演し、名もなき英雄たちに命を吹き込む。

 

 

 ムンバイでの同時多発テロについて

 今作は2008年にインド最大の都市ムンバイで同時多発的に起こったテロ事件を題材としている。

駅や病院、レストランといった人が多く集まる場所で武装したテロ集団が銃を乱射し、無差別に殺人を行った。多くの人々を巻き込んだこの事件は死者170名以上、負傷者230名を超える大惨事となった。

 

商業的機能を持ち合わせたエリアでの出来事だったこともあってその場に居合わせた多くの外国人観光客も犠牲となり、世界が心を痛めた。これだけの大事件でありながら、首謀者は未だ捕まっていないという。

 

今作はその中でも「タージマハル・ホテル」での出来事にフォーカスされている。

突如としてテロリストに占拠されてしまったホテル。実行犯らはまだ青年で、その言動やふとした時の表情には幼さも見える。

 

そしてこれはノンフィクション。故に、テロリストは見つけた者は無差別に殺していく。フィクション映画ではいかにも生き残りそうな登場人物だって関係なくテロリストの手にかかってしまうのだ。

 

 

 生き残るためのひとりひとりの行動が共存を生む

 ホテルでのテロ行為に巻き込まれてしまう様々な人々に焦点をあて、今作は実に多角的にストーリーを展開していく。広いホテルで多くの人々にスポットをあてていくも決して間延びせず、実際には約3日あった出来事を2時間でまとめている。

 

ホテルという場所柄、従業員数以上に宿泊客がいる。国籍や性別はもちろん、人種的にも経済的にも宗教的にも様々の人々が混在している。

 

そしてテロリストの首謀者は排他主義であり、敵対感情を実行犯の青年らに説いて洗脳していた。これらはつまり多様性に富んだホテルの宿泊客への攻撃を意味し、そこに一切の慈悲はない。ホテル内の全ての人々がテロリストのターゲットであり、存在を脅かされている。危機的状況の中で国籍も文化もバラバラの人々がいかにして団結して生き残るかが最大の見どころだろう。

 

その日たまたま居合わせた、ホテルの従業員や宿泊客、付近でのテロ行為からホテルに逃げ込んだ人々。国籍も宗教も違えば文化や経済状況も異なる。だが、違いはあれど、理解はできる。それが団結するための第一歩だ。

人々が互いへの理解を示し、生き残ろうと強く願うシーンがいくつも見受けられた。

 

シーク教徒のアルジュンは子供の頃から外ではターバンを外したことがなかった。避難先のラウンジではその姿から不安がる年配の女性がおり、料理長のオベロイはアルジュンをキッチンに下がらせようとする。アルジュンは宿泊客を思い、ターバンを外してほしいと願うならそうすると申し出るが、彼の家族写真とその誠意ある行動に落ち着きを取り戻し、申し出を断る女性。

結果的にはテロリストに撃たれた別の女性の傷口を塞ぐためにターバンを外して止血を試みるアルジュンの勇姿には心を打たれた。

 

アメリカ人建築家デヴィッドの妻、ザーラはイラン系の女性だった。そのため、テロリストがホテルを占拠し始めた際は隣の席のロシア人実業家ワシリーから、頭に被って奴らの仲間だと思わせろとスカーフを投げられる。

ラウンジではアラブ語を使って電話をする彼女に、嫌悪感を示す女性がいた。アルジュンの姿に不安がっていたあの女性だ。危機的状況の中でここで場をおさめようと動いたのはワシリーだった。

ザーラにとってレストランで食事をしていた時からワシリーへの印象は良いとは言い難い。しかし、後に夫と離れ離れになってしまうザーラの不安を汲み取り、何かと気にかけていたのは他でもないワシリーだったのだ。

 

互いを理解し、思いやり、団結する。

それこそが共存するための必要なことだ。

 

一方で、テロ事件に踏み込んだ青年たち。その行為に同情の余地はないが、彼らの様子は洗脳により一時的な迷いも見せた。首謀者からに指示されるがままに引き金をひいて人々を殺める彼らだったが、家族へ電話して愛情を伝え泣き叫ぶ姿は子供そのもの。

銃口を突き付けられコーランを唱えるザーラを殺すことが出来なかったのも、信念がなかったからだ。

人助けのために躊躇せずにターバンを外したアルジュンとの対比が明確になった瞬間だった。

 

 

 映画化の意義

今作は製作陣による入念なリサーチによって当時の出来事をなるべくリアリティを持って撮影されたらしい。アンソニー・マラス監督の意図として「国籍も文化も違う人々が団結して最悪な状況を乗り越えた。この事実を映画を通して伝え、後世に残したかった」のだそう。

なるほど、納得の臨場感と丁寧な作りこみ。響き渡る銃撃音と悲鳴とは裏腹に、ホテル内の人々もテロリストの青年らも描かれ方は切なく儚いものだった。だからこそフォーカスされていた登場人物ひとりひとりの言動が心に沁み、まるで自分もホテルの宿泊客のひとりとなったかのような引き込まれ方だった。

 

エンドロールではテロ事件の概要と、ホテル再開時のセレモニーの様子が実際の映像と共に流れる。心無しか脈が早くなっている自分に気付き、ここで落ち着かせる。

日本は平和だからテロなんて起こらない、そんなことはとても言えない。情勢が異なるとて、自分の目の前で突如として残虐な行為が起こる可能性だってある。タージマハルホテルにいた人だって、たまたまそこにいただけ。

 

事件について調べてみると、被害者の中には日本人の方もいたのだそう。たまたま仕事でムンバイを訪れ、たまたまチェックインの時間がテロと重なり、帰らぬ人となってしまう。この一連のテロ事件を風化させずに、警備体制の強化や貧困格差の対策などに繋げ、同じようなことを起こさないためにも、映画として扱った意義が際立つのではないだろうか。

 

劇場を出る際、エレベーターが混んでいたため階段を使った。時間はちょうど昼食をとりたく頃。ドアの向こうの眩しい日差しを目にし、ホテルからの脱出劇を今の今まで観ていた身としては、その光景にありがたみを感じざるを得なかった。

映画『ジョーカー』の大ヒットにアーサーの笑い声が聞こえる

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10月4日から公開が始まった映画『ジョーカー』が大ヒットしている。

ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、日本での公開前から海の向こう側では絶賛の嵐。そんな歓喜の声が聞かれた中で始まった日本での公開からおよそ2週間。日本では2週連続1位を記録している。そしてなんと、2週連続の1位はアメコミ原作の映画では2012年公開の『アメイジングスパイダーマン2』以来、実に7年ぶりというではないか。

これは、他作品のラインナップなどの関係はありつつも、興行収入世界1位を記録した『アベンジャーズ/エンドゲーム』ですら達成することのできなかった記録である。

  

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当たり前といえば当たり前なのだが、ここまでのヒットは当然ジョーカーという世界屈指の悪役に多くの熱狂的なファンがいてこそである。言うまでもなく、原作の人気は絶大なものだ。加えて、『バットマン』、『ダークナイト』、『スーサイド・スクワッド』といった映画においてジョーカーの魅力はより濃く、深く、世界中に浸透していった。

だが、日本の映画市場は海外市場の後を追うことにはならなかった。2008年の『ダークナイト』は多くの映画ファンを魅了し、その年の世界興行収入1位を達成するも、日本では国内興行収入33位とふるわない。

 

先に挙げた『アベンジャーズ/エンドゲーム』もそうだ。公開初週は見事に1位を獲得しメガヒットへと好スタートを見せるも、2週目にその座から引きずり下ろしたのは『名探偵コナン 紺青の拳』だった。さすがコナンいったところではあるが、やはり日本と海外に温度差ともいえる違いを感じずにはいられない。

 

それでも『ジョーカー』は予想を超えるヒットを見せている。ここまでの広がりには様々な要因があるだろうが、その中でもかなりのウェイトを占めるのは口コミであり、主に発信元をSNSとした際に、そこにはピエロの仮面が見え隠れする。

 

インターネットが普及し、世界中に情報を発信することも、他人の感想を回収することも容易にできてしまう現代。それらはSNSなどの媒体で意図せず得られてしまうことだってある。

