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映画、アニメ、漫画、音楽などの雑記。ファーストインプレッションを大切に。

映画『ジョーカー』の大ヒットにアーサーの笑い声が聞こえる

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すっかり年の瀬だが、2019年の映画界において印象的だった作品を思い返してみると、やはり『ジョーカー』は外せない。楽しいとか面白いとかそういった感情ではなく、とにかく頭の隅に居座られているような感覚。鑑賞後の感情をどこかにぶつけたくて誰もがネット上でレビューを漁ったことだろう。

 

ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、日本での公開前から海の向こう側では絶賛の嵐。確かに予告動画を見るだけでも昨今のアメコミ映画とは一線を画すその空気が尋常ではない。アメコミ映画といえば『アベンジャーズ:エンドゲーム』が大ヒットしMARVEL映画の勢いが止まらない。一方、直近の数作では『アクアマン』や『シャザム!』などのコミカルな作風も送り出しているDCだったが、本作はここにきてある意味問題作ともいえる作品に仕上がっている。

 

自然と期待値も高まる中で公開が始まった日本では4週連続1位を記録した『ジョーカー』。アメコミ映画における4週連続での1位は、2002年公開の『スパイダーマン』以来17年ぶりのことだそうで、つまりこれは現時点において興行収入世界1位を記録した『アベンジャーズ/エンドゲーム』ですら達成できなかった記録ということにもなる。海外のレビューからヒットの予感はあったが、そんな甘っちょろい目算を笑い飛ばすように『ジョーカー』の評判は口コミを中心に爆発的に伸びていく。

 

至極当然のことではあるが、ここまでのヒットはジョーカーという世界屈指のヴィランに多くの熱狂的なファンがいてこそである。言うまでもなく、原作の人気は絶大なものだ。加えて、『バットマン』、『ダークナイト』、『スーサイド・スクワッド』といった作品においてジョーカーの魅力はより濃く深く世界中に浸透していった。だが、日本の映画市場は海外市場の後を追うことにはならなかった。2008年の『ダークナイト』は多くの映画ファンを魅了し、その年の世界興行収入1位に輝くも、日本では国内興行収入33位とふるわない。

先に挙げた『アベンジャーズ/エンドゲーム』からも海外と日本との温度差が感じられる。公開初週は見事に1位を獲得しメガヒットへの好スタートを見せるも、2週目にその座から引きずり下ろしたのは『名探偵コナン 紺青の拳』だった。さすがコナンいったところではあるが、市場の違いを感じずにはいられない。

 

それでも『ジョーカー』は予想をはるかに超えるヒットを見せた。ここまでの広がりには様々な要因があるだろうが、その中でもかなりのウェイトを占めるのは口コミであり、主に発信元をSNSとした際に、そこにはピエロの姿が見え隠れしている。

 

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インターネットが普及し、世界中に情報を発信することも他人の感想を回収することも容易にできてしまう現代。そしてそれはSNSなどの媒体で意図せず得られてしまうことだってある。例えばTwitterのタイムライン。例えばInstagramのストーリー。例えばYouTubeの動画広告。

インターネットの海をぼんやりと眺めているだけでも、映画がヒットしている数値的情報や周囲の人々のレビューの数々が波となって押し寄せてくる。「興行収入や観客動員数がすごいらしい」「あの著名人が絶賛している映画だとは知っている」などの情報を目にすれば誰だって少なからず興味を持つはずだ。

 

バットマン』を前面に出していないこともヒットの結果に結びついているのではないだろうか。シリーズ物やスピンオフ作品ともなれば過去作をさらうことが億劫となり敬遠する人は多いが、『ジョーカー』は決して「バットマンの敵役の誕生日秘話!」といった打ち出しはしなかった。あの姿と名前を聞けばアメコミファンなら誰もがピンとくるだろうし、そういったターゲットはほっといても劇場に足を運ぶ。そうするとアプローチの対象は劇場鑑賞が年に数回程度の、いわゆるライト層になってくる。だからワーナー・ブラザースは20代〜30代をメインターゲットにして広告展開をしたのだそう。それが功を奏し、話題になった時には既に「CMや周りの人が騒いでいるから頭の片隅にはある『ジョーカー』という存在」が出来上がっている。このスマートな構図は実に現代的だなぁと感嘆するばかりだ。

 

思えば同じアメコミ映画となる『アメイジングスパイダーマン2』のマックスも、承認欲求が認められない日常を過ごす中で事故によりその存在を企業に消されたことがきっかけでヴィランとなった。自分の意志に関係なくエネルギー電気を放つことでスパイダーマンと対峙し、その様子がテレビ中継されたことで自分の存在を世間に知らしめた事実に酔いしれ、姿だけでなく心までもがエレクトロへと変貌していく。

『ジョーカー』ではアーサーが世間に注目されるコメディアンとして拍手を浴びる姿が、彼にとっての喜劇として描かれた。自らが愛するジャンルを生業とし、人々を笑いの渦に包み込む。それが現実となるならば、アーサーはオーディエンスからの多大なる承認を受け取るだろう。

 

情報の交換や収集に限らず、承認欲求を満たすためのツールとしてもSNSの存在は偉大だ。匿名性もあるが故に思ったこと感じたことを自分の言葉で世にぶちまけられるツールは、今や我々の生活の一部となっている。そんなSNS(口コミ)を経て、『ジョーカー』という物語を知るきっかけや理解を深める機会を得ているというのは、アーサーの変貌を考えると何とも皮肉である。同時に昨今のSNSの影響の大きさとピエロの仮面を被って暴れる群衆の姿がどうにもリンクしているように感じ、何とも恐ろしい。

ジョーカーの存在によって社会への不満が爆発し暴徒化したゴッサムシティは、さながら炎上した人や物に対して誹謗中傷を浴びせるネット社会だ。ネット上の不快なコメントや動画がゴミにまみれた街ならば、IDやアイコンが真っ白の肌と大きく裂けた赤い口の役割を果たしている。

 

アーサーに共感できるとは言えないのだが同情の余地はある、そんなシーンが混在する本作は我々にフィクションだという認識を赦さず、心を休ませる隙を与えない作品になっている。

アーサーが職を失ったことやカウンセリングの保障制度を打ち切られたことも、現代社会において起こっている。『ジョーカー』はその舞台をゴッサムシティに置きながら、どこまでも我々の身近なところに存在している。だからこそ鑑賞後にはこれほどまでに恐ろしい感情を覚えるし、それが社会に蔓延するかのような大ヒットを見せた事実からは、どうしたってアーサーの笑い声が聞こえる。