(C)Tone Koken,hiro/ベアモータース
最初は何気なく見てみようかという程度の意識だっただけに、アニメ『スーパーカブ』1話を観た時の衝撃は相当なものだった。
鑑賞後、胸にほんのり残った高揚感。導入部分であるからして特段大きな動きがあったわけではないのに、そこには尋常ではないくらいの密度を感じた。
事前情報としては山梨県を舞台としていることと、女の子がカブに乗るであろうことをキービジュアルやタイトルから察していた程度。
直前に、同じく山梨県を舞台にした『ゆるキャン△』をちょうど一気見していたタイミングだったこともあり、女の子がカブに乗ってあちこちを訪れるようなイメージを勝手に持っていただけに、思い描いていた作風とのギャップはより一層大きかった。
両親も友達も趣味もない、何もない日々を過ごす女子高生・小熊が、中古のスーパーカブとの出会いをきっかけにその単調な日常が変わり始め、世界が徐々に色付いていく。本作はそんな様子を実に丁寧に描いているのだが、随所に見られる繊細さには本当に頭が上がらない。美術も演出もセリフ回しも、その全てが『スーパーカブ』の世界観をあますところなく描き、包み込んでいる。
まず感じたのは、「静けさ」だった。
目覚まし時計の音で始める朝。シャワーを浴びて朝食をとる。自転車に跨り、何も無い女の子がいつものように学校へと向かう。
BGMもない無音状態で、コップを机に置く音やパンにマーガリンを塗る音、水筒の蓋を締める音といった、なんでもない生活音がやけに目立つ。
退屈な授業も、ひとりぼっちの昼食も、坂だらけの帰り道も、全てが淡々と進んでいく。
そこに青春らしさ溢れる快活とした様子や和気あいあいとした他者の介入は一切存在しない。女子高生とは思えないほど、小熊は孤独に生きていた。彼女にとって普段と何も変わらないひとりだけの生活は、とにかく静かに進行している。
それだけに、ほぼ生活音だけで描かれる冒頭は印象的で、その「静けさ」が地域性であったり、小熊の「何もなさ」を物静かに主張していることが伺えるのだ。
だからこそ、彼女がスーパーカブと出会い、エンジン音が響いたその瞬間に鼓膜を通して伝わってきたものは興奮そのものであり、これまで静けさによって描かれた小熊の日常がこれから変わっていくことを示すサインとも取れた。
(C)Tone Koken,hiro/ベアモータース
カブに乗って走り出してから響き渡るエンジン音は実に心地よく、それまでの静けさとは一変して小熊の高揚感を表現するかのようなその快調な音は、いち女子高生の心情描写としても、『スーパーカブ』という作品における象徴としても、これ以上ないほどの巧妙さだと思えた。
そしてこの「静けさ」はすなわちキャラクター同士の会話の少なさを浮き彫りにする、あるいは最低限の会話でのストーリー進行を成立させていることも示している。
小熊が会話を交わす主な相手は礼子だ。しかし、この2人の間には必要以上のやりとりを感じない。それは尺の都合という話ではなく、カブで繋がる2人には言葉にせずとも伝わるものが存在するということを指す。
さらにそれを引き立たせるべく、きちんとした「間のとり方」にも作り手のこだわりを感じずにはいられない。言葉と言葉のあいだにはきっちりとした間を持たせ、最低限のセリフとキャラクター同士の空気感を殺すことをしていないのが本作のアニメとしての魅力のひとつだ。
この「間のとり方」を大切にしているからこそ作品の雰囲気を損なうことなく、ゆったりとした時間の流れをそれとなく演出し、我々受け手側にも没入感を与えてくれる。だが、緩やかなスピード感は決して遅いとは感じさせず、僕達の心をグッと掴んだまま物語を進めていく。
この絶妙なバランスを映像作品に落とし込んでいることに、感動すら覚えてしまう。
また、音の要素としては作中で流れるクラシック音楽も特徴と言えるだろう。
生活音が目立つほどの静かなる時の流れを演出し、そこに時折かかるクラシック音楽。平穏な暮らしのゆったりとした雰囲気を効果的に醸し出してくれる。
選曲としても聞き馴染みのあるものが多いので、安心感がある。ここまで親和性が高いとは、本当に見事だ。
色彩の使い方も印象的だ。
ないないの女の子がカブとの出会いで生活が色付いていく、そんな物語は彼女がカブに跨った瞬間に変化が現れる。
カブの購入を決意し、初めてエンジンをかけたその刹那、暖かみの深い色が画面いっぱいに広がる。これまでの淡く冷たいイメージが先立つ色彩から一転し、小熊の世界の可能性を感じさせる。小熊の喜びや驚きに満ちた表情やうわずった声色も相まって確かな高揚感をもたらしてくれる、この演出も素晴らしい。
(C)Tone Koken,hiro/ベアモータース
