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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

なぜ『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は『ポケットモンスター キミに決めた!』になれなかったのか

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今夏公開予定の『劇場版ポケットモンスター ココ』の情報が続々と出てきている。

 

完全オリジナルとなる新作映画にはやはり期待してしまうと同時に、個人的には昨年のリベンジを果たしてもらいたいという思いが強い。

それほどまでに、昨年公開した『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は残念でならなかった。

 

以下、そんな『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』に対する覚え書き。

 

 

僕は親に初めて映画館に連れて行ってもらった時に観た作品が『ミュウツーの逆襲』だったと記憶している。真っ暗な空間での大きなスクリーンと音響の迫力に感動したのだろう、幼い記憶ではあるがその時のことは今でもよく覚えているのだ。

それからもテレビアニメやゲームなどの媒体でポケモンに触れる時間を重ねた。僕は特撮やディズニー、ドラゴンクエストファイナルファンタジーではなく、ポケモンで育ってきた。

 

kuh-10.hatenablog.com

 

そんな中であろうことか思い出深い作品のリメイク、『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』を昨年観た後には、戸惑いを感じずにはいられなかった。その理由は単純で、「リメイクをした意義を見い出せなかったから」である。

 

一方、2017年に公開された『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』は完全リメイクではなかったが、シリーズ20周年に際して原点回帰しながらも1本の映画として新たな側面も見せてくれる、納得いく作品となっていた。

 

同じポケモンで過去作を元としている『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』と『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』の2作品における違いについて考えてみると、その理由も明らかになってくる。

 

映像についてはいずれの作品も過去作に比べて技術は格段に向上している。

ミュウツーの逆襲』はフル3DCGでの試みだった。サトシ一行が荒れた海を渡るシーンやミュウツーとミュウの空を駆けてのバトルなどではその技術がより映え、迫力ある映像に仕上がっている。

しかし、3DCDが活かされていたのは主に風景やバトルエフェクトであり、人間キャラクターの動きや表情への違和感は拭えなかったのが正直なところだ。なんというか、硬いのだ。声の感情と表情が微妙にズレている印象を強く抱いてしまう。はっきり言って致命傷だ。

 

その点、今年公開された『名探偵ピカチュウ』は実に巧みな作りだったといえる。

毛がフサフサなピカチュウ、きめ細かな肌感のリザードン、鱗を持ったコイキング。予告動画で我々の感じたポケモンに対する違和感は、アニメやゲームでのポケモンしか知らなかったからだ。逆を言えば、現実世界において生き物がアニメーションとして動いていたら、それこそが大きな違和感となる。

『名探偵ピカチュウ』で実写版ポケモンとしての世界観を採用し、ポケモンをCGにした上でさらに1匹1匹を必要以上にリアルなデザインとしていたのは、現実世界で人間と共存するポケモンを描きたかったからだ。

 

『キミにきめた』はデジタル導入によるアニメーションでの作りとなっていたが、特に目を丸くしたのはバトル描写の数々である。

 

細かなコマ割と迫力満点のエフェクト・音声でライバルのポケモンエンテイ、ホウオウ達との白熱したバトルを演出している。その全てにおける立体的なバトルシーンと色鮮やかなグラデーションによって引き立たせる興奮。僕の観たいポケモンがそこにはあった。

 

視覚的な違いは明らかだが、前述の“『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』をリメイクした意義が見い出せない”というのは、残念ながらストーリーに対しても感じた。

 

確かに多くの人々の心に残る『ミュウツーの逆襲』のオリジナルを、現代の技術を駆使して再びスクリーンで体感できる幸せは大いに感じた。声優陣もほぼオリジナルの時のままで、進化した技術と共によって得られるエモーショナルな映像体験がそこにはある。

 

だが、ストーリーはほぼ変わらず新たな要素を盛り込むわけでもなかった。それどころ物語において重要なシーンとなるオリジナルでの「フジ博士の娘アイ」の存在がカットされている始末。

 

オリジナルの完全版では冒頭、フジ博士が事故で亡くなった娘のアイを生き返らせるため遺伝子の研究を行い、その過程でミュウツーが生まれたことが描かれる。研究成果によって作られたアイのコピーであるアイツーは、覚醒前のミュウツーとコピーのフシギダネゼニガメヒトカゲと培養器の中で交流する。そこでミュウツーは、アイツーに生き物の感情や涙の意味を教えてもらう。

 

これがミュウツーの自己の存在意義に対する問いや、物語終盤でのポケモンとそのコピーとの戦いと涙への関わりを強めるのだが、その布石が微塵もなくなっているのだ。そのため、終盤の着地に合わせた強引な展開が目立ち、どうにも自らの知識でメッセージ性を補完せざるを得ないように感じてしまい、気持ちが乗り切らなかった。

 

一方の『キミにきめた!』は冒頭でのサトシとピカチュウの出会い、オニスズメからピカチュウを守るサトシの愛情に触れ彼のパートナーとなることを決めるピカチュウが描かれるが、これはアニメの1話をリメイクする形となっているものの、以降の物語はオリジナルで進行していく。

 

始まりこそマサラタウンからの旅立ちとなるが、タケシやカスミのお馴染みのメンバーは登場せず、出てくるポケモンカントー地方の種類に限らない。地方やポケモンのいわゆる“世代”の混在に戸惑いを感じるものの、だからこそ懐かしくもあるが同時に新しくもあり、飽きがこない。その中でもバイバイバタフリーなどのファンの目頭を熱くさせるストーリーも織り交ぜながら、緩急があり実に締まった構成となっていた。

 

物議を醸したピカチュウが喋った描写については思うところもあるが、「当初はピカチュウに喋らせる予定だったが声優の大谷育江さんがあまりにもポケモンらしい演技だったため、鳴き声のままいくことにした」という裏話もあるので、ifの世界線をやってみたかったことを盛り込んだのかと考えると、タイミングとしてはこの作品だったわけで。手放しで褒めようとは思わないが、概ね満足なのである。

 

つまりは、リメイクにおける懐かしさと新しさを同時に成立させることに対して、この2作のベクトルは違ったのだ。

ミュウツーの逆襲』が「オリジナルポケモンvsコピーポケモン」や「アニメでのオリジナルvs3DCGでのコピー」の構図からその葛藤を描いているとすると、『ミュウツーの逆襲』と『キミにきめた』についても近しいことを感じられるのではないだろうか。

 

2018年に公開された『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』では、人間とポケモンの関係性を再確認できるストーリーとなっており、2017年公開の『キミにきめた』からの系譜だと感じていた。テレビアニメ『ポケットモンスター サン&ムーン』は2016年から放送されているが、当時作画崩壊とまで言われたキャラデザも、小さな子供により親しんでもらうためだと解釈していた。それらを踏まえると、『ミュウツーの逆襲』を知らない層へのアプローチという側面は強かったのだろう。

 

ならば、『ミュウツーの逆襲』でもう少し「勝負」しに行ってもよかったのではないかという念が余計に強まってくる。ある意味神格化されてもいるし、元々のテーマが強い作品であるが故に難しい問題が山積みであったことは察するが、結果としてはその土台にすら乗らなかったことは残念でならない。