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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想/「愛」を示すみちしるべに涙する

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当初は制作可否すら不透明だった中でこうして公開に至ったことに感謝の念を強く感じると同時に、作品に携わった全ての方々に敬意を表します。

 

 

本作を鑑賞して強く感じたことは、この上なく示された「愛を知り伝えることの尊さ」でした。

アニメシリーズでは、かつて戦争の武器として扱われたヴァイオレットが終戦後に手紙の代筆業を通して大切な人からの「愛してる」の意味を知っていく姿を描いてきました。劇場版でもその根本は変わらず、ひたすらに「愛」の在り方をその登場人物の数だけ紡いでいきます。

 

未曾有のコロナ禍でライブやイベントも自粛ムードとなっている状況で、ウイルスの感染症対策予防を徹底して公開記念舞台挨拶の場を設けて下さったこと、とても嬉しく思います。観客に感謝を述べたいという制作側の「愛」を感じずにはいられないんですよね。1日2回あるうちの2回目だったので上映前の登壇となることが多い中、上映後のイベントであることも恐悦至極。そんなわけでおよそ半年ぶりにこのようなイベントに足を運ぶことができました。

 

以下、気になったシーンをいくつかかいつまんで感想を記していきます。せっかくなので、舞台挨拶でお聞きしたお話を交えながら。

 

 

天国から愛するあなたへ

公開初日から既に映画を観た人の感想がツイッターで見受けられてかなりの評判の良さに少々面食らっていたんですけど、「開始5分で既に泣いた」といった旨のツイートが流れてきて「いやそれはさすがに盛りすぎだろ…」と思っていたんですよ。

 

 

 

すまん5分もかからんかった。

 

 

冒頭、描かれる家はどこか見覚えのある間取りに感じましたがすぐにアニメシリーズ10話のマグノリア家であることが分かります。もうこの次点で涙腺に訴えかけてきてるんですけど、亡くなったお婆さんがあの小さかったアンで、彼女が娘への愛情を明確に示していたことや当時の母との思い出に涙を禁じ得ません。

 

ここから、ユリスが天国へ逝った後に家族に読んでもらう手紙をヴァイオレットに書いてもらうという構図に繋がっていくわけですけど、この冒頭シーンの意味はそれだけじゃない。アニメシリーズの制作に携わりあの事件の犠牲者となった人々も劇場版を共に作り上げているのだという京都アニメーションの意志が投影されていんですよね。

 

事実、エンドクレジットに亡くなった方々の名前もありました。アニメシリーズから受け継がれてスタッフ全員で辿り着いた劇場版であるという静かな祈りに目頭が熱くなりました。

 

 

自由になりなさい

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で印象的なカットのひとつとして「鳥」が挙げられます。

 

広い世界をどこまでも飛んでいく鳥は、自由や解放のメタファーと言えます。テレビシリーズや外伝でも、空を羽ばたく鳥のカットが度々登場しました。

 

一方で、ヴァイオレットは戦時中ギルベルトの命令を欲し、言われるがままに戦場を駆け抜けた軍人でした。終戦後、ホッジンズからは「火傷をしている」と言われましたが、ヴァイオレットは過去の行いに縛られて雁字搦めになっています。

 

戦場で人を殺めた事実は確かに消えません。ヴァイオレットは火傷の意味に気付き、血に染まった自身の手で人の想いをすくい上げる代筆業を行うことに苦悩していました。

 

しかし、ヴァイオレットによる手紙の代筆で救われた人がたくさんいることもまた事実なのです。ヴァイオレット自身が過去と向き合い十字架を背負った上で自分を許し、贖罪の旅を続けていくしかないのです。そしてそれが叶った時に彼女は本当の意味で自由となるのでしょう。

 

舞台挨拶で石立監督が言っていた言葉が印象的で、「ヴァイオレットは透明じゃなくて白」だという話を音響監督の鶴岡さんとしたのだそう。

 

透明だと背景色ありきの存在となりがちですけど、白は何者にもなれる、まだ染まっていない色です。そう、白はちゃんと“色”なんですよ。だから白を重ねればその色は一層鮮やかになるし、そういうこともあって監督は演出に過剰な工夫を凝らさないようにしたのだとか。そのまっすぐさが我々の心に突き刺さるんでしょうね。