例えばTwitterのタイムライン。例えばInstagramのストーリー。例えばYouTubeの動画広告。

インターネットの海をぼんやりと眺めているだけでも、映画がヒットしている数値的情報や周囲の人々のレビューの数々が波となって押し寄せてくるのだ。「これだけの興行収入や観客動員数を獲得しているのか」「あの著名人が絶賛している映画なのか」などと思う情報があれば、誰だって少なからず興味を持つはずだ。

 

バットマン』を前面に出していないこともヒットの結果に結びついている。

シリーズ物やスピンオフ作品ともなれば、敬遠する人は多いが、『ジョーカー』は「バットマンの敵役の誕生日秘話!」といった打ち出しではない。あの姿と名前を聞けば、アメコミファンなら誰もがピンとくるだろう。そうするとアプローチの対象は劇場鑑賞が年に数回程度の、いわゆるライト層だ。

だからワーナー・ブラザースも20代〜30代をメインターゲットに、広告展開をしたのだそう。それが功を奏し、話題になった時には既に「CMや周りの人が騒いでいるから頭の片隅にはある『ジョーカー』という存在」が出来上がっている。

 

思えば『アメイジングスパイダーマン2』のマックスも、承認欲求が認められない日常を過ごす中で事故によりその存在を企業に消されたことでヴィランとなった。自分の意志に関係なくエネルギー電気を放つことでスパイダーマンと対峙し、テレビ中継されたことで自分の存在を世間に知らしめた事実に酔いしれ、姿だけでなくその精神までもがエレクトロへと変貌していく。

 

『ジョーカー』ではアーサーが世間に注目されるコメディアンとして拍手を浴びる姿が、彼にとっての喜劇として描かれた。自らが愛するジャンルを生業とし、人々を笑いの渦に包み込む。それが現実となるならば、アーサーはオーディエンスからの多大なる承認を受け取るだろう。

 

承認欲求を満たす意味でもSNSの存在は偉大だ。匿名性もあるが故に、思ったこと感じたことを自分の言葉で世にぶちまけられる。そんなSNS(口コミ)を経て、『ジョーカー』という物語を知るきっかけや、理解を深める機会を得ているというのは何とも皮肉である。同時に昨今のSNSの影響の大きさとピエロの仮面を被って暴れる群衆の姿がどうにもリンクしているように感じ、何とも恐ろしい。

ジョーカーの存在によって社会への不満が爆発し暴徒化したゴッサムシティは、さながら炎上した人や物に対して誹謗中傷を浴びせるネット社会だ。それぞれのアイコンはピエロの仮面であり、アカウント名はジョーカー。マレーにはそう紹介してもらおう。

 

アーサーが職を失ったことやカウンセリングの保障制度を打ち切られたことも、現代社会において起こっていることではないか。『ジョーカー』は世界をゴッサムシティに置きながら、どこまでも我々の身近なところに存在している。だからこそ鑑賞後にはこれほどまでに恐ろしい感情を覚えるし、アーサーの笑い声がずっと耳に残っている。

MCU俳優主演のおすすめ映画5選

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2019年7月、『アベンジャーズ:エンドゲーム』の全世界での興行収入が27億9020万ドルに到達し、『アバター』の27億8970万円を超えて歴代1位となった。

 

日本円にしておよそ3000億円の大記録。

約10年に渡り描かれてきたMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の集大成ともいえるこの作品が多くのファンを魅了している事実を改めて感じられることは実に素晴らしく、ファンとして嬉しく思う。

 

そんなMCUではこれまで何人ものヒーローが登場し、それぞれの作品に華を添えてきたわけだが、ファンが各作品・各ヒーローの虜になるのは俳優陣がヒーロー達の魅力を引き出しているからこそだろう。

 

今回はそんなMCU俳優らが主演を務める作品に限定し、その中でもおすすめしたい映画を5本紹介していく。きっとファンにはそれぞれ、好きなヒーローや好きな俳優がいることだろう。

隠れた名作の紹介というわけにはいかないが、この記事が好きな俳優の見たことのなかった側面を知るほんの小さなきっかけになれば幸いだ。

 

 

ジャッジ 裁かれる判事

 

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アイアンマンことトニー・スタークを演じたロバート・ダウニー・Jrが主演を務める。

 

主人公は、有能でありながらも金のためなら有罪を無罪にもしてしまう弁護士、ハンク。

父のジョセフは世間でも評判の良い判事だがハンクは若い頃に田舎を飛び出し、父とは絶縁状態にあった。

そんな中、ジョセフの住む町で殺人事件が起こり、ジョセフは殺人容疑をかけられる。

苦手とする父ではあったが、正義の人間が殺人を犯すはずはない。そう信じるハンクが裁判を通してこれまでの人生で捨ててきた過去を取り戻していく作品。

 

上映時間142分と長く派手さはないが、様々なテーマをはらんでおり登場人物の背景も見事に描かれている。

 

ダウニー・Jr主演ということでの紹介となるが、父ジョセフ役のロバート・デュバルの演技も非常に惹かれる。『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』などで知られる彼だが本作でハリウッド映画賞の助演男優賞を受賞し、圧倒的な存在を放った。

 

また、脚本を手がけたニック・シェンクは、クリント・イーストウッド監督兼主演の名作『グラン・トリノ』、今年日本で公開された『運び屋』でも脚本を執筆した人物だ。本作でも彼の手腕が遺憾無く発揮されている。

 

最後に、ダウニー・Jrは2010年に妻のスーザンと共に「チーム・ダウニー」という制作プロダクションを立ち上げており、その最初の作品となったのがこの『ジャッジ 裁かれる判事』。このような背景をふまえて鑑賞すると、ダウニー・Jrの作品の作り手としての意図も見えてくるかもしれない。

 

 

『gifted/ギフテッド』

 

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生まれつき著しく高度な知能を持つ人やその能力は、ギフテッドと呼ばれる。分かりやすく言えば天才だ。

 

この作品はそんなギフテッドである7歳の少女メアリーとクリス・エヴァンス演じる叔父フランクが絆を深めていく中で訪れる親権問題を発端に、彼らにとっての本当の幸せを追求していくハートフルストーリーとなっている。

 

家族の定義や子育ての在り方などが多様化する近年だが、そこに特別な才能を持つギフテッドならではの苦悩を織り交ぜながら物語は進行していく。

 

メアリーの母親は将来有望だった天才数学者だった。そんな姉が願った「娘には普通に育ってほしい」という意志を継ぎ、フランクは戦う。

キャプテン・アメリカ』や『ファンタスティック・フォー』などヒーローの印象が強いクリス・エヴァンスだが、彼の人間味溢れる真っ直ぐさが本作にはぴったりだ。

 

監督は『(500日)のサマー』や『アメイジングスパイダーマン』などのマーク・ウェブ。

メアリーとフランクの過ごす何気ない生活の1 コマですら見事な演出で撮りきる技術に注目していただきたい。

 

そしてもうひとつ、メアリーを演じる子役のマッケナ・グレイスが素晴らしい。

マーク・ウェブ監督に「彼女がいなければこの作品は作っていない」とまで言わしめた、今後が楽しみな子役。きっとこれからも様々な作品でその名前を見ることになるだろうと思う。

 

 

『白鯨との闘い』

 

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灯り用に使われる鯨油をとるために捕鯨が盛んに行われていた時代に30メートルを超える伝説の白鯨に返り討ちにあい、漂流してしまった男達の死闘を描く。

 

アイアンマン、キャプテン・アメリカと並んでMCUBIG3と呼ばれるソーを演じたクリス・へムズワースが、周りからの信頼が厚く何頭もの鯨を仕留めてきた一等航海士を熱演している。

 

名著『白鯨』の原点ともなった実話を描ききった本作はよりリアルに感じてもらうためにも、出来ることならばなるべく大きな画面で部屋を暗くして観てもらいたい。

人間にとって自由の効かない広大な海に放り出された漂流者を相手に襲いかかる白鯨の姿は見るだけで絶望感に襲われ、恐怖を感じる。極限状態に陥った船員達の言動や狂気の表情も相まってその感情は更に増幅する。映像美も見事であり、圧巻の描写の数々だ。

