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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』感じたのはフォースではなく、大人気作品が受け入れ難い展開をしてしまう悔しさだったという話

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僕の中で『スター・ウォーズ』シリーズというと、映画界における帝王の位置付けにあたる。それは世界中での圧倒的な人気っぷりやファンの持つとてつもない熱量、それを証明する桁違いの興行収入など、様々な要因によるものであり、小さい頃からのイメージでもあっただろう。しかし、自らのお金で素敵な作品に出会おうと意識的に映画館へ出向くようになってからも、そのイメージはまるで覆らない。むしろ映画の鑑賞数を増やせば増やすほど、映画の世界を知れば知るほど、むしろ帝王としての捉え方は強固なものとなっていると言える。

 

エピソード4〜6の旧三部作は子供の頃にテレビの再放送でよく観たし、エピソード1〜3の新三部作は父に連れられ映画館に足を運んだ記憶がある。(当時の年齢でストーリーをきちんと理解していたのかというと非常に怪しいが。)

そんな作品がエピソード7〜9の続三部作としてスクリーンに帰ってくると聞いた日には、僕ですら歓喜したものなのだから、より上の世代からしたらとてつもない喜びだったと想像する。エピソード1〜6の蛇足としかならない怖さよりも、またあの世界観に浸れる喜びや、権利を持ったディズニーがどのような手法で我々を楽しませてくれるのかという期待の方が圧倒的に上回っていた。現代のテーマをいかに作品に落とし込み、発信されるのかというまだ見ぬ物語への期待は膨らむだかりだ。それだけの高い期待値を設定してしまうほどに、スター・ウォーズの評価は高いものだった。

 

2015年、エピソード7にあたる『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が満を持して公開となったわけだが、結果として多くのファンを魅了し、興行収入の観点から見ても大成功と言える数字を記録した。シリーズではおなじみのライトセーバーやフォースを用いてのアクションはもちろん、過去作を彷彿とさせるエモーショナル溢れるシーンを散りばめながらも、同時に新たな主要登場人物を魅力的に描いていく。

遠い昔、遥か彼方の銀河系でスカイウォーカーを主人公としてきたシリーズにおいて、血縁が謎に包まれるレイに主軸を置く。そこにはファンを唸らせるサービス精神と、真新しさを追求するチャレンジ精神が混在する。シリーズを再出発させる「意義」が感じられる1作に、ただただ感嘆した。

 

しかし、2017年に公開となったエピソード8『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ではキャラクターの扱いや風呂敷を広げすぎた展開などからファンの間では賛否両論が飛び交うこととなる。世界が注目するシリーズともなれば批判が出てくることはどうしたって避けて通れないわけだが、この問題はルーク・スカイウォーカーを演じるマーク・ハミルからも「もうルークの物語ではない」などと厳しい声も出るまでに発展するなど、公開直後は燃えに燃えた。前述の通り、僕にとって本シリーズは映画界の帝王だ。シェアード・ワールドとして興行収入では『アベンジャーズ』シリーズ(MCU)の追随を許せど、自分の中でトップオブトップの位置付けの作品に多くの批判が集まるのは心が痛んだ。だが、それは今思えば「残り1作で帝王たる所以を見せつけてくれるだろう」という楽観的な考えがあったからかもしれない。

とにかく、物議を醸した前作への疑念を振り切る意味でも、スピンオフ作品を含め久しぶりに全シリーズを見直した上で、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の鑑賞チケットを握り映画館の席に着席した。何なら12月は思いのほか忙しかったこともあってシリーズを見返す予定がかなり遅れてしまい、上映が始まる5分程前までは『最後のジェダイ』を観ていた始末だ。しかし、完結編を最大限に楽しむために余念はない。大作の終焉を目の当たりにするのだと意気込んでいた。

 

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そして、鑑賞後の煮え切らない感じ。完結編でありながらカタルシスに欠ける辛さ。

うまくまとめあげたと思う。シリーズ作品だからこそ出来る演出などもあり、終盤に限っては最大瞬間風速を感じる場面も見られた。しかしながら、「置きに行った」という印象がとにかく強いのだ。前作『最後のジェダイ』で広がりすぎたストーリーをまとめながら、批判が集まった点をそれとなく鎮火していく。クライマックスに至るまではまとめるための「作業」が進行してしまい、観る側の感情の抑揚が小さい。「作業」であるが故の、微妙なズレも感じられた。登場人物の言動に違和感を覚えたり、伏線の回収が異様に下手だったり、それは最終作であるためのファンサービスがあってのことかもしれないが、そんな「作業」感を感じさせるなら他のシーンを削ってまでしてもっと上手くしてもらいたかった。そんな感情と戦いながらおよそ2時間以上が経過し、いよいよラストシーンに突入する。

 

まとめあげることは、いわば前作の贖罪と捉えればまだ仕方ないと言えるのは理解している。レイア役のキャリー・フィッシャーが亡くなったことで撮影できていないシーンがあることも、コリン・トレヴォロウの監督降板によってJ・J・エイブラムスが復帰するに至ったことも、今後テレビシリーズに注力していくことも知っている。様々な大人の事情を経て引き継ぎをしたJ・J・エイブラムスの苦労も相当なものだっただろう。だが、このラストシーンはどうしたって肯定できなかった。

問いかけに対してある人物が答えを思考する。続三部作のひとつのテーマへの答えを示す大事な部分だ。その人物の背景や舞台を考えてもラストシーンであることは想像でき、「なるほど、こう答えて締めるのだろう」と予測する。だが、その人物が発した言葉は予測とは真逆とも言える答えだった。開いた口が塞がらないとはこういう時に使うのだろうと冷静な自分がいたことに笑ってしまうが、とにかく驚愕と落胆の感情を抱えてあの軽快なテーマでエンドロールに入る。いやいや違うでしょう。何のためのエピソード7,8を経ての本作なのかと。もちろんこの感情は自分の予測が外れたことで生まれたものではない。それを言ってしまったらこれまでの物語を否定することになるだろうという答えを明確に口にされてしまった点にただただ驚き、困惑してしまったのだ。

 

そのセリフを言う必然性はどこかにあったのかもしれない。自分の見落としている要素があっただけなのかもしれない。そう思ってインタビュー記事やレビューサイトを漁るも、目にするのは「賛否両論はあるだろう」というキャストやスタッフ陣の公開前のインタビュー。全てを肯定されるよりは良かったのかもしれないそんなレポートに目を通しながらも、どうにも消化不良だ。確かに自分と同じ意見のレビューもいくつもあり変な安心感を得てしまったが、欲しかったのは安堵ではなく、納得できる理由だ。お前は着眼点が甘いなぁあの展開はこういう経緯があったから必然だしあのセリフはこういう心情を持ってして当然のものだろ、などと目を覚ますような理由付けをしてほしい。

 

鑑賞してから2週間ほど経った今でも合点がいかない。好きな作品を消化しきれないキツさはこれからも他作品で訪れることがあるだろうが、これほどの人気大作がこのような状態なのが何よりもどかしいのだ。あの『スター・ウォーズ』が、あの映画界の皇帝が、これで終わってしまうのか。大作シリーズはいつだって面白くあってほしいというのは我儘だろうか。