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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『リコリス・リコイル』感想/少女達に寄せる期待と返される納得感

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(C)Spider Lily/アニプレックスABCアニメーションBS11


好きな作品は数あれど、好むコンテンツの前提条件として「キャラクターが魅力的であること、あるいは魅力的に描けていること」は最重要だと言ってもいい。

それはキャラクターのビジュアルが良いとか演出が映えるとか、そう言った点のみではクリアにならない。好きだと感じることにしっかりとした納得感を持って作品を駆け抜けられるか、それが大切だ。

そういった意味では『リコリス・リコイル』の「キャラクターの魅力」は終始飛び抜けていたように思うし巧さが光っていた。

 

犯罪者やテロリストがはびこるどうしようもない治安を、リコリスと呼ばれる少女達が維持しているこれまたどうしようもない東京。殺して黙らせるという腐った概念が許されているリコリスの日常は生と死の狭間である。

そして壊れてもなお佇む塔が綺麗に彩られている様もまた、腐った世の中を皮肉っているようで面白い。先が見えないオリジナルアニメにおいて、冒頭から背景描写で魅せにかかってくる。制服を着た少女に銃を握らせ戦わせる作品は珍しくはないけれど、こういった描き方の配慮もポイントが高い。

 

リコリス・リコイル』が描く少女達は分かりやすく可愛らしい。作中はもちろん、OPやEDのキャラクターの表情や仕草、制服や私服といったビジュアルも制作陣の細かいこだわりが見える。大前提として可愛さを追求をしている作品であることはすぐに感じ取れる。

そんな可愛い少女達が銃を手に平和を守っていると言えば聞こえはいいが、実際にDAが行っているのは戸籍のない孤児を集めて暗殺者として仕立て上げ、日本の日常において裏から守護る番人を置くというもの。

年相応の少女を描こうとする中で銃を持たせ人を殺させているという歪さは本作品の癖を匂わせるには十分なはずだ。そして真島によって投げかけられる、そんな平和が許されていいのかという問い。無論、良くはないのだ。この問いに対して少女はどのように向き合い戦いに身を投じていくのか…様々な要素を散りばめながらも大枠は王道を外さない大胆さも清々しい。

 

 

本作は、裏の世界に目をやると背筋が凍りそうな日常と不釣り合いなほどに脱力感すら感じられる千束と、まるで規律に則した兵隊のような質感すら覚えるたきなのバディ作品だ。凸凹だからこそ互いに惹かれていくうちに足りない部分を補い合っていく。

それだけ聞くとよくある設定なのかもしれない。が、ここの深堀りによる高揚感が凄まじく、作品に対して前のめりになってしまう。良いものを創ろうとするクリエイターの気概を作品を通してひしひしと感じ、信頼感に繋がっていく。それは同時に期待感にもなっていくわけだが、毎週毎週しっかりとその期待を信頼という形で返してくれる。1人の消費者としてこの信頼関係の構築が出来ることは幸福なことだ。

 

アクションのみならず日常の1コマすら程よくスピード感を持たせているのは没入感を与える上でも大切なことだ。それでいて各々の言動でキャラクター説明を語りかけてくるのが本作の上手さの1つだと言える。

例えば1話の護衛任務がまさにそうで、コミュニケーションを円滑に進めながらもきちんと仕事をこなす千束に対し、たきなは護衛対象すら囮にしてしまう暴力的な面を覗かせる。作品の始まりとして限られた時間の中、セリフではなく言動で主役の位置づけを説明させ、2人の女の子がどういう子なのかという点を端的かつ明快にしていく。この反対の位置にいると言って差し支えない2人がどのように距離を縮めていくのかという、作品の輪郭を明確にしていた。

 

さらにはストーリーの一環として描かれるシーンでも、その時点ではまだ描かれていないキャラクターの背景や過去の出来事を匂わせてくる。しかしながら押しつけがましさはまるでなく、「何か裏があるのか?」と察する程度に留めてくれるので、いざその描写があると納得感に直結する。

世界観も伝わるしキャラ設定を裏打ちして物語としてもキャラクターとしてもグッと身近に感じられるわけだ。これらの意図的な描き方が実に上手く、思わず口角が上がってしまうことが多々あった。