 

と、ここまでタイトルの通り人間と白鯨の闘いを描いた作品であると述べてきたが、本作は決してパニック映画などではない。ここは『白鯨との闘い』という邦題もミスリードとなっているが、原題は『IN THE HEART OF THE SEA』。この部分をふまえて観ていただければ、鑑賞後の感想にズレが生じることも少ないだろう。

 

ちなみにMCUスパイダーマンのピーター・パーカーを演じるトム・ホランドも出演しているので、併せて注目してもらいたい。

 

 

『ルーム』

 

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アベンジャーズ:エンドゲーム』で大活躍だったキャプテン・マーベルを演じたブリー・ラーソン。彼女がアカデミー賞ゴールデン・グローブ賞など多くの賞を受賞し話題になったのが『ルーム』だ。

 

5歳の誕生日を迎えたジャックは生まれた時から、ブリー・ラーソン演じる母親のジョイと施錠された狭い[部屋]で暮らしている。

彼は母親と共に監禁され、生まれてから1度としてこの[部屋]から出たことはなかった。ジョイは息子に外の世界を教えるため、脱出を試みる。

世間から隔離されてきた親子が社会に適応し自分達の人生を取り戻していく過程を描く作品だ。

 

この映画、実際にあった事件を元に作られているから驚きだ。

モチーフとなったのは、オーストラリアで女性が父親に24年間監禁され、性的虐待を受けて子供7人を出産したという「フリッツル事件」。

この背景を元に、単なる親子愛を描くに留まらず性的虐待や望まぬ形での出産による家族の問題、マスコミ騒動などといった社会的問題を混在させており、出演者の心打つ演技の数々に目を離せない作品に仕上がっている。

 

MCUヒーローズでもトップクラスの戦闘力を誇るキャプテン・マーベルだが、この作品でのブリー・ラーソンは息子を愛する強くも弱くもある母親だ。

僕は『キャプテン・マーベル』よりも先にこの作品を鑑賞していたこともあって、ブリー・ラーソンには母親役の印象を強く抱いていたためヒーロー役の彼女に違和感を覚えていたこともあったが、イメージの異なる役柄を演じる姿を見ることでキャプテン・マーベルの捉え方も感慨深さが増したように思う。

 

 

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

 

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最後に紹介したいのは、これまで観てきた映画の中でもトップクラスに好きなこちらの作品。

 

第2次世界大戦時、解読不可能と言われたドイツの暗号エニグマを解き明かすべく結成されたチームの一員である若き天才数学者アラン・チューリングの苦悩の人生を描く、実話をベースとした伝記映画だ。

 

主演は、『アベンジャーズ:エンドゲーム』のキーマンの1人ともいえるドクター・ストレンジを演じた実力派俳優、ベネディクト・カンバーバッチ

テレビドラマシリーズの『SHERLOCK/シャーロック』でも天才を演じた彼は、やはり頭脳明晰な役柄が良く似合う。天才らしい奇人ともいえる独特の雰囲気、しかしどこか愛嬌を感じる人柄で感情に語りかけてくる演技が素晴らしい。そして、孤高の天才だがその裏側で世界を救う姿は、人柄こそ違えどどこかドクター・ストレンジと重なるようにも思える。

 

アカデミー賞で脚色賞を受賞した本作は、進行する時間軸をコントラストで巧みに表現して時代の移り変わりに変化を持たせ、時代背景や人物描写を描ききっている。

観終えた後に一度今作の史実について調べてみると、アラン・チューリングの功績をより俯瞰的に見ることもできて面白いだろう。

 

 

以上、ここまでMCU俳優らの主演するオススメ映画を紹介してきた。

 

もちろん、これらはおすすめしたい作品群のごく一部にすぎない。今回はより出番の多い作品の紹介ということで主演作に絞り記してきたが、また機会があれば間口を広げての紹介やレビューも面白いかもしれない。

 

ヒーローとは違う、俳優陣の役者たる所以を感じながら、それぞれの作品に浸ってもらいたい。

台風による自宅軟禁につき映画館へ行けないので年内公開予定の映画に想いを馳せる

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タイトルと画像が妙にリンクしていること気づいたけれど、そっちの意味での軟禁ではないのでご安心を。あっちは軟禁ではすまない。

 

今回の台風19号は相当の規模なようで。

電車の運休や取り止め、高速道路が一部区間で通行止めになるなど交通機関への影響は大きい。スーパーやコンビニでは食料品の品切れする店舗が続出しているといった報道も見られ、TVやSNSを通してヤツの大きさが物語られている。

3連休の初日を映画館で過ごす予定だったが、さすがにそれも叶わない。窓の外は激しい雨風。大人しくしていよう。

 

2019年も早いもので1年の3/4が過ぎてぼちぼち今年の個人的映画ランキングを考え始める映画ファンも多いことだろうが、しかしながら、年末までまだまだ楽しみな作品が多いことも事実である。

 

本日観に行くつもりだった作品は日を改めるとして、公開スケジュールの整理という意味でも年内公開作品をみてみると、早く観たい映画が目白押しだ。

今回は公開前の特に楽しみな映画5作品について、公開スケジュールや概要の整理という意味でもまとめていこうと思う。

 

 

ゾンビランド:ダブルタップ』(11月22日公開)

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ゾンビランド』が10年ぶりに帰ってきた。

謎のウイルスが世界中に蔓延し、壊滅的状況となった地球。まさしくゾンビランドと化した舞台で、ルールに則って生き残ってきた4人が再び集結する。

 

メインキャストが一堂に会し、監督も『ヴェノム』のルーベン・フライシャー、脚本も『デッドプール』のレット・リースとポール・ワーニックと、それぞれ続投ということで楽しみである。

 

そういえば世界観をリンクさせながらも、予告もどこか『デッドプール』のおちゃらけを感じさせる。

海外ドラマ『ウォーキング・デッド』でゾンビブームが再燃する昨今だが、明るくもスリリングな懐かしくも新しい世界に期待したい。

 

 

『ドクター・スリープ』(11月29日公開) 

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傑作『シャイニング』の続編となる本作は、2013年に発表されたスティーヴン・キング原作のホラー小説を元とする。ホラーが苦手な僕としては観たくない…でもとてつもなく観たい、そんな作品だ。

 

『シャイニング』でまだ小さな子供だったダニーのその後を描いているが、予告では2人の女の子が手を繋いでこちらを見ていたり血飛沫が押し寄せてきたりとお馴染みのシーンが映るほか、ドアからのぞくあのシーンもあるようだ。

ジャック・ニコルソンの怪演をユアン・マクレガーが引き継ぐこととなるのだろうか。

 

怖いものみたさ以上に、作品の素晴らしさを目の当たりにしたいという欲が強まる。

 

 

ジュマンジネクスト・レベル』(12月公開予定)

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世界50ヶ国以上で興行収入1位を記録し大ヒットを収めた『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』の続編。

ゲーム盤での出来事が現実となる…そんな危険なゲーム“ジュマンジ”を巡るアドベンチャー作品だ。現実世界に戻るには、ゲームをクリアするしかない。様々な苦難を乗り越え、ゲームクリアを目指す…!

 

そんなワクワクする物語の原作は、1982年に発表された絵本。1996年に映画され、それが設定・登場人物などがアレンジされて作られたのが、昨年日本でも公開となった『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』だった。

今回の続編ではドウェイン・ジョンソンをはじめ前作のキャスト続投に加え、砂漠や雪山といった新たなステージも登場するようだ。分かりやすい設定で頭を空っぽにして観られるという印象を強く受けているが、大ヒットを経ての2作目ではタイトルの通りネクスト・レベルに期待したい。

 

 

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(12月20日公開)

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2016年に公開され、日本アカデミー賞最優秀アニメーション賞をはじめ世界各国で賞を受賞した『この世界の片隅に』。3年の歳月を経て、新たなエピソードを追加し描かれるのがこの作品だ。元々は昨年末に公開を予定していたが、より質を高めた作品に仕上げたいとの意向で公開が延期されたのだそう。

 

本作の主人公はすずさんだが、周囲の人物にもスポットを当てることで、さらにいくつもの人生が描かれる。

この世界の片隅に』を観た時は笑いそして泣いたが、観終えた時に残った蝋燭の火の揺らめきのようなふとした温かさをもう一度感じたい。

 

 

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(12月20日公開)

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2019年大注目の作品のひとつだろう。スカイウォーカーの一族の物語に終止符が打たれるということで、拝みに行かないわけにはいくまい。

 

新たな情報や予告動画が解禁される度に、ファンの間では様々な憶測が飛び交う。まず、この過程が何より楽しい。シリーズの絶大な人気を感じると共に、世界規模のお祭り騒ぎに参加している感覚は、ビッグネームならではのものだ。

 

前作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ではまだ疑問を残すところもあり、シリーズを通しての謎もあるが、それらに対してどのような答えを打ち出してくるのか。それはファンの期待に応えてくれるものなのか。

 

レイやカイロ・レンの行く末は?予告に映るライトセーバーは一体?パルパティーンの笑い声が聞こえるということは登場もある?そもそもレイは何者なのか?

