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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『ジョン・ウィック:パラベラム』で愛の記憶のために生きる男のスタイリッシュさが桁違い

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研ぎ澄まされたアクションの数々で話題を呼んだ『ジョン・ウィック』シリーズの3作目となる『パラベラム』を公開直後以来に鑑賞したのだけれど、テレビサイズの映像でさえ溢れんばかりの魅力に感嘆してしまった。

 

妻を病気で失い、愛犬を殺され、何も残っていない失意の男が裏組織への復讐をしていく。キアヌ・リーブスの狂気漂う演技と流れるようなガンアクションとカンフーを組み合わせた「ガンフー」が映画ファンの間で話題になった。

 

 

シリーズ1,2作目に続きメガホンを取るのはチャド・スタエルスキ。『マトリックス』シリーズからキアヌを知る彼が、今作でもその手腕を発揮する。

 

さらに、これまたシリーズを牽引してきたデヴィッド・リーチが製作総指揮を務める。音楽や脚本、撮影陣も本シリーズから続投となっており、最新作でもどのようなアクションで我々を驚かせてくれた。

 

シリーズの代名詞ともいえるアクションシーンは、今作でも圧倒的に多彩かつ極めてクオリティが高い。

ガンアクションとカンフーを織り交ぜたガンフーはもちろん、犬を従えての攻防、馬小屋やバイクに乗った路上など様々なシチュエーションでの戦いとあの手この手で目を見張る激しいアクションシーンが放たれる。状況に応じて周囲のありとあらゆるものが武器と化す、柔軟でスタイリッシュなアクションに目を丸くする。

 

物語は『ジョン・ウィック2』の直後から描かれる。ホテルコンチネンタルの「ホテル内で殺しをしてはいけない」という掟を破ったことで、ジョンは賞金首となる。次々と襲ってくる刺客を相手に、冒頭から既に手負いとなっているジョン。従来のアクション映画と違い、今作は始まって間もなく、主人公が敵に対してアドバンテージを取られている状況となる。

 

満身創痍の中で追っ手を次々と葬っていく様は常に生と死が隣り合わせ。だからこそ、ジョンにとって目に入るもの全てが武器となるし、この製作陣だからこそアクションの多彩さに花が咲く。スタッフ陣のアイデアが生み出す新たな極地だったといえる。

 

失意の中で裏社会に舞い戻ってきたジョン。愛犬を殺されたことが引き金となったわけだが、それは単に犬を殺されたから復讐をしているわけではない。

ジョンは殺し屋から足を洗って裏社会と決別し、妻との人生、いわば表社会を生きることを選んだ。最悪の人との生活は決して長くは続かなかったが、妻の病死があってもジョンは裏社会に戻ることはしなかった。それは妻が亡くなってからも、最も彼女を感じられる犬がいたから。犬が妻の代わりとなりジョンに寄り添っていたからだ。

 

だが、そんな唯一の救いともいえる犬を、無残にも殺されてしまう。それはジョンを表社会に繋ぎ止めていた存在がいなくなってしまったことを意味するわけだ。

 

今作でも犬の意味することは重要だ。

主席連合の人間と話すため砂漠を訪れた際、死に方について「殺し屋として死ぬか」「妻を愛し、妻に愛された男として死ぬか」を問われる。その答えが「妻ヘレンとの思い出を忘れない」ため左手の薬指を落とすことに繋がった。

主席連合に仕える“犬”としての道を選ぶのだ。

 

妻との思い出でもあり、ジョンを再び裏社会に戻すきっかけともなり、今作でソフィアがジョンに手を貸す決意にも繋がったのも犬だ。

ホテルコンチネンタルでの主席連合の部隊との戦いにおいて、ウィンストンはジョンを“猟犬”と位置づけた。だが、この猟犬は決して主席連合の従順な犬にはならなかった。

 

ジョンはウィンストンを殺すように指示を受けるも、実行には移さなかった。主席連合の下へ再び従うこととなるも、左手の薬指を失い結婚指輪を手放す。妻との思い出を忘れないための戦いで、その象徴を物理的になくす決断をする。

ここでの忠誠は、そもそものジョンの想いに反することだった。それがウィンストンを殺さず主席連合と戦う決意をもたらすわけである。アクションシーンに留まらない、ジョン・ウィックの生き方もまた、泥臭さと血生臭さを帯びながら何ともスタイリッシュだ。

 

さて、本作『ジョン・ウィック:パラベラム』では、表社会と裏社会の狭間で生きながらに殺されているジョンの生き方と死に方への問いに対する答えを提示してくれた。

どうやら次回作も決定しているようで、ガンフーはもちろん、今作で見られたマー(馬)・フーやドッグ・フーのように、新たな戦い方をスクリーンで拝みたいところだ。

 

ジョン・ウィックは止まることが許されなくなってしまった。ならば、それができるようになるまで戦い続けるだけである。