 

劇中ではギルベルトのいる島に向かう船で、ヴァイオレットが書いたギルベルト宛に書いた手紙が風に流され飛んでいってしまいます。あのシーン、手紙が飛んでいく方向は船が向かうのとは逆方向なんですね。しかし、その横で羽を広げる鳥は、船と同じ方角へと飛んでいるんです。つまり、向かっている先であるギルベルトのいる島こそがヴァイオレットの自由が待つ場所なのだと暗示しているわけです。

 

 

義手と罪の意識

ヴァイオレットは戦いの最中に両腕をなくしてしまいますが、彼女自身はその事実に対する悲壮感を見せません。本当に危惧していたことは両腕が使えないことでギルベルトからの命令に支障をきたす可能性だけでした。

 

義手を使いこなすことにもそれほど時間がかからなかったヴァイオレットは、やがて自動手記人形として不自由なく生活をしていきます。

 

本シリーズは彼女が代筆の依頼主の前で手袋を外して、義手であることを説明するシーンが多々入ります。それだけで彼女の過去を依頼主に知らせる機能もありますが、同時に依頼主と送り先の関係に対して“ヴァイオレット・エヴァーガーデンという義手の自動手記人形としてどう任務を遂行するか”をストーリーの基盤とすることができるのです。

 

そして、義手である彼女に対して罪の意識を持っているのが、他ならぬギルベルトです。彼は兄のディートフリートからヴァイオレットを託され、普通の女の子として育ってほしいと願いながらも幾度となく戦場に連れていったことに罪悪感を抱きます。ヴァイオレットと離ればなれになる直前、血を浴び両腕を落とした彼女を目にしたギルベルトはその罪悪感に押し潰されて国に戻らない選択をとったのです。

 

その中でギルベルトが島内で葡萄を運搬するための機械を作っていたことも印象的で、彼は戦争を彷彿とさせる鉄の塊で島の住民の生活を豊かにするべく働いているのでした。名前を捨て新たな人生を始めようと決意した後も、心のどこかに身体の一部に鉄を身につけた少女を想っていたのでしょう。

 

 

時代の移ろいと変わらない本質

外伝で電波塔の着工が行われていましたが、それが完成したことで今作ではアニメシリーズの時に比べて文明の発展が見受けられました。夜になると街に明かりが灯り、高い建物にはエレベーターがついています。中でも電話の存在は特にフィーチャーされ、声を相手に届けられることからC.H郵便局の中でも手紙の衰退が始まる予感が走っていました。

 

その時に電話に対して一段と嫌悪感を示していたアイリスが、後にユリスのために電話を頼る一連の流れは本当に良かったです。彼女は世界一の自動手記人形になるとテレビシリーズでも豪語していましたが、カトレアとヴァイオレットに次いでいつまでもナンバー3だと嘆くシーンもありました。世間の評判もふたりばかりに目がいき、予約の絶えない状態…エリカが辞めた今、焦らないはずはないんです。強気な面もあるのでそこに苛立つ姿も分かりやすいですね。

 

そんなアイリスがユリスの危篤状態の時に一切の迷いを見せずに電話を頼って、ユリスの声をリュカに届けようとします。それは紛れもなく、想いを伝えることの大切さを本質として仕事に臨んでいるからでしょう。とても胸が熱くなるシーンでしたし戸松さんの優しさのある演技も素敵でした…。

 

ちなみに、ユリスのお話で思い出しましたが、ヴァイオレットがユリスと指切りをするシーンで舞台挨拶で石川さんがこんなことを仰っていました。キャラクターの成長を感じたシーンを聞かれ、ユリスの病室でヴァイオレットが涙を拭ったシーンだと答えられていました。

 

そのシーン、確かに印象深かったんですよね。ただ、特に顔を写すといった描き方もしておらず何気ない行動に見えるんです。石川さんは「10話ではアンの家で泣くのを我慢していたヴァイオレットが、ユリスの前では堪えきれず泣いてしまった。人間、歳を重ねると涙脆くなると言うけれど、ヴァイオレットも歳をとって様々な感情を覚えたんだろう。」と。ふとしたシーンにキャラクターの成長を内包させる素晴らしさにハッとした瞬間でした。

 

 