その全てをスクリーンで観られるその日まで、過去作を今一度見返して宇宙の戦いに備えたい。

 

 

公開予定作品を待ちながらも、シリーズ物は過去作を改めて観返しておきたいし、2019年公開で劇場で観なかった作品にも触れたい。家に篭りっぱなしの今日は、そんな日にしてみよう。

【ポケモン】なぜ『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は『ポケットモンスター キミに決めた!』になれなかったのか

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早いもので2019年も残り3ヶ月を切った。

今年も何作も映画を鑑賞しているが、その中で最も疑問の残った作品が『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』だ。

この手の話は鑑賞直後か年末などの節目に記していくものだろうが、いわゆる2019年映画ランキングなるものを考えてみても観る作品数が50作前後の着地を予想する、数が多くない僕としてはここから大きく評価が変わることもなく、年末を迎えてしまうことだろう。それならば、このなんとも中途半端なタイミングで考察してみるのも、同じことだ。

 

僕は親に初めて映画館に連れて行ってもらった時に観た作品が『ミュウツーの逆襲』だったと記憶している。真っ暗な空間での大きなスクリーンと音響の迫力に感動したのだろう、幼い記憶ではあるがその時のことは今でもよく覚えているのだ。

それからもテレビアニメやゲームなどの媒体でポケモンに触れる時間を重ねた。僕は特撮やディズニー、ドラゴンクエストファイナルファンタジーではなく、ポケモンで育ってきた。

 

そんな中であろうことか思い出深い作品のリメイク、『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』を観た後には戸惑いを感じた。

その理由は単純で、「リメイクをした意義が見いだせなかったから」である。

 

一方、2017年に公開された『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』は完全リメイクではなかったが、シリーズ20周年に際して原点回帰しながらも1本の映画として新たな側面も見せてくれる、納得いく作品となっていた。

 

同じポケモンで過去作を元としている『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』と『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』の2作品における違いについて考えてみると、その理由も明らかになってくる。

 

映像についてはいずれの作品も過去作に比べて技術は格段に向上している。

 

今作での『ミュウツーの逆襲』はフル3DCGでの試みだった。サトシ一行が荒れた海を渡るシーンやミュウツーとミュウの空を駆けてのバトルなどではその技術がより映え、迫力ある映像に仕上がっていた。

しかし、3DCDが活かされていたのは主に風景やバトルエフェクトであり、人間キャラクターの動きや表情への違和感は拭えなかった。サトシが主人公となるポケモンという作品においてこれは致命的だろう。

 

その点、今年公開された『名探偵ピカチュウ』は実に巧みな作りだったといえる。

毛がフサフサなピカチュウ、きめ細かな肌感のリザードン、鱗を持ったコイキング。予告動画で我々の感じたポケモンに対する違和感は、アニメやゲームでのポケモンしか知らなかったからだ。逆を言えば、現実世界において生き物がアニメーションとして動いていたら、それこそが大きな違和感となる。

『名探偵ピカチュウ』で実写版ポケモンとしての世界観を採用し、ポケモンをCGにした上でさらに1匹1匹を必要以上にリアルなデザインとしていたのは、現実世界で人間と共存するポケモンを描きたかったからだ。

 

 

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『キミにきめた』はデジタル導入によるアニメーションでの作りとなっていたが、特に目を丸くしたのはバトル描写の数々である。

細かなコマ割と迫力満点のエフェクト・音声でライバルのポケモンエンテイ、ホウオウ達との白熱したバトルを演出している。その全てにおける立体的なバトルシーンと色鮮やかなグラデーションによって引き立たせる興奮。僕の観たいポケモンがそこにはあったのだ。

 

視覚的な違いは明らかだが、前述の“『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』をリメイクした意義が見いだせない”というのは、ストーリーに対する部分が主となる。

確かに多くの人々の心に残る『ミュウツーの逆襲』のオリジナルを、現代の技術を駆使して再びスクリーンで体感できる幸せは大いに感じた。声優陣もほとんどオリジナルの時のままで、進化した技術と共によって得られるエモーショナルな映像体験がそこにはある。

だが、ストーリーはほぼ変わらなかった。また、新たな要素を盛り込むわけでもなかった。

それどころか残念だったのは、物語において重要なシーンとなるオリジナルでの「フジ博士の娘アイ」の存在がカットされていた点だ。

 

オリジナルの完全版では冒頭、フジ博士が事故で亡くなった娘のアイを生き返らせるため遺伝子の研究を行い、その過程でミュウツーが生まれたことが描かれる。研究成果によって作られたアイのコピーであるアイツーは、覚醒前のミュウツーとコピーのフシギダネゼニガメヒトカゲと培養器の中で交流する。そこでミュウツーは、アイツーに生き物の感情や涙の意味を教えてもらう。

これがミュウツーの自己の存在意義に対する問いや、物語終盤でのポケモンとそのコピーとの戦いと涙への関わりを強めるのだが、その布石が微塵もなくなっているのだ。そのため、終盤の着地に合わせた強引な展開が目立ち、どうにも自らの知識でメッセージ性を補完せざるを得ないように感じてしまい、気持ちが乗り切らなかった。

 

一方の『キミにきめた!』は冒頭でのサトシとピカチュウの出会い、オニスズメからピカチュウを守るサトシの愛情に触れ彼のパートナーとなることを決めるピカチュウが描かれるが、これはアニメの1話をリメイクする形となっているものの、以降の物語はオリジナルで進行していく。

 

始まりこそマサラタウンからの旅立ちとなるが、タケシやカスミのお馴染みのメンバーは登場せず、出てくるポケモンカントー地方の種類に限らない。地方やポケモンのいわゆる“世代”の混在に戸惑いを感じるものの、だからこそ懐かしくもあるが同時に新しくもあり、飽きがこない。その中でもバイバイバタフリーなどのファンの目頭を熱くさせるストーリーも織り交ぜながら、緩急のある構成となっていた。

 

物議を醸したピカチュウが喋った描写については思うところもあるが、「当初はピカチュウに喋らせる予定だったが、声優の大谷育江さんがあまりにもポケモンらしい演技だったため、鳴き声のままいくことにした」という裏話もあるので、ifというところでやってみたかったことを盛り込んだのかと考えるとタイミングとしてはこの作品だったわけで。手放しで褒めようとは思わないが、概ね満足なのである。

 

つまりは、リメイクにおける懐かしさと新しさを同時に成立させることに対して、この2作のベクトルは違ったのだ。

ミュウツーの逆襲』が「オリジナルポケモンvsコピーポケモン」や「アニメでのオリジナルvs3DCGでのコピー」の構図からその葛藤を描いているとすると、『ミュウツーの逆襲』と『キミにきめた』についても近しいことを感じられるのではないだろうか。

 

2018年に公開された『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』では、人間とポケモンの関係性を再確認できるストーリーとなっており、2017年公開の『キミにきめた』からの系譜だと感じていた。テレビアニメ『ポケットモンスター サン&ムーン』は2016年から放送されているが、当時作画崩壊とまで言われたキャラデザも、小さな子供により親しんでもらうためだと解釈していた。それらを踏まえると、『ミュウツーの逆襲』を知らない層へのアプローチという側面は強かったのだろう。

