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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

『ブルーピリオド』6巻までの感想/絵の世界に身を投じ情熱を燃やす若者達に魂が震える

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ずっと気になっていた『ブルーピリオド』がこの度マンガ大賞2020にて大賞を受賞されたとのことでこれを機に読んでみることにしたのだけれど、ページをめくるスピードが落ちることなく最新刊6巻まで一気読みしてしまった。面白い。それはもう、圧倒的に。

 

 

もともと話題になっていた段階で「絵を描く喜びを知ったリア充高校生がその道へ進むべく東京藝術大学への入学を目指す」というあらすじは聞いていて、興味はあった。

というのも、小学生の頃から絵画を習っていて中学生くらいまでは小さなコンクールに応募する程度には絵を描くことが好きだったという自身の境遇があって。とはいえ別に特段上手いわけでもなかったし、ましてやその道を目指そうと考えていたわけでもなかったけれど、1枚の紙の上に自分の感じたものを自由に表現できるのが楽しかった。

 

中学卒業を機に絵を描くことはしなくなったが、高校の選択科目では美術をとる程度にはやはり好きだった。

ちなみにその様は作中でキモオタ童貞呼ばわりされていて泣いた。このご時世にホワイトドラゴンが無事に召喚されていることにも泣いた。

 

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『ブルーピリオド』第1巻 1筆目「絵を描く悦びに目覚めてみた」より

 

この漫画のすごいところって、作中で主人公の八虎が絵を上達させていく過程での気づきが、全て漫画として投影されていることなんですよ。そしてそれを実現させる魅せ方が実に上手い。

 

八虎はいわゆるDQN。高校生だが酒を飲むし煙草も吸う。でも、陰キャラにも優しくて空気も読めるし、成績は学年トップクラス。

一見、高校生活を満喫していそうなものだが、テストで良い点数をとることは勉強をすればある程度のラインまではいけるし、友達との付き合いも常に空気を読んで上手く世渡りしている、そんな日常に満たされずどこか疑問を感じている。進路を決めなければいけない時期に差し掛かってもこれといった目標もなく、虚無感の中で生きる。

 

そんな、人に合わせて自分を出すことをしない彼が、1枚の絵画に出会ったことをきっかけに絵を描く喜びを知り、その道を進む決意を固める。話すより聞くタイプで、空気を読むことに徹し、自分を出すという八虎がしてこなかったことが、芸術には求められる。

絵を描くことは自分をさらけ出すことだから。好きを突き詰めていくことだから。彼は絵の世界観に魅せられたのだ。

 

 

美術部に入った八虎は藝大の入試に向けて予備校に通うようになる。ついこないだまで素人だったのに、周囲は美術を少なからず齧ってきた者ばかり。

そのような状態なので、絵の種類や道具の使い方、描き方の技法といった基礎から応用まで全てが初めてづくしとなる。『ブルーピリオド』は絵のことを知らない八虎と、そして読者にも、その世界を教えてくれる。

 

八虎がロジカルな思考を持ち合わせ、また主人公としての心情をも描いてくれるので、我々もすんなりと情報を受け入れられるというわけだ。芸術という厳しいステージで八虎が少しずつ、しかし着実に技術を身につけていく様に、我々も心を揺さぶられる。

 

実質倍率200倍ともいわれ、ある意味東京大学よりも入学が難しい東京藝術大学の試験を受けるにあたって、大事なことは“自分の絵を描く”こと。『ブルーピリオド』は、絵を描くことを通して自分の世界を広げていくという簡単そうでとてつもなく難しい命題を突き付けてくる。

その中で八虎は幾度となく壁にぶつかる。芸術のノウハウ的なことはもちろん、自分の持つものを絵に落とし込むにあたっての表現力や、世界観や好きなことを受け入れていく対応力に向き合うと、どうしたって苦しくなる。

 

日々学ぶ中でいつしか八虎は採点する側の見方だったりを考えて、「視点を誘導させたい」「明暗をはっきりさせてテーマを強調させたい」などと戦略的に絵を描いていくようになる。もちろん、試験をパスする上で大事なことだし、ストーリーとして読んでいても面白い。知らないことをたくさん知ることができて、我々の高揚感も増す。

でも、本当に気持ちが高ぶって一心不乱に筆を進めている時って、八虎が自身をさらけ出して描きたいものに自分を乗せている時なんですよね。何度だって言うけど、自分を出すことが、美術だから。

 

だからこそ、面白い。絵を描く喜びを知る前と後とでは、八虎は見るもの全てが違ったように感じるし、実際に自分なりに解釈してその対象の別の魅力に気づくことができるようになっていく。作中でのセリフを借りるならばまさに、理論は感性の後ろにできる道だ。

 

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『ブルーピリオド』第3巻 10筆目「言いたいことも言えないこんな絵じゃ」より

 

八虎が作中で、絵を描く上で「構図」を大事にしろと言われるが、この漫画もそれはもう見事な「構図」でして。作品全体として見た時に、言葉選びや物語の運び方の上手さには舌を巻くばかり。作者の山口先生の洗練されたセンスがこれでもかと光り、なんというか、引き締まっている。

コマ割りも、言葉選びも、全てが作品最大の魅力を引き出すようにブラッシュアップされて辿り着いた到達点。言葉の間も絶妙で、読んでいる側が八虎の心情にもう1歩近づけさせられる。感情移入のさせ方が巧妙なのだ。

 

そうなってくるともはや、『ブルーピリオド』の1ページ1ページ、1コマ1コマの色の塗り方や重ね方、影のつけ方、線の太さ、ベタやトーンの使い方、描く角度…全てに意味を感じてしまう。八虎が教わっていることを共に学んだ読者は、その術中に見事にハマっているのだろう。

 

キャラクターのセリフや漫画のコマ割りといった、読者を引き込む「構図」=「手段」をもってして八虎を軸に進む物語は、喜びや苦しみといった感情だったり、人間関係だったりの要素が折り重なってひとつの漫画として出来上がっていく。

八虎は先生や先輩や同級生に導かれ、教えられ、考えさせられ、気付かされ、自分なりの絵を見つけていく。

 

理論武装をして自分を出すことをしてこなかった八虎が、殻を破っていきそれを絵に反映していくその過程に一切の隙がないというか、すごく綺麗なんですよね。自分をさらけ出して個性を追求する中で森先輩の言葉に立ち返ったりとか。説得力うんぬんはもちろん、物語としてとても美しい。

 

結局のところ、自分が分からない八虎は技術的なところで勝負しに行くけれど、突き詰めてしまえば自己表現として紙に落とし込まなければ、一歩先には辿り着けない。挫折を味わい、しかしそれでも情熱を持って、八虎は傍から見れば枚数を重ね、人一倍努力している。八虎の当たり前が、他者の当たり前ではないのだ。

その個性に気づかせてくれたのは、大葉先生や橋田、桑名ら。八虎は「努力と戦略」が自らの個性だと、気づきを得る。周囲の人々と共に階段を一歩ずつ上がっていく、まさに青春。

 

見惚れるような絵の数々に個性溢れるキャラクター達。心を打たれるシーンがいくつもあって、どんどん引き込まれる世界観がこの漫画にはある。でも、決して遠くない日常を切り取った本作だからこそ、胸が熱くなるのだろう。

八虎が気づきを得て絵を描くことに昇華したものこそが『ブルーピリオド』そのものだ。1巻を手にとってみればきっと、その世界観に溺れることだろう。八虎が1枚の絵と出会うことで美術の世界に身を投じていくように心を掴んで離そうとしない魅力が、この作品には詰まっている。