ギルベルトの背負う十字架

石立監督が舞台挨拶で「ギルベルトが嫌われることを危惧していた」という旨をお話されていました。

 

終戦して、記憶をなくしたわけでもないのに、彼は故郷へ帰る道を選びませんでした。ヴァイオレットが自動手記人形として活躍していることを知りながら、帰りを待つ家族がいることを理解していながら、ギルベルトは島での生活を選んだのです。ヴァイオレットが訪ねてきても、彼は会うことを拒絶します。

 

ヴァイオレットの願いを知る我々からすれば、当然もどかしくなります。ギルベルトへの疑念が強くなるばかりです。石立監督はギルベルトの描き方に特に注意を払ったのだそう。

 

しかし監督は「これまでのギルベルトは、ヴァイオレットから見た姿・思い出である」と続けられていました。

 

ディートフリートとギルベルトの回想では、父に反発する兄を見てギルベルトは中立の立場を取ります。父を慕い、兄を慕う彼は、幼少の頃から争いを避けている様子が見受けられました。

 

家系的に軍人にならざるを得なかっただけで、彼はきっと争いを忌み嫌う男だったのでしょう。だからこそ、戦場しか知らなかったヴァイオレットには優しく包み込んでくれる彼の存在が何よりも大切に思えたのです。

 

それと、舞台挨拶で聞くことができて良かったお話をもうひとつ。

 

クライマックスでギルベルトが船で発つヴァイオレットを追いかけるシーン。個人的にここへの繋がりが少し気になったんですよね。

 

というのも、上述の通り様々な感情を抱きながらも故郷へ帰らない選択肢をとったのがギルベルトだったわけで、ヴァイオレットを追いかけるに至るには少し説得力が欠けていたと感じていました。

 

もちろん、ヴァイオレットの手紙にはギルベルトへのたくさんの感謝が込められていました。しかし、ヴァイオレットもまたひとまずは会わないということを自分を言い聞かせて島を後にしようとしており、ギルベルトへの再会の懇願は手紙からは読み取れないんですよ。

 

では何がギルベルトを駆り立てたかというと、セリフ上では手紙の中で読み上げられていない最後の1行があり、彼はそれを読んで丘を走り出したのだそうです。

 

「そのセリフはあえて今は言いません」と石立監督は話していましたが、「どこかで答え合わせしたいですね 」とも仰っていたので、その1行をいつか読み上げてもらいたいですね。

 

野暮ったいのは重々承知ですが、一応自分なりの予想を残しておくと、「I sincerely love you. 」(心から愛してる。)でしょうか。

冒頭でsincerelyの文字がありましたし、ギルベルトがかつてヴァイオレットへ伝えた言葉でもあります。1行と考えると単語としてはそう多くはないはずなんですよね。手紙の中に彼女が知る意味での「愛」に関する言葉がなかったことからも、文脈としては自然です。まぁ野暮ですが。

 

しかしまぁ、我々が思っていた以上にギルベルトの身体は熱く燃え上がっていました。ヴァイオレットが訪ねてきた際に見つめていた火は、彼が戦場で背負った十字架の暗喩でしょうし、外で雨に打たれるヴァイオレットとの対比も見事でした。

 

そこからあのクライマックスに辿り着き、含みを持たせた演出で再会を果たすふたりはとても眩しく映りました。

 

嵐が去り、島の草木を雨露が濡らしてそこに陽が差すカット。ギルベルトの燃え上がった身体を駆けつけたヴァイオレットが鎮火させたことを明確に表していて実に美しかったです。

 

 

さて、印象的だったシーンについていくつかピックアップして記してきましたが、既に述べた通り本作は「愛を知り伝えることの尊さ」をこれでもかと美しく描き切っていました。キャラクターが手紙を通して愛を伝えるように、痛ましい事件を経て全てのスタッフの愛の結晶が『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』なのだと強く思った次第です。

 

物語では、自動手記人形を辞めたヴァイオレットが島の灯台で郵便業務を引き継いだとされていました。灯台は、海上の船のみちしるべとなるものです。ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、愛する人に導かれ、自動手記人形を辞めてからも愛する人を導いていくのでしょう。

 

そして、あの事件から初めての劇場作品となった今作はきっと、京都アニメーションのみちしるべとなるに違いありません。