ならば、『ミュウツーの逆襲』でもう少し“勝負”しに行ってもよかったのではないかという念が余計に強まってくる。ある意味神格化されてもいるし、元々のテーマが強い作品であるが故に、難しい問題が山積みであったことは察するが、結果としてはその土台にすら乗らなかったことは残念でならない。

『ジョーカー』感想/彼の人生は喜劇か、はたまた悲劇か(ネタバレあり)

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1度見たら忘れられない、緑の髪と白塗りの肌に大きく裂けた真っ赤な口。不気味な表情を浮かべ、あらゆる非人道的な手段でゴッサムの市民を恐怖のどん底に突き落とす。

そんな狂気のヴィラン、ジョーカーはバットマンの敵でありながら世界中で人気を誇る。

 

これまで何人もの俳優によって演じられてきたジョーカーだが、中でも2008年に公開されたクリストファー・ノーラン監督作『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーはまさに主役を食う圧倒的魅力。世界でも高い評価を受け、アカデミー賞をはじめ数多くの受賞歴を持つ。

 

今作も海外での公開後は絶賛の嵐となり非常に期待を持っていたのだが、予告動画を見るだけでも昨今のアメコミ映画とは一線を画す空気が尋常ではない。

 

ヴェネチア国際映画賞で最高賞を受賞し、他映画賞へのノミネートにも期待が寄せられる今作、鑑賞後の余韻が怖くもあるがはたして。

 

 

 あらすじ 

 

本当の悪は、人間の笑顔の中にある。

 

「どんな時も笑顔で人を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。

 

都内の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる〈悪のカリスマ〉ジョーカーに変貌したのか?

 

切なくも衝撃の真実が明かされる!

 

(公式HPより抜粋)

 

 

 キャスト・監督

アーサー・フレック/ジョーカー(ホアキン・フェニックス)

大道芸人をしながらコメディアンになることを夢見る。笑いの発作を持ち、周りからは気味悪がられることもあり、徐々に憎悪を溜めていく…。

 

マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)

アーサーが好きなコメディ番組の大物司会者。

 

ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)

アーサーが密かに想いを寄せるシングルマザー。アーサーと同じアパートに娘と住む。

 

ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)

アーサーの母親。貧困格差が激しいゴッサムにおける富裕層の象徴的存在のトーマス・ウェインに手紙を書き続ける。

 

 

監督はトッド・フィリップス

ブラッドリー・クーパー出演の『ハングオーバー!』シリーズやロバート・ダウニー・Jr主演の『デュー・デート〜出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断』などのコメディ映画で監督を務めることが多かったが、米アカデミー賞ノミネート作品ともなった『アリー/スター』では製作を務めるなど、様々なジャンルで手腕を発揮している。

 

 

 ジョーカーを生んだのは僕自身か、それとも社会か

ひたすら暗く、濃く、重い。

少しずつ心を抉られるような。

終始その狂気に怯えるような。

 

凶悪なヴィランであるジョーカーが誕生するまでの物語を描きR15指定となっている今作だが、残酷なのはそのグロ描写ではない。

彼への共感によって“誰もがジョーカーに成り得る”ことを明確に自覚してしまうことだ。

 

アーサー・フレックは笑いを愛しコメディアンになりたいと願いながら、介助を必要とする母親と貧しく暮らす。ゴミだらけの街、住んでいるのは劣化したアパート、やせ細った身体。劣悪な環境だが、稼げずとも自分が好きな大道芸人としての仕事を続けている。

社会的弱者の彼の言葉に誰も耳を貸すことはなく、誰かに笑いを届けたいただそれだけの想いであったにも関わらず貶める一方。

 

努力してきたことや好きなものに対して結果が伴わなかったり上手くいかないことは誰しもが経験することだろう。コンプレックスを抱えたり人を羨むことだって誰しもが思うことだろう。そんな事柄に対して自分のことを何も知らないよそ者が、勝手なことを言ってくる。怒らないはずがない。

 

また、アーサーのおかれる立場から、自らの環境に置き換えて鑑賞した人も少なくはないのだろうか。

学校や会社の環境、それを取り巻く家族や友人、先輩や後輩、恋人…ストレスなく生きている人間などいない。精神的にきつい状況に陥った時、何を思うだろうか。

この作品でのアーサーは、誰もが抱える心の闇をむき出しにされ容赦なく痛めつけられる。「失うものがない人間ほど怖い者はいない」とはよくいうが、テレビを通しアーサーのコメディを貶めて笑いをとるマレーをはじめ多くの人間によって、アーサーはコメディアンへの夢、母親への愛、まだ見ぬ父親への想い、その全てをズタズタにされて失ったのだ。

 

周囲の環境さえ違えば、ジョーカーは生まれていなかったかもしれない。そもそもゴッサムの街としての機能がここまで落ちぶれていなければ取り巻く人間関係もさほど悪くはなっていなかったことも考えられる。

だが逆にいえば、人々の憎悪の積み重なりによってゴッサムという環境が出来上がってしまったともいえる。結局行き着くところは同じだろうか。人間という思考し哲学し共存する生き物である以上、仕方のないことなのだろうか。

 

 

 アメコミ映画としての今作

DCコミックスから生まれたジョーカーだが、今作はひたすらにダークな世界観にこだわっている。エンタメ性豊かなアメコミ映画らしさは排除され、社会的な一面をまざまざと見せつけられた。

 

タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』といった狂気的ともいえる作品へのオマージュも見られ、2作同様に光を求めるがあまり闇に堕ちていく様は観ていて苦しい。このあたりは、ロバート・デ・ニーロのキャスティングも見事だといえる。

 

しかし、違う方向で別作品を意識していることもあったようだ。

2012年、アメリカのコロラド州で『ダークナイト ライジング』上映中に銃乱射事件が起きた。死者12名、ケガ人70人以上を出す大惨事となったが、捕まった犯人が髪を染め、逮捕時にジョーカーを名乗っていたことがあり、現場となった映画では『ジョーカー』の上映を見送ったのだ。また、遺族は映画の影響力を考慮し、銃規制の働きかけをしてほしいとワーナー・ブラザーズへ訴えた。

『ジョーカー』が公開となったニューヨークでは映画館に警察官を配備し、厳戒態勢を強化する対応がとられるなど、ジョーカーを及ぼす影響の大きさが伺える。それほどまでに、アメコミ映画は世界中を熱狂させ、多くのファンを獲得してきたのだ。

 

アベンジャーズ:エンドゲーム』が大ヒットし世界興行収入歴代1位を記録するなど、MARVEL映画の勢いが止まらない昨今。直近の数作では『アクアマン』や『シャザム!』などのコミカルな作風も送り出しているDCだったが、今作はここにきてある意味問題作ともいえる作品に仕上がっている。

 

 

 悪を描くバランスの難しさ

魅力的なヒーロー映画は、ヒーローのみならず得てして魅力的な敵が存在しており、その敵もまたヒーロー同様に正義を持っている。単なるアクションだけではなく、正義と正義のぶつかり合いがあるからこそ作品として深みが生まれる。

 

アーサーは社会的に弱い立場であり、精神的な病を持つ。だが、世の犯罪者は皆が同じ境遇だろうか。もちろんそうではないだろう。

だからこそ、大道芸人が凶悪なヴィランとなるまでを描くこの作品において、中途半端は許されない。ヴィランになるべくしてなったと思わせるだけの悲しい過去を描き切る必要があった。

 

かといって、観客の共感を誘いすぎると凶悪な一面を損う。貧しいから、病気だからというところにフォーカスしすぎると差別として見られてしまう。

ここのバランスが非常に難しく、今作ではその瀬戸際をいっていた印象を受けている。そしてそれは紛れもなく、主演ホアキン・フェニックスの演技で成り立っているといえる。撮影のために20キロ以上減量し臨んだというプロ意識と、頭から離れない高らかな笑い声。

フィクションだという認識を赦さず、心を休ませる隙を与えない作品へと昇華させる、まさに怪演である。

『ジョン・ウィック:パラベラム』感想/その男は愛の記憶のために生きる(ネタバレあり)

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研ぎ澄まされたアクションの数々で話題を呼んだ『ジョン・ウィック』シリーズの3作目が公開となった。

 

妻を病気で失い、愛犬を殺され、何も残っていない失意の男が裏組織への復讐をしていく。キアヌ・リーブスの狂気漂う演技と流れるようなガンアクションとカンフーを組み合わせた「ガンフー」は今作でも思う存分観られることだろう。制作陣も続投とのことで期待も高まる。

 

 ※以下ネタバレを含みます

 

 

 

 あらすじ

 

 

裏社会の聖域:コンチネンタルホテルでの不殺の掟を破った伝説の殺し屋、ジョン・ウィック

全てを奪ったマフィアへの壮絶な復讐の先に待っていたのは、裏社会の秩序を絶対とする組織の粛清だった。1,400万ドルの賞金首となった男に襲いくる、膨大な数の刺客たち。満身創痍となったジョンは、生き残りをかけて、かつて“血の誓印”を交わした女、ソフィアに協力を求めモロッコへ飛ぶ。しかし最強の暗殺集団を従えた組織は、追及の手をコンチネンタルホテルまで伸ばして、ジョンを追い詰める。

果たしてジョンは窮地を脱出し、再び自由を手にすることができるのか!?