何かに出会った瞬間に色彩が鮮やかになる演出は話数を重ねるごとにその対象が少しずつ変わっていく。
それは友人が出来たことだったり、美味しいコーヒーを飲んだことだったり、素敵な雪景色を拝んだことだったり。その全てがカブに出会ったからこそ得られたもので、今後の彼女を形成していく財産になっていくのだろう。
確かに彼女の生活はスーパーカブに乗り始めたことで変わり出した。だが、彼女が得ていくものというのは、なにも全てが真新しいことでも、珍しいものでもない。
友人となっていく礼子や椎はクラスメイトだ。他校の生徒でもなければ他県に住む女の子でもない。
レトルトが安く売っていることを知ったスーパーもこれまでは自転車で行くことがはばかられる距離であっただけで、地域内にあった店舗だ。
高々とそびえ立つ富士山も、真っ白な銀世界が広がる高原も、カブに乗って訪れたことでその魅力に気付いたわけだが、いずれ小熊が住む山梨県内なのだ。
手の届くところにあったものが、カブとの出会いひとつでこれほどまでに彼女の宝物として心に刻まれていく。得ていくものとの距離感が遠いものでは無い、その現実味を帯びた尊さが僕は好きだったりする。
特に、人が生きる上で欠かすことできない「食」において彼女の変化が顕著に出ているのも興味深い。
カブに乗ってのアルバイトにおいて奮発した甲府の鶏めし弁当。修学旅行でどうしても諦めきれなかった鎌倉グルメ。椎の店で飲む嗜好品としてのコーヒー。
炊いたご飯にレトルトをぶっかけるような食事をしていた小熊がスーパーカブとの出会いをきっかけにこれまでとは異なる食生活を少しずつ始める。
タッパーに入れた冷えたご飯を食べていたのが、メスティンを購入してからは温かなご飯に変わった。単なる栄養補給が目的だった食事が、いつしか友達とその温もりを共有する手段になっていく。
『スーパーカブ』の魅力のひとつにはそんな「地に足のついた小熊の成長」が挙げられるだろう。
それこそ小熊から見た椎も、小熊をスーパーカブとの出会わせてくれた存在だと認識するまでに少しばかり時間がかかった。
日々の学校生活で自転車の重いペダルを漕ぎ、かつてはバイクはおろか、同じ自転車にだって追い抜かれていた。そこにはしっかりと椎の姿が描かれているわけだけれど、その時の募る想いが小熊をカブの購入へと駆り立てる。
(C)Tone Koken,hiro/ベアモータース
小熊も礼子も近くに家族がいない。小熊には名前がないし、礼子には苗字がない。
それに比べてフルネームの椎には両親がいて、家族経営をするカフェがあって、そのカフェを継ぐ夢を持っている。ないないの女の子とは正反対の少女だ。
そのことを小熊は心のどこかで羨んでいたのだろう。だから自分や礼子を尊敬しているという椎の考えに納得をしていなかったけれど、ようやく彼女なりに合点がいき、またひとつ世界が色付いた。
カブとの出会いで生活が劇的に変わるのではなく、これまで周囲にあったものを認識し、自分の中に落とし込み、糧としていく。
カブの基本操作や装備の増加をトライアンドエラーで繰り返していき最適解を見つけていくことにも同様のことが言える。凍えるような寒さの冬の時期に頭を悩ませていた小熊は、ウインドシールドやタイヤチェーンなどでカブとの生活を我がものとしていく。
日本には四季があり、春夏秋冬それぞれの顔を見せてくれる。春の草木も、夏の日差しも、秋の紅葉も、冬の雪景色も、我々に訪れる生活の一部だ。だがそれは全てが良いものとは言えなくて、特に冬の寒さなんてものは彼女らの肌を痛く刺す。
順繰りに巡る四季で特に辛さが先行する冬は、日常的な試練のひとつと言って遜色ない。人生は山もあれば谷もあって、小熊のカブへの向き合い方は人生の縮図とも捉えられるのではないだろうか。
日々のひとつひとつのちょっとしたことが積み重なって、大切なものへと変わっていく。
それは人との繋がりかもしれないしお金かもしれないし経験かもしれないけど、そのどれもが少しのきっかけで変わっていくことができると教えてくれるのが『スーパーカブ』という作品だと思う。
彼女にはカブがある。
ちょっとしたきっかけで世界を広げていった彼女は、これからもどこへだって行ける可能性に満ちている。
そしてそれは誰にだって言えることであり、何気ない日常もふとしたきっかけで色付いてくれるということをさりげなく、本当にさりげなく、示してくれるのが『スーパーカブ』なのだと思う。『スーパーカブ』は小熊の物語であり、僕達の物語でもあるのだ。
そう考えると、日々の当たり前のことにも少しばかり目を向けてみようか…なんて、そんなことを思ってみたりもする。僕達の日常がちょっぴり色付くのは、もしかしたら今日なのかもしれない。