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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』感想/キラめき求めて少女は再生産する

おい、オタク共。

あまりふざけすぎるなよ?

 

『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』。公開されるやいなや絶賛の嵐。レビューサイトでも軒並み高評価。ツイッターでも興奮冷めやらぬ様子の感想が流れてくる。

 

いくら何でもやりすぎだ。印象操作のために巨額の富が動いているのではないかと疑うレベルで好評なのだ。

アニメオタクどころか映画オタクも映画館の床に額をこすりつけて「この映画を観ないと2021年の映画は語れない」なんて泣き喚いているザマだ。

お前達はいつブ〇ロの犬になったんだ?おやつ片手に散歩に連れてってやるから教えてくれ。

 

…そうか分かった、そこまで言うならこの目で確かめようじゃないか。

 

テレビシリーズも総集編もそして完全新作も、全て観てからまたお前らと対峙しよう。それまでキリンのように首を長くして待っていてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおおおおおおおおおお何だこの湧き上がる感情は!!!!!舞台少女達が胸に秘めた叫びを舞台を通して演じ切る!!!!!!!!しかしそれは演技の枠を超え、その一挙手一投足で我々観客に理解を促してくる!!!!!!!

彼女らはただ演じているのではない、身を削り青春時代を捧げ人生そのものを舞台に投影しているのだああああああああああああああうわああああああああ!!!!!!!!!!!!!花柳香子ちゃん可愛いよおおおおおおおお!!!!!!???!?!!!?!!

 

 


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非常にカロリーを持っていかれる映画だった。舞台少女達による儚くも熱を帯びた想いがスクリーンを駆け巡り、彼女らが愛する「舞台」として展開されていく。

目まぐるしく展開されていく物語に思考を巡らせようと必死になるも、それを上回るスピードで多重構造によって繰り出される舞台の数々に圧倒されてしまう。

 

テレビシリーズ後を描いた本作。愛城華恋ら聖翔音楽学園99期生は3年生となり、卒業後の進路を考える時期を迎えていた。

 

トップを目指し、有名校を受験するのか。日本国内なのか、海外に挑戦するのか。女優の道を行くのか、裏方を学ぶのか。はたまた普通の大学に進学し勉学に励むのか。少女達は岐路に立ち、その感情は揺れていた。

 

本作は、そんな揺れ動く少女達の心情を非常に繊細に舞台化し映像に落とし込んでいた。

 

テレビシリーズで描かれたキャラクター間に生まれた尊敬や敬愛、憎悪、嫉妬…様々な感情をより剥き出しにしている。凄いと思ったのは、本作は続編でありながらテレビシリーズの仕上がりに決してあぐらをかくことなく、劇場版としての演出を高めていたことだ。

 

本来ならテレビシリーズの演出をファンサービスとしてスクリーンで展開することも少なくはない。何なら劇場版鑑賞前は、華恋の口上前の衣装を仕上げていく流れをバージョンアップさせて映し出してきそうだ、などと思っていた。

 

しかし、『劇場版 少女☆歌劇 スタァライト』はそんな観念には囚われない。むしろテレビシリーズを土台として、岐路に立つ舞台少女を体現するかのように、新たな作品として描いている。

 

 

急展開で観客の心を掴むのは劇場化作品での続編などでよくあるけれど、本作もいきなりギアが上がる。一行が地下鉄に乗っているシーンである。

 

お馴染みの着信音が地下鉄のアナウンスのように流れると、そのレヴューは開演する。

「皆殺しのレヴュー」では少女らが血を流し、次々と息絶えて行った。容赦なく降り注ぐ血飛沫もすぐに舞台装置によるものだと分かるけれど、そのやりとりはテレビシリーズ以上に日常と舞台との狭間がかなり曖昧なように感じた。

 

この一連の流れにはやや直接的な描写もあったが、後に息絶えた少女らと生きた本人達が並ぶ演出がある。本作ではいくつかのレヴューが展開されるが、作品を通じてのメッセージ性が特に強いメタファーとなるレヴューは「皆殺しのレヴュー」だったと思う。

 

描かれ方が印象的だったトマトは、舞台少女にみなぎる血であり沸き立つ心を示すものだと捉えている。砂漠で激しく潰れたトマト。かつてひかりが囚われた砂漠のように渇いて、心を飢えさせたその環境ではオアシスに足を突っ込んでいたのはキリン(=観客)であり、しかし当の舞台少女は心が干からびたままだ。

 

そこに、みずみずしいトマトの恩恵。砂漠という環境において僅かな量でも水分を得られるありがたみに触れられたのならば、活力源となりえるのではないだろうか。

 

言うまでもなく、人間は血が足りないと死んでしまう。では、舞台少女は?心に宿すキラめきがなくなった時、舞台少女は演じることに何を見出すのか。

 

99期生は演目スタァライトを演じきるも、今や進路のことで頭を悩ませ揺れ動く毎日だ。そこに映し出されていたのは、将来への希望よりも過去の栄光だったように感じた。やり切ったスタァライトの公演で、彼女達はある種の完全燃焼とも言える状況だったのではないだろうか。

 

そんな状況下で、乾いた状態の彼女達。再演を思いもよらない形で演じることとなった大場ななにより、舞台少女らにレヴューを決意させるに至る。だからその導入としての「皆殺しのレヴュー」は本作におけるレヴューの始まりであり、血飛沫=トマトをこれでもかと撒き散らす必要性も納得できる。(それを口に含んじゃう花柳香子ちゃん!!!!!!!!!)

 

テレビシリーズから大場ななの描き方はかなり特殊だったけど、本作では愛城華恋の掘り下げ方は良かったと思う。

 

トップスタァを志すに至るきっかけと過程そして現在の3つの点を、ひかりの存在によって線で結ぶ。それらの描写を舞台少女達のレヴューの合間に挟むことで、収束していく華恋とひかりの物語に説得力を持たせていく。

 

テレビシリーズでは特に華恋1人ではなく、ひかりとセットでの描かれ方が強かったが、煌めきを増していく主人公たる理由がきちんと落とし込まれていたことは素晴らしい。

 

2人のレヴューで手紙を舞台装置としてさも当たり前のように使ってくる憎い演出。東京タワーを約束の架け橋としたあの頃から、今度は更に時を経て始まりの手紙で2人を照らす。ここまできて尚痺れる。

 

互いに不安も抱きながら舞台少女として階段を駆け上がってきた2人が、レヴューによって奪い合う立場となっても、それが人生なのだと気付かされる。

 

私たちはもう、舞台の上。

苦悩しながらも日々努力を重ね、その先に舞台の成功がある。そしてその舞台はやがて幕を下ろし、また次の舞台のため稽古に励む。

 

誰にだって訪れる心の渇きも、癒すための経験をしていかなければならない。

そんな繰り返しから生まれる尊さも、スタァライトが紡ぐ物語だと思う。

 

ポジション・ゼロ。そこに行き着くために何度だって再生産を。