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『ランウェイで笑って』に感じる、夢の途中にある男女の「本気の生き方」の眩しさ

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週刊少年マガジン」2018年25号より

 

『ランウェイで笑って』のアニメを観てからいても立ってもいられなくなって現在発売されている原作15巻まで読み進めたところ、感情の波がどんどん押し寄せてきてエモーショナル溢れる作品に唸らされている。

 

原作は週刊少年マガジンで連載中の猪ノ谷言葉先生による漫画だ。

 

アニメはアニメの良さがあったが、漫画は大切なシーンを1コマでこちらの感情に訴えかけてきたり言葉の重みがよりのしかかってきたりと、巧みで素晴らしい構成だ。

 

登場人物の表情の含みの持たせ方やファッションアイテムの描き込みなども丁寧で端整かつ秀麗。作品において重要な役割を担うファッションという分野を突き詰める文脈に、説得力を生み出している。

そして何よりも登場人物らの“本気の生き方”に、胸を打たれてしまった。

 

 

超一流のモデルになってパリコレでランウェイを歩くことを幼い頃から夢見る藤戸千雪は整ったルックスとスタイルを持つが、158cmというファッションモデルとしては致命的な身長。モデルという職業に魅せられ高い志を持って夢に向かい歩みを進めていく彼女に、高校の同級生で家庭の経済的理由からファッションデザイナーの夢を諦めようとしていた都村育人は心を動かされ、その道を目指す決意をする。

 

『ランウェイで笑って』はそんな「自らの意志ではどうにもできない境遇」を背負いながらも、夢に向かってがむしゃらに突き進んでいくふたりの物語だ。

 

「置かれた環境から脱却して夢を目指して羽ばたいていく」なんて言えばシンデレラストーリーのようだし、それがモデルやデザイナーの話ともなれば何とも華やかな物語を想像しそうなものだが、実際のところ本作は実に熱くて泥臭さも併せ持っている。

 

我々がファッションの世界に抱く煌びやかなイメージはあくまでも表面上のものであり、そこに行き着くまでには才能を持っているなんてのは大前提で、苦悩の中でも押し潰されず血の滲むような努力と奮励を積み重ねた結果であることを、『ランウェイで笑って』では痛感させられる。

 

ファッションモデルにおける身長という才能は、絶対的だ。魅せるべきはモデル本人ではなく身に纏う服であり、モデルはそのための身長とスタイルを求められる。千雪の恵まれないその身長は、常識的には通用しないとされるのである。

そう考えると「パリコレの舞台に立つ」という千雪の目標は、業界人からすればある種の冒涜とも捉えられるのかもしれない。彼女の158cmという身長は日本でさえランウェイを歩くために必要とされる身長より10cm以上も低い。その彼女が、よもや世界のパリコレを目指すというのだから。

 

さらには服を魅せるためのファッションショーにおいては人々の視線を顔へ集めてはならないため、モデルはランウェイでは無表情でなければならないとされている。

そんなタブーに踏み込んだタイトル、そしてモデルとしては低身長の千雪がその道を目指す姿勢はまさに“常識にとらわれないことの大切さ”を提示していくと共に、歩くことを途中でやめられない「ランウェイ」を「人生」と重ね、苦しい中でも希望を持って笑うべきだと訴えているのだろう。

 

モデル派遣会社の社長を父の家庭に生まれ、憧れのモデルを目の当たりにし、そこに「パリを見てしまった」こと全てが、断固として千雪を夢から引き離さない。それを諦めてしまえば自分が自分でなくなってしまうとまで豪語するほどの志は相当のものだ。その紛うことなき本気の意志がひしひしと感じられるからこそ、『ランウェイで笑って』は驚くほどの熱を帯びた作品になっている。

 

作中で登場人物が何かを成し遂げた時や認められた時に読者に訪れる感情の揺れ具合といったらない。

挑戦することに対して壁が立ちはだかり、苦悩して、時には挫折しそうになる。魅力的なルックスを兼ね備えながらもその身長だけで否定的な言葉を浴びせられる千雪。デザイナーとしての才能を持ちながらも進学するお金がない育人。スペックの高いスタイルだがモデルの仕事を嫌いデザイナーの道を歩みたいと願う心。将来を期待されながらも家の名前が付きまとう遠。デザイナーとしての才能があっても愛想がなく人間関係に苦労する柳田。お金やコネに困ることはないがデザイナーとしての才能がない美依…。

 

どれだけの才能があっても、何らかの苦悩が彼らを襲う。どのような道においても才能だけではどうにもならず、苦難を乗り越えるだけの本気の意志が必要なのだ。彼らが選んだ道は間違いなくプロフェッショナルの世界だからだ。

 

プロフェッショナルの世界では結果こそが全てであり、そこに至るまでの過程に言及することはない。オーディションに合格することも、ファッションショーで認められることも、服を売り切ることも、コンペで勝つことも、重要なこと全てが結果である。結果を求めるため、壁にぶつかりながらも努力を重ねて少しずつ乗り越えていく。千雪や育人が身を置くのは勝利を手にして初めて努力を認められるプロフェッショナルの世界であり、その境地に達するのは並大抵のことではない。それでも突き通したい志を胸に世界に飛び込んでいく若き彼らは魅力に溢れているし、大きく感情移入してしまう。

 

彼らが苦悩に藻掻く描写でこちらもどんどんと感情が溢れて逃げ出したくなるほどの苦しさを覚えていく中で、それが実を結んだ時の高揚感ときたら。まるでダムが決壊して溜まっていた苦しみが一気に喜びに変わり、怒涛の如く押し寄せて来たかのような感覚に襲われるのだ。

 

本気だからこその意地と意地のぶつかり合いもあって、どんどんと熱量が高まっていくそんな少年漫画としての道も決して外さない。スポ根よろしく、人々のぶつかり合いで思わず目頭が熱くなる。多くのファンの心を掴んでいる要因のひとつは、この熱さにあるだろう。

 

プロフェッショナルとしての結果を追い求める所作は、何もファッション業界だけに限ったことではない。その道で成功を収めるべく本気の生き方をしている人は、人一倍の野心があり負けず嫌いでプライドがある。時には常識や世間体などを取り払う必要だってあるかもしれないし、何ならそんな薄っぺらい倫理はその人の中には存在すらしていないのかもしれない。その是非について言及はしないせよ、いずれにしても大切なものは本気になることだ。若くして才能とそれ以上の情熱を持って本気で突き進んでいく千雪と育人らの姿に、心震わされずにはいられない。

 

常識に抗う彼らはパリコレを目指す上で、主にヨーロッパの上流階級により歴史を築き上げられたハイファッションの世界で凝り固まった価値観をとっぱらうことで存在感を示していくのだろう。年齢や性別、国籍に肌の色、性に対する考えなどが多様化する昨今だが、『ランウェイで笑って』はまさに近代的。ファッションという流行に敏感な分野で常識にとらわれないのは危うくも挑戦的であり、とても刺激がある。総じて熱さを纏う本作が、心を掴んで離さない。