10versLible

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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

「期待しすぎてしまうこと」が怖い

昔から物事に対するハードルの上げ下げが極端でして。

下げる分には失望することも少ないが、上がったハードルを超えてくることというのはやはり難しい。ハードル上下の幅が広いとなおさらだ。

 

評判が良いととにかくハードルがぐんと上がり、いざ触れてみると設定したハードルが高過ぎるあまりそれを超えるに至らない。そんなことが多い。

 

そんなタイプの人間なので、例えば映画やアニメを観た後に、期待を裏切られたとまでは言わないまでも、「思ってたほどではなかった」という感想を持つことがしばしばある。これは作品を侮辱しているわけではなく、自分が下手なハードルを設定していなければ、より純粋に楽しめた可能性を模索してしまうということだ。

 

ハードルを上げてしまうケースとしては、大きく2パターン。

「①未見作品への周囲の評判がすこぶる良い時」と「②前作や、関わる監督・キャストなどの評価が自分の中で高い時」である。

 

多くは①のパターンだ。

インターネットを介して情報や口コミを容易に受け取ることができ、何なら意図せずともそれらを目にすることだってある現代において、作品に対するハードル設定を時に誤ることがある。

「あの映画がとにかく面白いらしい!」「あのアニメがめちゃくちゃ流行っているらしい!」。そんなことを聞いた日には、それらの作品に触れてみようと思い立つと同時に、自分の中で期待値をぐんと上げてしまうのだ。他人の評価が必ずしも自分の基準とは異なるなんて百も承知なのに、である。

 

公式側の「衝撃の結末!」「誰もが騙されるラスト10分!」などといった触れ込みもあまり好きではない。それだけ大々的に言い放つほどの、誰しもが想定しない展開を用意してくれるのだと思ってしまうから。結局のところ、ハードルを上げに上げてしまう宣伝文句だ。

自分が観た後にそんな触れ込みを目にする分にはいい。ただ、フラットな状態で作品を鑑賞しないと「衝撃の結末」とやらも、十二分に楽しめないのだ。本当に「衝撃の結末」であるならば、作り手が用意してくれるものを最大級に味わいたいと強く思う。何とも面倒な性格だ。

 

ネタバレなどもってのほかである。物語で紡がれるひとつひとつの出来事に触れ、何が起こるのかをその瞬間で感じ取ることこそが「衝撃の結末」を生む。

 

だから、僕は映画館に足を運ぶ時には予め作品の公式ホームページを見てあらすじをチェックするようにしているが、作品の色によってはそれすら躊躇うこともある。

事前情報としてどの程度まであらすじを知っておくべきかなど、分からない。多少の知識はあった方が解釈しやすい作品もあれば、何も知らない中で鑑賞することでサプライズを存分に楽しむことができる作品もある。このあたりのバランスも非常に繊細なのだ。

 

あとは、各国の賞レースの受賞作品やノミネート作品。大人の事情は置いておくとしても、業界人による視点で選ばれた作品には、期待を膨らませずにはいられない。「カンヌ国際映画祭金賞受賞!」「アカデミー賞ノミネート!」なんてフレーズがついてこようものなら、自ずと期待値が上がってしまう。

 

だが一方で、評判が良いからその作品を観てみようと思い立つことがある。これも事実なのだ。

とても面白かったが人に勧められなければきっと観なかっただろう、という作品もこれまでいくつも出会ってきた。実際に自分の目で確かめなければ、そもそも琴線に触れる機会すら与えられない。

 

②のケース、続編や歴史的作品に多い。

ここ数ヶ月では、昨年末公開の『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に感じたものがそれかもしれない。

 

kuh-10.hatenablog.com

 

世界有数の大ヒットシリーズである『スター・ウォーズ』は、自分の中では期待値を下げていたつもりだった。しかし、前作の不評を振り払うような会心の出来を心のどこかで待ち望んでいたのもまた事実で、結果としては何だかんだでハードルを高くしてしまったのだと思う。結局、期待してしまったら最後で、どれだけハードルを下げようと心の奥底に潜む期待感に嘘はつけないのだ。

 

ダメージが大きかったのが、これほどの大人気作品において理解に苦しむシーンをあろうことか最後の最後にまざまざと見せられてしまい、消化不良の中で劇場を後にしたことだ。シリーズ最終章を謳っておきながらこの有様、心苦しいことこの上ない。

きっと大丈夫、だってあのスター・ウォーズだぞ?と。そんな希望的観測がよろしくなかったのだろう。

 

先日鑑賞した『劇場版SHIROBAKO』も確かに作品として素晴らしかったのだが、テレビシリーズに対する想いが強すぎて、上げたハードルを超えるには至らなかったのが正直な感想だった。

テレビシリーズを思わせるシーンを散りばめながらも新たな一面を見せてくれたことは確かで、単純に『SHIROBAKO』の新ストーリーが見られたことも嬉しかった。だが、作品としてのフォーマットがテレビ向きなこともあってか、監督の意図と自分の見たいもののズレがあってか、感情が燻ってしまった。

 

kuh-10.hatenablog.com

 

確かに面白かったのだ。メッセージ性もあったし、また観たいと思えた。主人公・宮森の姿に胸を熱くしたし、心が震えるところもあった。それなのに、期待値が高すぎるためのモヤモヤ感を抱いてしまう自分に腹が立つ。

 

もはや、楽しみにしている作品という時点で、期待してしまうのだ。これは何年経っても変わらない。結局、監督やキャスト、スタッフ陣を目にしてどのような出来栄えなのだろうと楽しみにしてしまえば、ハードルが天元突破しにかかる。好きな人間が携わった作品だと知れば何を魅せてくれるのかとワクワク感に変換される。

 

かといって作品に触れる機会を与えてくれることに感謝するだけというのも思考停止であることは分かっている。続編作品が前作を超える必要があると思っているわけでもない。ただただ、自分の向き合い方の姿勢の問題なのだ。であるならば、落とし所を見つけるのもまた自分。折り合いをつけていかなければ、純粋に楽しめないことがもったいないままだろう。

 

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