 

(公式HPより抜粋)

 

 

 キャスト 

ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)

かつて裏社会で伝説の殺し屋と呼ばれた男。生前の妻残した愛犬を殺されることで元の世界に戻り、復讐に燃える。前作で裏社会の掟を破り、追われる身となる。

 

ソフィア(ハル・ベリー)

かつてジョンと血の誓印を結ぶ元殺し屋で現コンチネンタル・モロッコの支配人。

 

バワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)

地下に潜む裏組織を束ねる情報屋。ハトを使って街を掌握する。

 

ウィンストン(イアン・マクシェーン)

コンチネンタルホテル・ニューヨークの支配人。ジョンとの付き合いは長く、信頼関係も厚い。

 

ゼロ(マーク・ダカスコス)

ジョンを追い詰める刺客。一方でジョンへの憧れを抱く側面も。

 

シャロン(ランス・レディック)

ジコンチネンタルホテル・ニューヨークのコンシェルジュ。ジョンへの敬意を忘れない。

 

ディレクター(アンジェリカ・ヒューストン)

ジョンの育ての親ともいえる人物。その顔は、孤児を集めて暗殺者を養成するルスカ・ローマの首領。

 

 

シリーズ1,2作目に続きメガホンを取るのはチャド・スタエルスキ。『マトリックス』シリーズからキアヌを知る彼が、今作でもその手腕を発揮する。

 

さらに、これまたシリーズを牽引してきたデヴィッド・リーチが製作総指揮を務める。今年公開の監督作『ワイルド・スピードスーパーコンボ』では、ドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムによるド派手なアクションを見せつけた。

音楽や脚本、撮影陣も本シリーズから続投となっており、最新作でもどのようなアクションで我々を驚かせてくれるのか、期待に胸が踊る。

 

 

 凄まじいアクションは健在

 シリーズの代名詞ともいえるアクションシーンは、今作でも圧倒的に多彩かつ高クオリティだ。

ガンアクションとカンフーを織り交ぜたガンフーはもちろん、犬を従えての攻防、馬小屋やバイクに乗った路上など様々なシチュエーションでの戦いとあの手この手で目を見張る激しいアクションシーンが放たれた。状況に応じて全てのものが武器と化す柔軟でスタイリッシュなアクションに目を丸くする。

 

物語は『ジョン・ウィック2』の直後から描かれる。ホテルコンチネンタルの「ホテル内で殺しをしてはいけない」という掟を破ったことで、ジョンは賞金首となる。次々と襲ってくる刺客を相手に、冒頭から既に手負いとなってしまうジョン。

従来のアクション映画と違い、今作では上映して間もなく、主人公が怪我を負っているのだ。満身創痍の中で追っ手から葬っていく様は常に生と死が隣り合わせ。この製作陣だからこそのアクションシーンの多彩なアイデアが生み出す新たな極地だったといえる。

 

 

 愛の記憶のために生きる

失意の中で裏社会に舞い戻ってきたジョン。愛犬を殺されたことが引き金となったわけだが、それは単に犬を殺されたから復讐をしているわけではない。ジョンは殺し屋から足を洗って裏社会と決別し、妻との人生、いわば表社会を生きることを選んだ。最悪の人との生活は決して長くは続かなかったが、妻の病死があってもジョンは裏社会に戻ることはしなかった。それは妻が亡くなってからも、最も彼女を感じられる犬がいたから。犬が妻の代わりとなりジョンに寄り添っていたからだ。だが、そんな唯一の救いともいえる犬を、無残にも殺されてしまう。それはジョンを表社会に繋ぎ止めていた存在がいなくなってしまったことを意味する。

 

今作でも犬の意味することは重要だ。

主席連合の人間と話すため砂漠を訪れた際、死に方について「殺し屋として死ぬか」「妻を愛し、妻に愛された男として死ぬか」を問われる。その答えが「妻ヘレンとの思い出を忘れない」ため左手の薬指を落とすことに繋がった。

主席連合に仕える“犬”としての道を選ぶのだ。

 

妻との思い出でもあり、ジョンを再び裏社会に戻すきっかけともなり、今作でソフィアがジョンに手を貸す決意にも繋がったのが犬だ。ホテルコンチネンタルでの主席連合の部隊との戦いにおいて、ウィンストンはジョンを“猟犬”と位置づけた。

だが、この猟犬は決して主席連合の従順な犬にはならなかった。

 

ジョンはウィンストンを殺すように指示を受けるも、実行には移さなかった。主席連合の下へ再び従うこととなるも、左手の薬指を失い結婚指輪を手放した。妻との思い出を忘れないための戦いで、その象徴を物理的になくしたのだ。ここでの忠誠は、そもそものジョンの想いに反することだった。それがウィンストンを殺さず主席連合と戦う決意をもたらす。

 

 

 総評として

尽きることのないアクションのバリエーションが見所ではあろうが、今作はこれまでのシリーズ2作に比べシュールな笑いを生み、140分という上映時間に緩急を入れている。

しかしながら、既に2作品がシリーズとして存在していることもあってか、後半はややたるんでいるように感じられた。バイオレンスで洗練されたアクションとカメラワークは素晴らしかったが、冒頭から遺憾無く展開されていたこともあったからだろう。何とも贅沢な悩みである。

 

さて、今作『ジョン・ウィック:パラベラム』では、表社会と裏社会の狭間で生きながらに殺されているジョンの生き方と死に方への問いに対する答えを提示してくれた。

どうやら次回作も決定しているようで、ガンフーはもちろん、今作で見られたマー(馬)・フーやドッグ・フーのように、新たな戦い方をスクリーンで拝みたいところだ。

ジョン・ウィックは止まることが許されなくなってしまった。ならば、それができるようになるまで戦い続けるだけである。

『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』感想/水と油も混ぜれば最強の敵に立ち向かえる!夏にピッタリの熱いバディムービー!(ネタバレあり)

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世界中で大人気の『ワイルド・スピード』シリーズのスピンオフ作品となる本作。

 

シリーズ途中参戦となるドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムのダブル主演になるが、この2人はそれぞれがシリーズ物の主役を張れるくらいの超アクションスターなわけだ。

更にワイスピでは気が合わず水と油の対象的なキャラを演じているわけで、そんな2人がどのような掛け合いをし困難に立ち向かっていくのか楽しみでならない。

夏にぴったりの娯楽ムービーとなる予感である。

 

※以下、ネタバレを含みます

 

 

 

 あらすじ

 

ロサンゼルスで娘と暮らす、ワイルドなスタイルで超重量級のクルマを操る追跡のプロ・元FBI特別捜査官ルーク・ホブスと、ロンドンで優雅な生活を送る、クールなスタイルで超高級なクルマを駆る規格外の元MI6エージェント・デッカード・ショウ。

 

2人の元に、行方をくらませたMI6の女性エージェント・ハッティを保護して欲しいという政府の協力要請が入る。ハッティは全人類の半分を滅ぼす新型ウイルス兵器をテロ組織から奪還したが、組織を率いる、肉体改造を施された超人的な戦士・ブリクストンに急撃され、ウイルスと共に消息を絶った。しかも、彼女はショウの妹でもあるという。

 

ホブスとショウは「こんな奴と誰が組むか!」と協力を拒否するが、ウイルスの回収を最優先するため、仕方なく手を組む事に…世界の命運はこの2人に託された!

