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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『BLEACH』読切版(獄頤鳴鳴篇)感想・考察/巡る物語に死神は何を想うか

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週刊少年ジャンプ』2021年36・37合併号より

 

ついに来ました『BLEACH』読切版。

そろそろ『BURN THE WITCH』の続報が来るのではと思っていた矢先だったので、まさか『BLEACH』の方が来るとは思ってもおらず、発表から掲載までさほど日数もなかったのことも相まって心の準備が出来ていませんでしたが読み始めたらあっという間に惹き込まれました。

 

ノローグの双魚は後のザエルアポロの語りや突如として現れる双魚理を暗示しているわけですけど、語り手が誰なのかによって今後の展開は分かれそうですよね。一勇という解釈をしているのですが、「小さい頃」という語り口が気になります。浮竹の線もあるのかな。

 

双魚理が二刀一対であるように、片割れとなってしまった時にその均衡が崩壊してしまうのがこの世界。死神もバランサーの役割も担っていることから、世界の均衡というのは重要な意味を持ちます。

 

地獄の門の抑制となっていた強大な霊圧を持つ愛染やユーハバッハが消えたことで地獄側から口を開けるようになったというのは、まさにその均衡が崩れた結果です。

それをこのモノローグ、浮竹の儀式、双魚理を絡ませて物語の掴みとして引き寄せてくる久保先生の力量には本当に感嘆ですよ。

 

しかしまぁ、これから京楽がより多くを背負っていきそうな雲行きであることはイチ読者としてもなかなかに苦しいものがあります。

今回の一連の流れは一護の持つ死神代行証を触媒としているんですよね。一護を儀式に呼んだのはルキアと京楽とのことでしたし、そもそも浮竹が地獄に堕ちることになったのは京楽と浮竹が双極を破壊したからなんです。

「隊長クラスの霊子は尸魂界の大地に還れないから魂葬礼祭により地獄に堕とす」という迷信を京楽に説明させているのも、京楽に待ち受けるものを久保先生が暗示しているように思えてなりません。

 

どうやら一勇は織姫の目を盗んで夜な夜な出歩いては門を開き、霊を導いているようでした。開いた門を見ると穿界門かとは思ったんですけど、目玉が出ている描写からもこれは地獄の門ではないかと思います。

 

サブタイトルの『NO BREARHES FROM HELL』が最後に『NEW BREARHES FROM HELL』に変わっていることからも、地獄の門を開けている一勇と、地獄からの虚を視認する苺花による物語の動きが見受けられるわけですからね。

 

いずれにせよ、手を鳴らして門を出現させる一勇には何らかの能力があることは見て取れます。本編最終話の『Death&Strawberry』でもユーハバッハの力の残滓を消滅させる描写があったことから、母・織姫の「事象の拒絶」またはそれに近い力を継承しているということが考えられますし、父・一護の死神・滅却師・完現術者としての力も受け継いでいる可能性も大いにあり得ます。

 

気になったのはこれまで腰に差していた斬魄刀を読切版では持っていない点なんですよね。

『Death&Strawberry』では斬魄刀の形が既に変わっていたこともあり、ある程度の力は身に付けていることが想像できましたが、斬魄刀はどこへ行ったのでしょうか。死神としての力に変化があったのか、今後の伏線なのかは気になるところです。

 

でもあの歳で死神としての一定以上の力を示していることや門を開くことが出来るだけでなく、本読切での最後に地獄の門が閉じた後の目玉と目が合って笑っている一勇の様子を見ると、並々ならぬ能力を秘めていることが想像出来ます。

最後の表情を見ても思いましたが、一勇は今のところ織姫似だと感じました。無邪気な言動やおっとりとした表情、あとは目元ですよね。男の子は女親に似るなんて言いますが、随所に織姫を感じて愛おしさが募ります。

 

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少し話が逸れますが、一勇が訪れた神社の「高迦毛神社」を調べてみると「迦毛之大御神」という神様の名が出てきます。

 

この「迦毛之大御神」は死した神をも甦らせることができる、御神力の強い神様なのだそう。現時点でそれ以上の関わりは読み解けませんでしたが、少なくとも死神と地獄の関係性を暗示しているのだと思います。

 

描き方から鑑みても一護主体というよりは、一勇と苺花が軸となっていくように思えます。

残された謎や物語の発端となっているのは間違いなく一勇と苺花であり、本編の最終話からもある程度の世代交代感はありましたからね。

 

そんな中でも日常風景の中にキャラクターの現在を自然に織り込む、そんなさりげなさが素敵です。一勇の能力の高さ、苺花と一角の関係性、尸魂界の発展、一護の職業や同級生との変わらぬ交流…。これまで描かれてこなかった空白期間に対する想いを掻き立てさせます。オタクはちょっとした描写で無限に想起してしまいがち。

 

それこそ一護が翻訳家になっているなんて、『BURN THE WITCH』とのクロスオーバーを想起せずにはいられないわけですよ。かつて尸魂界と現世の橋を架けたように、西と東を繋ぐ存在になってもおかしくはないですよね。ほら、翻訳家になる前にイギリスに留学していたりとか。

一勇が飛び乗った魚の霊が鯉に見えるのも気になります。鯉って神の使いとも言われますし、滝を昇った鯉は龍になるわけですよね。そう、ドラゴンなんですよ。

 

実際のところ今回の読切版は本編の最終話から2年後ということなので、『BURN THE WITCH』の時期と一致しているんです。ファンサービスだけにしては少々行き過ぎているというか、さすがに意図的ではないかと思わざるを得ません。

 

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それぞれの登場人物の姿に一喜一憂しているのも束の間、現世で一護や副隊長らが察知出来なかった霊圧を消す虚が現れます。その造形に苺花だけが認識出来たことも気になる点です。これも苺花(と一勇)独自の能力なのか、子供だから見える存在であったのか。

 

霊圧のない虚はその身に孔が空いておらず、いずれも身体の外側に円を描くような姿。

ザエルアポロも「虚の軛から解き放たれる孔は肉体のそとへ外れ・・・憎しみも苦しみも涙の様に脳から外へ溢れ出る」と口にした通り、通常の虚とは明らかな違いがあります。

 

しかしこのザエルアポロ、一護に対して「今更お前を殺しても手柄にもならんが」という言葉を発します。これは「かつての戦闘で殺せていれば愛染からの手柄があった」という意味にも捉えられれば、「今殺したところで主君から手柄は出ない」とも受け取れるのが少し引っかかりました。後者だった場合、ザエルアポロの後ろに何者かがいることになりますからね。

 

ザエルアポロの話を全て正しいとした時に、地獄から出てきそうなキャラクターは多数いるわけですよ。過去の因縁から始まる新たな展開と、一勇や苺花の代を巻き込んでのストーリーがどう動いていくのか。

 

今回の読切では地獄の存在を明かす『獄頤鳴鳴篇』の導入的な立ち位置でしたが、今後も小出しで少しづつ物語が紡がれていくのではないかと思います。

『BURN THE WITCH』が同時進行中なわけですから、そこまでのスピードでの展開はなさそうですが。

 

早く続きを読みたいという感情と、1度にこれだけ読み応えのあるものを世に送り出してくれるんだからいつまでも待つぞという感情が、いい具合に自分の中に落ち着いています。この感情の均衡は、大切にしたいものですね。