 

演出的な上手さは要所に光るが、中でも物語を通して描かれるたきなの変化が大変良かった。個人的にはとにかくここが刺さったことが本作品にのめり込めた要因だと感じる。

容赦なく殺人を実行するDAに所属しその手段に疑念を持たないたきなはチームから外されてもなお復帰を願っていた。これは人を殺す殺さないの話以前に、DAの価値観しか知らないたきなからすれば当然である。親なき少女はその檻の中での生き方が刷り込まれているのだから。

 

一方の千束はというと、その類まれなる能力を持ってしても決して人を殺めない誓いを立てている。その信条に揺るぎはなく、むしろ殺さないことでないと自身の役目(あるいは吉松への願い)を果たせないとすら感じている。自分の命を取りに来ている連中に手当をすることすら厭わない。

DAからリコリコへと身を移したことでどんどんと今の千束の造形へと変わっていったのだろう。そこにはミカやミズキ、リコリコの常連客といった人々によって形成されてきたものだ。親なき子の手を引く存在がいるから不殺の誓いを全うするだけの心の強さを維持している。

 

そして千束との対比として挙げられる、たきなの元相棒のフキ。彼女は始めこそ嫌味な奴という描かれ方をしていたけれど、まさにDAの価値観を体現している少女だと言える。命令には服従し、そこに個人の意思はない。絵に書いたようなリコリス

そんなフキを実力行使で黙らせにかかる千束に感じるものがあったことで、たきなの心情に変化が生まれていく。他のリコリス同様に兵器として育てられたたきなが人間らしい暑苦しさを覚えて心の氷がとけていくような優しみがある流れは王道ながら美しい。

一足先にDAという檻から出ている千束がたきなを快活に導き、救済していく。それも強制的にではなく、千束の人間的な温かみとそこに手を取るたきながあってこそだ。無機質なたきなを誘ってくれる少女の心臓が機械なのも、作品の奥行きが感じられる。

 

千束のキャラクター設定も非常に絶妙で、無敵感がありながらも適度に抜けており、そのふんわりした部分すらも含みがあるように受け取れる。たきなはそんな千束の人柄に惹かれていくわけだが、千束の良さが十分に感じられるので2人の距離の縮め方にもしっかりと納得感がある。幼少期から殺伐とした世界を生きるリコリスにとって、こういう人が隣にいることのありがたさはひとしおなのだろう。

千束に比べ少々アニメ作品として特徴の薄めなキャラデザであるたきなが徐々に魅力を増していくのは、こういった“変化”が顕著だからだと捉えている。コミカルに描かれる水族館でのチンアナゴも、千束やたきなのパンツ騒動も、リコリコでのうんこスイーツも、世界の闇が濃すぎるがゆえに朗らかな日常描写は実に優しいし、その何気ない日々を美しく思える。その見せ方が出来てしまうのは作品として大変優秀すぎるわけで、本当に頭が下がる。

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(C)Spider Lily/アニプレックスABCアニメーションBS11


無惨にも散っていったリコリス達は、千束やたきなの明日の姿かもしれない。そんな死と隣り合わせの世界だから、日常の何気ないやりとりがどうしようもなく幸せで儚いものに描かれる。何人もの名も無きキャラクター達が命を落とす作品にこういった明暗を強く植え付けるのは大切なことだ。

そして、彼女らの日常が幸せだからその裏で蠢く陰謀に我々はヒヤリとする。永遠であってほしいと願うその日々を邪魔する者達とそれを阻止しようと戦いに身を投じる少女からは目を逸らせない。作品の引力がキャラクター・ストーリーどちらにも起因しているのは脚本も演出も含めたスタッフ陣の配慮があってこそだ。それはもう面白くないわけがない。

 

丁寧に積み重ねられた千束の人格描写は、憧れの対象を目の前にすると途端に崩れ年相応の女の子の顔を覗かせた。「殺したくない」という千束の願いはこと東京においては代償を伴うという現実がここにきて叩きつけられる。リコリスとして延命している以上は「殺さないこと」はそれ相応のリスクが同居する。彼女の溢れる才能と引力の強い人格と、そして時折見せる脆さは、彼岸花に覆い隠されながらもテロリストによって剥がされていく。

