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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『劇場版 Free!-the Final Stroke-前編』感想/七瀬遙は大人になるにあたり何を想い泳ぐのか

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(C)おおじこうじ・京都アニメーション/岩鳶町後援会2021

七瀬遙は大人になりつつある。

 

シリーズを通して、ただ泳げればそれでいいという姿勢から、仲間と繋ぐリレーの楽しさを知り、勝つ喜びを噛み締めることで競技としての水泳に熱を持つようになった遙。

それは競泳において彼が持つ才能から目を逸らさず、好きなことと真正面から向き合うということに他ならない。

 

他人とのコミュニケーションを怠り、その天才性ゆえに誰かを魅了し同時に停滞させてしまう遙。

それでも周りには仲間がいて、その繋がりがそれぞれの階段をのぼらせる。

 

これまで遙は自分への憧れを持つ者が雁字搦めになっていくことに対して解決する術を持たなかった…というより自身の性に無自覚だったけれど、3期『Dive to the Future』以降の彼は以前に比べてだいぶ想いを言語化するようになった。

 

自分を見つめ、他者に目を向け、想いを言葉にすること。それは遙だけの閉鎖的な世界を破り、ひとつ外の自由な場所へと踊り出た振る舞いだ。

 

そして遙の更なるステップと言えるのが、「俺はFreeしか泳がない」という確固たる姿勢から脱却し、郁弥との関係を手繰り寄せるために混メを泳ぐと決めたこと。

 

日常のコミュニケーションでは伝えきれない想いの根っこの部分を伝えるため、共に泳ぐことで分かち合えるものがあるという自分の経験を信じ、遙は決断する。

Freeしか泳がなかった遙が仲間と繋ぐメドレーの喜びを知り、それをひとりで泳ぐ。これまでの遙の苦悩を見てきた僕達は、これを彼の「成長」だと胸を張って言える。

 

本作『劇場版 Free!-the Final Stroke-前編』では、泳ぐ環境が変革する遙に対して、勝負の世界への向き合い方が問われていく。

 

アルベルトと泳いだことで遙が抱いた感情は、アスリート七瀬遙としての本能的なところから来るものだ。

水に愛され思うがままに水を搔くその姿に遙はアスリートとしての血が騒ぐ。それは同じ世界にいながら圧倒的な力を眼前とした恐怖であり興味でもあるが、同時に燃えた闘志は遙をアスリートとしてこれまで以上に押し上げる。

 

「十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人」という言葉は、ここに来て遙自身の呪縛となった。

 

ただの人になってしまう前に、アルベルトに勝ちたい。凛とFreeで勝負がしたい。仲間の想いを胸に、皆のためにも泳ぎたい。そんな願望が高まるにつれて二十歳までのタイムリミットが遙の精神を蝕んでいく。

 

水は感情のメタファーだ。「喜びが溢れる」「勇気が湧く」「怒りに満ちる」…そういった水を起点とした表現からも分かるように、水は人の感情を投影する。

しかし、アルベルトは世界戦において喜怒哀楽といった感情を出さない。レースを「仕事」だとすら言い放った彼には、人間としての感情は欠落し勝利の一点のみを見つめている。

 

これまで自由な泳ぎをしてきた遙が、機械的なアルベルトに勝つために何かを捨てる必要を感じてしまう。

何も捨てずに勝利を掴めれば良いのだけれど、きっと我々凡人には分からないトップアスリートとしての本能が、遙を揺さぶったのだろう。

 

では桜の木の下で遙が凛に放った言葉は本心ではないのかと問われると、否だ。

自身を俯瞰した遙が無意識に口に出てしまう言葉を「違う!」と強く否定しているけれど、シドニーでの感情が爆発した結果の、心の奥底に沈む本心ではないか。

 

これまでであれば、共に世界の舞台で泳ぎたいと口調を強めていたのは遙ではなく凛だった。周りの誰よりも先に海を渡り、競泳と向き合ってきたのは誰でもない凛なのだ。

 

その凛が、次の世界大会ではバッタに絞るという決断をする。二十歳までに成し遂げたい遙の想いとは裏腹に、凛は二十歳以降の自身の人生を見据えて、“今は”Freeは泳がないと告白する。

 

勝つためには何も捨てたくないと思う遙と、競泳の世界で生きるために一時的に取捨選択をする凛のすれ違いが、画面の構図としても桜の木が2人の間に境界線を引いているように、またしても溝を作ってしまう。

 

世界で戦うには感情すら捨てないといけないのか。遙が勝利を手にするには、自由とは程遠い自分にならなければならないのか。そもそも何かを捨ててまで手に入れる勝利とは、果たして本当に欲しい自由なのか。本作はそんな遙の苦悩を幕引きとし、後半へと繋げていく。

 

『Dive to the Future』以降、本シリーズにおける競泳の描かれ方は更なる拡がりを見せた。

遙らが大学に進学したことによって彼らが身を投じるプールは全国、そして世界の猛者達が集う場所となった。それぞれのキャラクターが過去との交錯も経て、輝かしい過去や涙を飲んだ学生時代を胸に留めて挑む勝負の地となっていく。

 

勝負の世界はどんな分野だって辛く厳しい。

競技の最前線で勝利を掴むということは、中途半端な才能や覚悟では辿り着けない境地である。

 

そんな厳しい競泳の世界においてトップを目指す者だけではなく、真琴のようにサポートに回る者もいれば宗介のように再び勝負の道に戻ろうとリハビリに励む者もいる。

夏也のように賞金稼ぎとして世界を飛び回る者もいて、本作のテーマのような主役としては描けないながら掘り下げる価値を持つキャラクターという絶妙な立ち位置を見事に作りこんでいるわけだけれど、遙の先輩であり郁弥の兄という立場すらも上手く組み込んでくるのだから、相変わらずキャラクターの動かし方や気配りの上手さには舌を巻くばかりだ。

 

本作はこれまでのシリーズが積み重ねた感情でこれでもかと殴りかかってくる作品だった。

 

かつて岩鳶高校で共に泳いだ渚や怜は先輩という立場となり、もう引っ張ってもらうだけの存在ではない。遙の泳ぎに魅せられ真琴の優しさに包まれてきた2人は、後輩を導き、自身の進路を決めていく。彼らもまた、大人への階段を踏み出している。

 

代表に選出された3人を精神的に支える真琴・宗介・日和もそれぞれ水泳との向き合い方を決めて、夢に向かっていく。

その立場がライバルだろうと友達だろうと家族だろうと、登場するキャラクターが必ず誰かに寄り添う『Free!』。無性にノスタルジーを掻き立てる描写の数々はどれも愛おしい。

 

かつて1人で泳ぐことを選んでいた遙とは違い、アルベルトは支配された環境で1人で泳ぐことしか出来なかったし、金城も1人で泳ぐことを余儀なくされた過去がある。

それぞれのバックボーンからも、内面にたゆたう葛藤を遙がどう変えさせるか。そのために遙はどう変わっていくのか。

 

少年は青年へ、そして大人へ。

岩鳶の小さなプールで泳いでいた英雄は、広大な世界で容赦なく現実を叩きつけられる。その舞台で泳ぐことを許されるのは天才の中でもごく一部であり、厳しい現実で前を進むためには重りを外さなければならない。

勝負の世界である以上、心が休まることはないだろう。それでも、後編は七瀬遙が大人になるための最後の成長痛になることを切に願う。