(公式HPより抜粋)

 

 

見惚れるアクションに、シリーズのテーマ“ファミリー”を織り込んだ良き作品だった。

 

カーアクションが魅力のシリーズなだけに、ドライブテクニックを買われて物語に登場したわけではないキャラをどのように活かすのか気になっていたが、しっかりカーアクションも混ぜながらホブスとショウのファミリーにもフォーカスしていた。

カーアクションに満足かと言われればワイスピ感は強くなかったと言わざるを得ないが、それは想定の範囲内

 

 

 スタッフ・キャスト

今作で監督を務めるのはデヴィッド・リーチ

ジョン・ウィック』シリーズや『アトミック・ブロンド』、『デッドプール2』などを手掛け、その巧みなアクションシーンで大ヒットを記録したお方だ。

元々スタントマンとして活躍していた彼だが、アクション監督など製作側にまわることも増え、まさにアクションを熟知した監督として次々とヒット作を生み出している。

カーアクションが醍醐味のワイスピも、スピンオフで主演があの2人ともなればこの監督起用も納得である。

 

ルーク・ホブスを演じるのは我らがロック様ことドウェイン・ジョンソン。シリーズ6作目となる『ワイルド・スピード/ユーロ・ミッション』からホブスを演じる。

近年、『モアナと伝説の海』での声優起用に加え『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』、『ランペイジ 巨獣大乱闘』、『スカイクレイパー』と大ヒット作の主演を務め、もはや彼の作品を観ない年はなくなっている。 

 

そして同じくシリーズ6作目よりデッカード・ショウを演じるのが、ジェイソン・ステイサム。昨年公開の『MEG ザ・モンスター』では超巨大鮫との戦いを繰り広げたことも記憶に新しいが、『トランスポーター』シリーズや『アドレナリン』、『メカニック』などに出演しアクションはお手の物。

そのあまりのスタイリッシュなアクションに感覚も麻痺してしまうが、気付けば彼も52歳。いつまでも変わらぬ若々しさに思わず脱帽である。

 

他にも今作からの新キャラクターとして、デッカード・ショウの妹のハッティ役に『ミッション・インポッシブル/フォールアウト』のヴァネッサ・カービー

ホブスやショウ達が立ち向かうこととなる敵ブリクストン役に『パシフィック・リム』、『マイティ・ソー』シリーズのイドリス・エルバが名を連ねる。

 

 

 こんな豪華なスピンオフ作品あるかよ! 

今作の邦題は『スーパーコンボ』となっているが、原題は『ホブス&ショウ』。犬猿の仲である2人の生み出す化学反応がたまらない1作となっていた。

 

これまでほシリーズでも散々言い争ってきたホブスとショウ。2人がいかに対象的であるかということは冒頭シーンから明らかだ。

ホブスはタンクトップで寝て、朝食は卵をいくつも割って調理することもなく飲み干し、依頼を受け向かう先へは四輪駆動車を運転。

一方のショウはというと、黒のパジャマをきっちりと着てこれまた高そうなベッドで隣には美女。朝食は綺麗に焼いたオムレツをナイフとフォークで優雅にいただく。家を出て乗るのはスポーツカー。

ライフスタイルからして真逆な2人。敵地に乗り込んだ時にもそれは顕著で、真正面から肉弾戦のホブスに対し、ショウはスマートかつスピーディーに敵を倒していく。口を開けば言い合いを始める2人も何だかんだで力を合わせブリクストンに立ち向かうわけだが、至るシーンで観客を笑わせる掛け合いが見事。徐々に仲良く見えてくる不思議な感覚に陥る。

 

それにしたってこの2人の役者、本当に立ち姿だけで見惚れてしまう。

規格外のボディから繰り広げられるアクション、更にはユーモアたっぷりな口喧嘩まで、2人の掛け合いが最初から最後まで楽しすぎるのだ。

 

そしてそして。

脇を固めた配役はもちろんのこと、今回2人の嬉しいサプライズ出演があった。

 

まずは『デッドプール』でおなじみのライアン・レイノルズ

ホブスと付き合いの長いCIA職員として登場した彼だが、今作の監督が『デッドプール2』を手がけたこともあっての出演か、とにかくハマり役だった。

ひょっこり出てきたと思ったらジョークの応酬と口数の多さを遺憾無く発揮。

ライアン・レイノルズでなかったらセリフもキャラ設定もこうはならなかっただろうと思わざるを得ない。

エンドクレジットまでホブスを困らせる彼は続編があれば出演してくれそうではあるが果たして。

 

そしてもう1人のサプライズ出演は、ケヴィン・ハート

セントラル・インテリジェンス』でドウェイン・ジョンソンとの凸凹コンビを演じていた彼だが、今作ではサモア行きの移動を手配してくれる空港保安官として出演した。

ホブスとショウに続く第3の男だと主張する愛嬌あるキャラだが、ライアン・レイノルズ同様に続編への登場に期待したい。

 

 

 それでもファミリーは大切だということ

ワイスピの大きなテーマとなっているファミリーの大切さ。スピンオフとなった今作でも、それはしっかりと色濃く描かれていた。

 

故郷サモアを離れ家族と疎遠になっていたホブス。

父が家族を巻き込んで犯罪を行っていたことを知り、それをきっかけに故郷を離れていた。また、事情が事情なだけに娘にも故郷や家族のことを話せずにいた。

しかし、ハッティを救うには家族を頼るしかないと悟ったホブスはサモアへ。

25年前の後悔の念を家族に打ち明けることでわだかまりもなくなり、島民総出でブリクストンとの最終決戦に勝利。最後ホブスは娘をサモアへと連れていくのだった。

 

また、ショウも妹ハッティとの間に確執があった。

ハッティの身を案じてとってきたショウの行動が、結果としてハッティからは誤解を受けておりすっかり疎遠になっていたのだ。

一連の事件を経てショウはハッティの誤解を解くことができるのだが、そのきっかけとなるのが犬猿の仲であるホブスと共にハッティを守っていくという構図がたまらない。

ショウもかつてはホブスやドム含むファミリー相手には敵対関係にあったが、その理由は弟の復讐だった。今作でも妹のために命をかける兄の姿、これまでの様々なバックボーンを考えると痺れる。

収容所の母の元を兄妹で訪れるシーンでは「それじゃあ脱獄しますか」と家族一同ニンマリ。本当に頼もしい家族である。

 

 ホブスもショウも当初はファミリーの敵として登場するが、シリーズを通し仲間入りを果たすわけだ。ましてやホブスは腕利きの捜査官、ショウは元イギリス特殊部隊と、いずれもファミリーにとっては嫌な宿敵だったわけで、とりわけショウはかつてファミリーだったハンを殺したという過去がある。

そんないわくつきの人間がファミリーとして迎えられ、前作『ワイルド・スピード/アイスブレイク』でもひたすらにいがみ合ってきたホブスとショウが何だかんだ言いながらも心の片隅では信頼し合いながら強敵に立ち向かうというのは実に熱いものがある。

この積み重ねはシリーズ物だからこその重み。

ブライアンがいたらどうなっていたのだろう、などということはシリーズ最新作が公開される度に考えてしまうが、ファミリーはいつだって助け合っている。

 

そんなワイスピの次回作だが、どうやらドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムは撮影に参加していないそう。

シナリオ上の都合ならともかく、かなり大きな噂にもなっているドウェイン・ジョンソンとドム役ヴィン・ディーゼルとの不仲説が原因でしたら何とも悲しい。

 

やはりファミリーみんなでひと仕事してのワイルド・スピード。次回作も楽しみに待つこととしよう。

当ブログについて

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これまで映画やアニメの感想や考察を記してきましたが、少し手法を変えてみようかと思い、良い機会なのでブログも引越しました。

 