 

そんな千束に徐々に懐いていき信頼しているたきなの姿は微笑ましくもあり、敵との開戦が目前に控えていくにつれて怖さもあった。たきなが千束に体重をかければかけるほど、その脆さが仇となってしまった時の危うさが浮き彫りになるからである。

事実、千束の心臓を奪われた時のたきなはまた任務遂行のために手段を選ばない獣となった。それはミカやミズキやクルミらと過ごすリコリコでの日常において潜めていた姿…というよりも見せる必要のなかった姿であった。

だが、たきなはもうDAが自分にとっての唯一の故郷ではないことを理解している。大切なのは場所ではなく人であり、それを教えてくれた千束の命を優先した彼女の何よりも強い願いなのだから止める術はない。たきなは死と隣り合わせの最前線ではなく、偽物の平穏に生きる人々との触れ合いを選んだ。それはDAの命令に従う機械ではなく人と交わることでしか得られない感情をリコリコで知ることができたからであり、手を引いてくれた千束への恩返しなのだ。

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(C)Spider Lily/アニプレックスABCアニメーションBS11


千束が自分を殺しの道具ではなく誰かを愛せる存在であることを認識し、人を生かして未来を探していく。世界の平和とそのための吉松の歪んだ祈りが宿った銃を、残酷な告白を受けてもなお千束はそれを彼に返しに行った。その決意は錦木千束という女の子の生き方を試されるものであったし、同時にこれからの道筋を明らかにするものでもあった。

この一連の流れは千束と吉松・吉松とミカ・ミカと千束の関係性を一気に清算しにかかる、非常に重厚な描かれ方だった。結局のところ救いの手を差し伸べてくれた吉松に対して千束とミカが救世主越えをするに至るわけだけれど、根っこの部分には恩人/恋人を制しにいく人間ドラマが深く根付いている。そしてミカという父親に授けられた不殺の銃をもう1人の父親である吉松に奪われるばかりでなく友人の命を天秤に乗せられ、それでも人を殺さないのかと問われる信念。戦闘の才はあれどやはり殺しの才能には恵まれていないことがはっきりとした時点で、千束の中にある父親の偉大さが吉松本人にとって不測のものだった人間らしさが愛おしい。

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(C)Spider Lily/アニプレックスABCアニメーションBS11


東京を離れフクロウとも別れを告げる千束。自分を支えてくれたフクロウを不要だと悟る千束はまたひとつ強くなった。

それでも、爆薬で社会を揺らし銃を撒き散らす真島とはまたいずれ相見えることだろう。彼が暴いた社会の不均衡は妙な納得感はあれど、不殺の銃を握る少女はやはりそれを許さない。千束をいつでも殺せる立場の真島もその対峙を楽しんでいるわけで、結局どこかで引かれてしまうことは想像に容易い。生きるか死ぬかのせめぎ合いで休憩を挟みジュースを回し飲みする、それはもう互いにしか分からない関係性なのだ。

千束とたきなが選んだのは、殺すことはせず殺されることもせず愛し愛される人間的なことだ。確かに千束のこれからを望んだたきなは殺しを実行しようとした。けれど、千束本人がそれを望まず塞き止める。リコリコでの日常が命を奪う愚かさを教えてくれたのだ。その汚れ役をミカが涙ながらに引き受けるところにも父親としての優しさが溢れている。

 

銃弾を受けることのない千束を拘束銃が当てられるようになったたきな。銃を扱う作品において2人の関係性の動向が美しい着地をし、そして今後を見据えていく。

大人の敷いたレールの上を進むのではなく、それらに屈せず前を向く少女達のこれからの可能性を見出してくれた『リコイル・リコイル』。社会に撒かれた銃がまだ全て回収されていなくとも、これまで人を救うことが使命だと感じていた千束は自分のやりたかったことを優先してハワイを旅する。

この作品が描きたかったことは、そういうことなのだ。シャープで丁寧な描写を積み重ねてきたことで生まれる納得感。それをまたどこかで見られることを期待して、今は終わりたい。