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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『デッド・ドント・ダイ』感想/緊急事態宣言解除後の現在に刺さる風刺作だった

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緩やかに日常を取り戻しつつも、自粛ムードは続く情勢。それでも緊急事態宣言の解除を受けて、コロナ禍の影響を受けていた映画業界も徐々に動きを見せてきた。公開が延期されていた新作の公開日発表や映画館の営業再開など、映画ファンとしては嬉しい知らせを聞くようになっている。

 

そんな中で6月5日より公開された『デッド・ドント・ダイ』を鑑賞。およそ3ヶ月ぶりの映画館での作品鑑賞はこのタイミングだからこそ感じることもある作風に仕上がっていたので、本作の感想も含めて綴っていきたい。

 

久しく遠ざかっていた映画館に足を運ぶと、映画のポスターに囲まれポップコーンの匂いがほのかに香るロビーに嬉しさがこみ上げる。『デッド・ドント・ダイ』のような新作の公開数は少なく、現在は『アベンジャーズ』シリーズのようなヒット作品や『男はつらいよ』『ショーシャンクの空に』といった色褪せぬ人気作品、『天気の子』『君の名は。』の新海監督作品など少し前の作品の上映が多く、また感染予防として座席は1席ずつ空けての営業という状況ということもあってか、ロビー内の人々はややまばらだ。SNSにアップするためだろうか、その様子をカメラに収める人も見かけるくらいには、やはり元通りとは程遠い。公開前のチラシもあまりなければグッズ売り場も縮小されているところを見ると、どうしたって寂しさは感じてしまう。分かっているつもりでも、いざその有り様を見せつけられると、なんともくるものがある。

 

だが、そのような状況だからこそ営業を再開する劇場側の徹底した管理体制には感服する。

入場の際はひとりずつ検温。チケットも手渡しをすることなく、出来る限りの接触を避ける。席に着く前にトイレに行くと、かなり念入りに清掃をする様子が伺える。厳しい状況下においてこれ以上の営業停止を避けるべく出来る限りの予防に努めようという気概が見て取れた。

 

上映前に席に着くとスクリーン上で劇場スタッフの感染予防としての取り組みを紹介しており、また予告映像へ移行する際にも明らかに劇場の営業再開に合わせて撮ったであろうアナウンス。観客に少しでも安心を提供しようということだろう、それがひしひしと伝わり気持ち良く鑑賞できたことはとてもありがたいことだ。

 

そんな思いに耽りながら上映が始まった『デッド・ドント・ダイ』は、アメリカの田舎町で死者が蘇ってゾンビと化し阿鼻叫喚に包まれる中で保安官らが生存をかけて奮闘する様を描いている。本作の特徴はやはり、ゾンビの行動が生前の記憶に基づくものだということだろう。

 

事の発端ともいえるダイナーでの事件は、コーヒーを求めてやってきたゾンビによるものだった。次々と蘇るゾンビ達はお菓子を探してやってきた子供のゾンビや、シャルドネを欲するおばさんのゾンビ、ファッションを気にするゾンビなど、実に個性的。「WiFiBluetooth…Siri」とつぶやきながら彷徨うゾンビなんかはまさしく現代を生きる人々によく見る様子と相違ない。

 

これらのゾンビの姿からは物欲や依存にまみれた現代人を風刺し、皮肉っていることが見て取れる。

 

本作では度々メタ発言がされていた。映画冒頭でテーマ曲『デッド・ドント・ダイ』が流れるのだが、その後パトカー内でこの曲がラジオで流れるとビル・マーレイ演じるクリフが聞き覚えがあると言うと、アダム・ドライバー演じるロニーは「さっき流れましたから」とさらっと答える。

ダイナーでの惨状を見たロニーはとっさにゾンビの仕業だと指摘する。ゾンビ映画のお決まりとしてゾンビが登場するまでは登場人物がその存在を認識することはあまりないだろう。

さらに終盤、ゾンビだらけでありながら冷静なロニーに対して怒りを露わにするクリフだが、「台本をもらったから」だと話すロニー。そこに畳みかけるかのようにクリフの「全編もらったのか?自分は出演分しかもらっていないのに!」とじわじわきてしまう発言。いずれもスクリーンの向こう側を意識したメタ的な発言かつネタとなっているわけだ。

 

そしてそれをより明確にしたのが、ゾンビを指しての「彼らは最初からゾンビだった」というナレーション。

何かに依存した人々は血肉を求めて彷徨うゾンビのような成れの果てだということを指している。クロエ・セヴィニー演じるミンディが自らゾンビの群れに身を投げたのも、恐怖からの脱却と心の拠り所を求めてのものだ。

 

また、ゾンビの首をはねた時に血が出るのではなく灰のようなものが出てくるのは、依存する者(ゾンビ)は血が通っていないということも示唆しているのだろう。セレーナ・ゴメス演じるゾーイら若者をゾンビ化する前に首を切り落とすと血が出たのも、ゾンビ化した者が示すことを明確にするためだと言える。

 

『デッド・ドント・ダイ』の世界観で少し突飛な存在がティルダ・ウィンストン演じるゼルダ。道を曲がる時に直角に折れる姿や訛りのある英語、手を触れずにPCを立ち上げる能力を持つなどの一面を見せていたが、物語終盤でUFOに吸い込まれていく彼女が地球の外から来た存在であることが明らかになる。

それを見たロニーが「台本にはなかった」と話すことから、予想外の出来事はゾンビの存在ではなくUFOの登場なのだろう。しかし、ゾンビは何かに依存していることからUFOには目もくれない。依存するものさえあれば外界には興味を示さない、そんな現代人の姿を嘆くジム・ジャームッシュ監督のメッセージともいえるのではないだろうか。

 

コロナ禍で外出自粛期間が続いた中、エンターテインメントを欲する人は多くいたことだろう。映画館に行けず、ライブやイベントの類いも中止。会社や学校で人と顔を合わせる機会も減った。自らが好む物事への執着が強まって、これまでの日常でいかに何かに依存していたのかを思い知らされた人も多いことだろう。

 

自分もそのひとりなのだが、自粛中にできた時間でこれまで触れてこなかった分野に目を向けてみることで興味をそそられることが多々あった。

ゾンビである自分と向き合いながらも、依存していたものとの付き合い方を見つめ直し、「まずい結末になる」ことについて今一度考える良い機会なのかもしれない。