先週のことにはなるが、劇場版『SHIROBAKO』を観てきた。
テレビシリーズを見返して学生時代の放送当時に胸を熱くしていたことを思い出しつつ、社会人としてキャリアを積んでいる最中の現在だと見方の幅が広がったことを実感する。自身が働く者として作中の人物達と同じ立場になったことで、より感情を揺さぶられた。
先日も少し書いたのだが、業種は違えど僕も進行としての経験があるので、宮森の置かれる立場や状況がよく分かってしまうのだ。
なので今回は劇場版を通して前進していく宮森の姿に感じたことを主に、感想として残していきたい。
公開を待ち遠しく思っていたので、公開直前まで制作に追われていたスタッフ陣には賞賛をおくりたいです。
劇場版SHIROBAKOが完成しました。
— 水島努 (@tsuki_akari) 2020年2月26日
本当にお疲れ様でした。 #musani
「劇場版 SHIROBAKO」
— 映倫 (@EIRIN_JP) 2020年2月27日
いま審査が終わりました。【G】区分です。
そんな劇場版の大筋としてはテレビシリーズを踏襲していながら、だからこそ対照的な部分も際立っていて。多くの登場人物がいる中でも、本作においてはどうしたって、主人公・宮森あおいの苦節を乗り越えていく成長の様が心に響いた。
宮森と高校のアニメーション同好会で共に過ごした面々は、それぞれの夢に向かって奮闘する日々。宮森が入社した武蔵野アニメーションで彼女を支えながらも一緒に苦難を乗り越えていくスタッフ陣も個性豊かだ。
社外であろうとも密接に関わるメンツも多く、歯車がひとつ狂うだけでスケジュールに大きく支障をきたす、そんなアニメ制作のいつだって綱渡りな状況で伴う人々の心労の繊細さ。それらを登場人物、制作されたアニメキャラ、宮森の心情表現と視聴者への状況説明の役割を担うミムジーとロロの言動で時にダイナミックに時に儚げに描かれる様は、テレビシリーズからしっかりと受け継がれている。紛れもなく僕の好きな『SHIROBAKO』の群像劇の世界観だ。
しかし、劇場版では冒頭から絶望的な局面を目の当たりにする。擦り傷が目立ち、ろくに洗車もしていないのが分かるムサニの営業車。開始早々テレビシリーズのように快速を飛ばしてくれるのかと思いきや、ムサニの現状を表わすかのように無惨にエンストしてしまう。壁に這う草木や蔦が無法状態となったオフィスに戻るも、残る人はほとんどいない。
小笠原さんや井口さん、絵麻までもが、フリーに転身しているアニメーター陣。タロー、平岡、安藤ら制作進行陣も退社。更には丸川社長がその座を退いている。テレビシリーズからは考えられないほどに、布陣が変わっていた。いや、布陣が変わるどころか、単純に人がいなくなっているのである。
『えくそだすっ!』『第三飛行少女隊』の制作を経て大きく前進したことだろうと予想していたムサニは、後に「タイマス事変」と呼ばれる事件によって目も当てられない惨状であり、冒頭ではそれを痛いほどに心に突き刺してくる描写が続く。それは、直前まで見返していたテレビシリーズで明るい希望を持って終わっていたのを見ていた僕にはとてつもなく辛いものだった。
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
中でも、劇中で宮森が丸川元社長の店でカレーを口にしムサニのあの頃を思って涙を流すシーンは本当に苦しかったし、彼女と同じように思わず涙してしまった。心に留めていた行き場のない感情が、ふとしたことで弾けてしまったような宮森。元社長が食べさせてくれた味は、間違いなくあの頃に戻りたいと思わせたはずだ。同時に、ひとりのクリエイターとしての元社長の助言は、アニメ制作を楽しいと感じなくなってしまっている宮森には今一度立ち直るきっかけになったことだろう。
それが繋がっていくのが、あのミュージカルシーン。辛く苦しい現実に直面しても、それでもやるしかないのだと、宮森が自らを鼓舞して前を向いていくのだ。
ミュージカル演出はアニメ作品だろうが実写作品だろうが物語の流れを中断してしまうことにも繋がる。作品全体としてのテンポを落としかねない。しかし、本作においてのミュージカルシーンは宮森が立ち上がる起点として描かれている「リスタート」の意味合いが強い。一度立ち止まって気持ち新たに進んでいくことを「それでもやるしかない」のだと、芯のあるメッセージと共に放ってくれるあの一連の流れは、ミュージカル演出だからこそ効果的にメリハリを持たせてくれたように思う。
さらにそのミュージカルシーンでは、宮森の感情を吐露する代弁者ミムジーとロロ、制作に携わった『えくそだすっ!』『第三飛行少女隊』とその後制作していたであろう登場キャラクター達、さらには彼女の支えと業界に飛び込むきっかけのひとつとして位置付けられる『アンデスチャッキー』が登場する。
このシーンにおける『アンデスチャッキー』の存在は特に重要で、「自分に元気や勇気をくれる大切な作品が、現実世界において己が立ち上がる決意の原動力となる」ことを示すという、“アニメを愛する全ての人々の視点”にも繋がっているわけだ。さすが『SHIROBAKO』、懐が深くもあり、また水島監督のメッセージが息づいている実に素敵な表現だといえる。
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
そして宮森に決意をもたらせたことが、『空中強襲揚陸艦SIVA』のラストをも変える展開へと繋がっていく。この「宮森らの強い想いが作中での制作アニメに投影される様を第三者視点で見られること」も、『SHIROBAKO』の大きな魅力だ。
絶望的な状況の中で持ち込まれた劇場アニメーション制作の企画。この話を動かすべく、マンパワー不足のムサニはかつてのスタッフ陣をあたっていく。他の仕事との兼ね合いで全てが丸くとはいかないまでも、頓挫してしまった作品のトラウマを乗り越えてあの頃のスタッフらが集まりひとつの作品を共に作り上げていく様には、どうしたって胸が来るものがある。
さらには苦節を乗り越えた宮森が、やっとの思いで納品まで行き着いた『空中強襲揚陸艦SIVA』のラストを作り直そうと提案したことで自らの殻をまたひとつ破ったことは明白だった。
劇中では幾度となくバッドエンドにすると言われていた『空中強襲揚陸艦SIVA』。しかし、ラストの出来に十分満足していない監督の様子を察知した宮森が、少し異なる展開へと進めようと進言したことで、作中のメインキャラクターの生存も考えられる内容へと変わったではないか。次があるかもしれないという含みを持たせて作品を終わらせている。これはつまり、窮地に立たされているムサニが現状を打破し、希望を見出していることを表しているわけで、余韻を持たせてくれる。
(C)2020劇場版「SHIROBAKO」製作委員会
ラストを作り直す様子をあえて描かず、1アニメとして見せてくれる味わい深さよ。テレビシリーズでも見られた演出だったが、劇場版としてのカタルシスも感じさせてくれるシーンだ。
公開日、宮森達はいつもの5人で映画館へ。手にしたドーナツの間から見えるのはスクリーンに広がる宇宙。ひとつの夢を叶えた5人が、かつて高校の屋上で空に向かって掲げていたよりも更に上の、宇宙空間を見つめるその姿はすごく感動的で。
個人的にここのところ忙しくしていたこともあり、自分もやるしかないと奮い立たせてくれた。宮森にとって『アンデスチャッキー』がきっかけのひとつとなったように、僕にとって『SHIROBAKO』も今後の活力になることだろう。