ブログのタイトル『それでもやるのが主人公』は、僕の好きな作品のスタイルから。困難な壁にぶつかっても立ち向かっていく主人公の姿が好きで、王道ではあるものの魅力ある物語は得てしてそのスタイルを貫いている。

 

キリよく2019年以降の記事をこちらに移しつつ、インプットとアウトプットを的確にできるようになるという目標のもとに、引き続き継続的に更新していきたい所存です。

 

よろしくお願いいたします。

『トイ・ストーリー4』感想/おもちゃにとっての幸せとは?(ネタバレあり)

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多くの感動を呼び、完璧なラストだと豪語する人も少なくなかった前作『トイ・ストーリー3』から早いもので9年。

 

僕自身、ディズニー作品で育った人間ではないのだが、それでもトイ・ストーリーシリーズは小さい頃に何度も何度も観ていた。

 

そんなトイ・ストーリーの最新作が発表された時、世間からは期待と不安が入り交じる声が聞かれた。不安を訴える大半が「3で綺麗に終わったのに続編をやる必要があるのだろうか?」というものだったが、それらの声を良い意味で裏切ってくれるだろうか。

制作側もそんな声を理解していないはずはないだろうが果たして。。

 

 

※以下、ネタバレを含みます

 

 

 

 あらすじ

 

“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。

しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。

 

ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。

 

そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。

 

最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?

 

(公式HPより抜粋)

 

 

賛否両論だろうなぁ・・・でも僕は嫌いじゃない。

劇場を出て真っ先にそう思った。

しかし、評判を見てみるとかなり厳しい評価もあり、いくつかのレビューを拝見して感じたことは「トイ・ストーリー愛が強い人ほど今作に失望しており否定的な意見が多く見られる」ということ。いや、僕だってそれなりに好きなシリーズなのだが・・・なんて世間の評価とのズレにやや困惑している。

 

とはいえ、アニメーションはやはり素晴らしい。

特に時代の流れと共に映像美の進化を感じた点がおもちゃの質感。フォーキーの質素で軽そうな感じも、久々の登場となったボー・ピープの陶器特有の艶や冷たさも、バニーとダッキーの思わず触れたくなってしまうモフモフとした毛並みも。単純に見た目のクォリティーも目を見張るものがあるが音響やモーションの相乗効果が重なり、おもちゃを手に取っているかのようにその質感がわかってしまう。見事だとしか言いようがない。

 

 

 おもちゃにとっての幸せとは?ウッディが下した決断

今作のラスト、ウッディがボニーやこれまで共に過ごしてきたおもちゃ達の元を離れてボーと一緒に“迷子のおもちゃ”となり、外の世界で生きていくという選択。

 

持ち主を幸せにすることこそがおもちゃの幸せだと信じて疑わず、その考えに従って忠実に行動してきたウッディ。

1作目では当時新しいおもちゃとしてやってきたバズを僻んでアンディの元から引き離そうとしていた彼だったがシリーズを通して成長し、アンディそしてボニーの幸せを1番に考えてきた。

だからこそウッディの最後の決断はとても悲しいが、しかしウッディはボニーのおもちゃとして選ばれない日が多くなっていたことも事実なのだ。

「ボニーは自分がいなくたって幸せだ」

「ならば自分はどうするべきなのか」

そんな心境の中で外の世界でたくましく生きるボーに惹かれていく。

 

そして悲しみを助長するのが、ウッディを引き止めずむしろ背中を押すバズの姿。

ウッディが自分の元から去っていくというバズの立場は我々客席側と同じなのだ。

ウッディはなぜそんな決断をするのか。僕達は上映中必死に理解しようとし、それでも考えが追いつかない。そんな中で、ウッディの親友であり誰よりも近くでウッディを支えてきたバズが何も言わず彼を見送るのだから、僕達はますますやるせなくなる。

 

ウッディはもう十分にやってくれたじゃないか。幼少の頃からアンディの1番のお気に入りとして彼の成長を見守り、他のおもちゃを先導し、成長過程のボニーを喜ばせ、助けてきた。

そんな彼が今、おもちゃとしての岐路に立っている。背中を押して、無限の彼方へ飛び立ってもらおう。ウッディの信念は我々が受け継ぐのだから。

そんなことをバズが想っている気がして、どこか迷いもあるウッディの決断を一概に否定することも出来ないと思ってしまった。

 

 

 どうしても受け入れられないことがある

ウッディの決断がこれまでのシリーズ3作品で描かれてきた『持ち主を幸せにすることこそがおもちゃにとっての幸せ』であることを否定している点も、その他いくつかの意見が割れる点も自分なりに咀嚼したつもりではあっても、納得がいかないことがある。

 

それが、ギャビー・ギャビーというキャラクターの在り方について。

 

ギャビー・ギャビーはボイス機能に欠陥のある、不良品のおもちゃだった。それ故に子供達と遊ぶことができず、持ち主に遊んでもらうことを夢見る毎日。そこに現れたウッディからボイス機能を半ば強引に移植することで念願の声を手に入れるわけだ。

 

観ている側からはここでかなりのヘイトが向けられる。

なにも前作のロッツォのように報いを受けろというわけではない。不良品である彼女への同情もある。精神が歪んでしまうほどに苦しんだであろうことも理解はしている。

ウッディはギャビー・ギャビーにどれだけのことをされても、最終的には彼女を助ける選択肢をとった。ウッディの決断を僕達がすんなりと受け入れるために、ギャビー・ギャビーにはもっと深く改心してほしかった。ウッディへの御礼の言葉は確かに聞いたが、それに対してウッディが失ったものが大きすぎやしないだろうか。

アンディやボニーに遊んでもらう中で大切にしてきた彼のボイス機能を、子供に遊んでもらいたいと願うギャビー・ギャビーに託し、だからこそ外で生きる決心がついたとも取れる。

ウッディの最後の決断に繋がっていくシーンだったこともあり申し訳ないが全く感情移入できなかった。

 

ギャビー・ギャビーの境遇は、ボーの生き方が現代における女性の社会進出というテーマを表したように、“何かしらのハンディキャップがあっても権利は平等”だという社会的テーマが示されている。

もちろんそれは当然のことであるが、しかし事情はあったにせよ、ウッディは自分の身体の一部を譲った。ギャビー・ギャビーのおもちゃとしての幸せを願って。

ここの温度感がすごく感じられて、受け入れ難いものがあった。

 

ウッディの決断をより多くの人に受け入れさせるのであれば、ボイス機能をギャビー・ギャビーへ譲るということを強引に持っていくのではなくウッディ自らが名乗り出るほどに感情移入をさせてほしかったというのが本音である。

 

 

 これからが大切であるということ

 完璧なラストと評される前作から一転、ファンの多くを驚かせた今作だが、当然続編の存在が気になる。現時点では続編の有無については分からないが、ウッディの生き様を目撃するため続きの物語は当然観たい。

 

今作でウッディがボニーの元を離れて迷子のおもちゃになるという決断を下したのは、「おもちゃとしての役割を果たした」と感じたからだ。

例えば、フォーキーは元々使い捨ての先割れスプーンだった。それがボニーの手によりおもちゃとして意思を持っても、「僕はゴミだ」と認識する。当然だ。彼は本来、使い捨てられたスプーン=役割を終えたゴミなのだから。

そんな中でウッディを始めとしたおもちゃ達の助けによって、ゴミだと思っていた自分にも違う役割があるのではないかと考えるフォーキー。その役割が誰かを幸せにするかもしれないことに、希望を持っていく。

 

同様に、ウッディも自らが担う役割の移り変わりを感じていた。

アンディの1番のお気に入りとして役割を全うしてきたが、ボニーの手に渡ってからは彼女のお気に入りにはなれなかった。持ち主を幸せにしていたこれまでと違い、いなくてはならない存在から逸脱したのだ。それがウッディにとってどれだけ辛かったことだろう。それでもウッディはボニーのために、フォーキーを持ち主の幸せにさせる役割へと連れていく。

 

ボーとの再会を経て新たな道を選ぶことで、これまでの自分と違った役割を見つけられるかもしれないウッディの判断は否定しようもなく、ウッディのこれからを見届けるためにも、ぜひ『トイ・ストーリー5』を観たい。